飛雲閣(16)〜3次注水と島原城とか | 城郭模型製作工房

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城郭模型作家・島 充のブログです。日本の城郭および古建築の模型やジオラマの製作過程を公開しています。

明日まで長崎なので、何が何でもシリコンを流し終わって出かける手筈です。

昨日の朝に一次流し込み、夜に2回目、今朝3回目です。色を変えながら三層にしています。
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水面は、あとはさざ波の表現を残すのみ。
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もう底の色味は修正が効かないので、岸の石の塗装で調整するしかありません。
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本物の石も塗装し直したのでうまく馴染んでくれました。
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テキ盃橋はもう大きな修正はききません。
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底が微妙に透けています。
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そしてネットから飛雲閣周りの滄浪池の水を抜いた写真を見つけました。今更…浅いのは分かっていましたが、模型の方が深いようです(笑)
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少し時間があったので、長洲港からフェリーで有明海を渡って、島原経由で長崎に向かっています。
島原城に立ち寄りました。
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天守は明治8年に取り壊されるまで存在していたそうですが、資料が限られた絵図しかなく、この天守は復元ではなく「復興」という扱いです。
今は一層目のみ海鼠壁ですが、絵図によると全ての壁が海鼠壁か下見板張りだったようです。最上階は熊本城や小倉城、柳川城のように雨覆いが取り囲んでいたらしく、唐造りのように見えたといいます。

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三層櫓も三基あり、四万石には過ぎた城で、領民には年貢が重くのしかかり、島原の乱の原因の1つとも言われます。

島原は水の豊かな地です。
今は喫茶店になっている明治の商家、「水屋敷」です。
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まさに庭屋一如。こんな澄んだ水が庭に引き込めるのは土地の利が無いと不可能です。ちなみに飛雲閣の池の水源はどこでしょう。発掘調査で水源の井戸の跡が発見されたそうですが現在は…雨水じゃないかな。
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この建物も木舞裏になっていました。
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戦前くらいまでは、家を建てる時の施主のこだわりや美学がある建物がまだ当たり前のように生まれていましたが、現代は例えば将来文化財になるだろうというような木造家屋を建てることのできる文化的土壌は失われたといってもいい気がします。