①妻側一層目の窓が均等でない。不自然である。
②平側二層目の窓は2つ並び。だとすると一層目の1つの窓の幅はかなり広い。
で、現地取材の結果、隅櫓台には一部張り出しがあることが分かり、①の謎は解けました。
要はこうなっているのです。
ちなみに、名護屋城博物館の復元模型ではこの張り出しの上に破風がついています。
これは名護屋城の陣城としての性格にも由来しますが、秀吉の文禄・慶長の役で朝鮮半島に作られたいわゆる「倭城」に、層塔型の櫓が見られたようだとの指摘があり、これら建築を急ぐ必要のある陣城において、手間のかかる破風の無い櫓の発生というのは充分ありえる話だと思います。
これが後の層塔型の天守の祖型でしょうか??
②の謎は、これを格子窓とする事で解決しました。
この櫓の奥には船手門があり、この周辺からは金箔瓦が出土しています。門の近くの櫓は、何か目を引く飾りがあってしかるべきかと思いますし、例えば岡山城の櫓群には、壁一面の格子窓が備えられたりしていますので、それも参考にしました。
わずか半年で築城された陣城としての性格は他にも建物の形として現れていて、それは切妻屋根の多さです。
水の手門。
ご覧のように真壁造りに描かれますので、広島城の大手門などを参考に壁面を製作します。
あ、鯱がのってる。今気づいた。あとで付け足します。
さておき。
柱や長押を貼り付けていきます。
ここは現地でも崩落が激しく、石垣はほとんど残っておらず、井戸や石段が発掘されただけです。
屏風には切妻の多聞櫓が見えますので製作。
内側は想像をふくらませまして
穴蔵のある造りに。半分は吹き放ちしにて、そこに井戸がある想定です。お城好きの方はどこかで見た感じ!と思われたかもしれません。そうです。姫路城の井戸曲輪の帯郭櫓ですね。
井戸まではつくりませんでしたが、いかにも井戸がありそうな雰囲気、空間づくりをしてみました。表現できているかなあ。
井戸まではつくりませんでしたが、いかにも井戸がありそうな雰囲気、空間づくりをしてみました。表現できているかなあ。
「屏風絵の立体化」などと自分で言いながら、方向転換。テーマは「光信のみた景色」にします。
次回は完成をお見せできる…はず…