熊本城【古写真版 完成②・雑記】 | 城郭模型製作工房

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城郭模型作家・島 充のブログです。日本の城郭および古建築の模型やジオラマの製作過程を公開しています。

前回、一応完成としましたが、写真にして気になるところがあり、少し手を加えました。

・白壁が白すぎたので汚しを加えました。
・屋根の草がよく分からなかったので少し盛り上げました。
・懸魚の六葉の塗り残しがあったので塗装しました。
・天守下に落下した戸板、平置きされた材木を追加しました。

ようやく完成です。
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「接写に耐えられる作品」を目指していますが難しいです。
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古写真をもとに追加した落下物。井戸屋の横に立っている棒と平置きされた材木、外れた戸板です。
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ここからは雑記。
小天守最上階の内部を作っていて疑問が湧きました。
資料としたのは熊本城研究の第一人者、北野隆氏の復元による平面図なのですが、手元にある本には、復元のもととなった史料なり絵図なりが一切載っていない!ことに気づいたのです。
復元の根拠は何?

(2017年追記 大小天守は各階平面の絵図があるそうです)

熊本城は西南戦争に際し焼失。文化財になることなく、現役で役目を終えましたから、当然実測図などあるはずがありません。
例えばこの図面
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矢印の柱の奥、左側は一間幅の床の間になっていて、壁になっていますが、下の写真ではなんと
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柱の左側は抜けているのです。赤い矢印が上の図面の赤矢印と同じ柱です。床の間あったのかいな。

また、現在の再建天守は外観を忠実に再現と言われていますが、現状写真。
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古写真。
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どの古写真を見ても、小天守最上階の白壁は見つけづらいのです。もしあったとしても現在の小天守の白壁は幅が大きすぎます。銃眼も無いのでは?

熊本城は古写真が数多く残されているので、史料が豊富なように思い込んでいましたが、内部に関してはどれだけ確たる史料があるのか謎です。

現在、熊本城では復元事業が大々的に行われていて、お城ファンにとっては胸躍るのですが、2013年には文化庁が計画ありきの熊本市のやり方に対し、文化財保護と研究体制の不備を指摘し、復元事業がストップしたというニュースを後で知りました。再開したのかいな。

木造で内部5階として復元が終わった飯田丸五階櫓も、北野教授は内部3階での復元をなさっておられ、熊本城の失われた多くの建物は内部構造不明というのが現実なようです。