大坂城と飛雲閣。
飛雲閣は秀吉の聚楽第から移築されたと言われますが、建築様式からして江戸時代のものという説が有力です。寺からもそれを裏付ける資料が発見されたと言いますが、聚楽第移築説を捨てないのは、それだけこの建物が魅力的だということのようで。
ここまでできました。
二層目の歌仙の間。
杉戸には三十六歌仙が描かれます。デカールにするか実際に描くか迷いますね。
小屋組ならぬ勾配のガイド。手前の花頭窓のある張り出しは上段になっていて、外観からも長押一つ分高くなっており、つまり框一段分上がっているわけです。その上に三層目が乗らないのは貴人の上に人が乗るのはいけない、というわけです。
化粧軒のガイドの取り付け。詳細は後ほど。
野地板の切り出し。
唐破風の製作に参ります。破風板を切り出します。
取り付け。
屋根を載せてパテでなだらかにします。
先ほど、軒裏のガイドをつけましたが、日本の建築の特色に二重構造の屋根があります。
日本は雨が多いので、屋根の勾配を急にして雨水を流す必要がありますが、そうすると深い軒をつくることができません。
そこで勾配を浅くした垂木で軒を伸ばし、その上に勾配のきつい垂木を架けて、二重構造の屋根にします。その間の空間を野小屋といいます。
そのうち、その野小屋に桔木(はねぎ)という太い部材を入れ、柱の上部を支点として、屋根の重みを利用したテコの原理で軒を支える構造が主流になります。江戸時代あたりになると、勾配の浅い垂木(化粧垂木といいます)はもはや何も支えていない、単なる飾りになっている建物も出てきます。
飛雲閣も当然、屋根は二重構造で二層目には桔木が見えます。
軒を見上げた時の勾配と、実際の屋根の勾配が違っていますので、先ほど付けたガイドに沿って、軒裏の板を貼り込みました。
フリーハンドの粗いイラストですみません。