名護屋城の石垣は、前の記事でも書きましたが、突然加工石による石垣が出現したことで知られます。それでもまだまだ技術的には過渡期で、石垣の隅部分は算木積みにはなっていませんし、横のラインが揃ってアミダくじのラインのようになる「布目崩し」にはなっていません。
ただ、三の丸東面の一部には見事に横目地の通った石積みに成功している箇所もあり、名護屋城は豊臣政権の築城技術のまさに実験場だったともいわれます。(『天下人の城』)
石垣のペーパーがけと天端にプラ板を貼り込んで整形したのち、
全体に断面の囲いもつけましたから、横から見るとその高低差が一目瞭然です。