しばらく滞っていたのは、表御殿の曲輪と詰の丸を繋ぐ土橋周辺の構造に迷いがあったためです。
本丸図で見てみますと
黄色で囲んだところは一つの朱線に十四間と四間の書き込みがあり、縦に六間半と書いてあります。この縦の六間半がもし高さだとすると、反対側の下の段から中の段までが高さ六間となっていますから、近似値ではあるのですが、ここに高石垣となるとこの朱線より東(右側)が辻褄合わせが大変になります。手元にある資料では、この六間半の値については皆無視です。
また、緑で囲んだ鉤型の部分は、これだけ狭い空間で食い込んでいると、高石垣になった場合、途中で合流してしまいます。
桜井氏はそのまま復元してあるので、下の図のように、石垣がぶつかり合っています。
はじめに作っていた土橋です。
しかし、本丸図に朱線で「扁以」としっかり書き込んであるからには、塀の場所は内側のラインに持ってくるしかありません。
ですので、宮上氏の通り一段い平地を作りました。
本丸図そのままではありませんが、宮上氏のように図面に無い不自然な空き地を想定するより自然です。
いろいろ悩みましたが、折衷案で作りました。
本丸図の寸法の書き込みは石垣だけで、建物に関しては数値の書き込みはありません。しかもかなり細かいところまで石垣の計測をしています。しかし、この土橋周辺になると、突然線が弱く細くなり、数値がまばらになっているのです。私のひとつの想像ですが、この土橋の両側は、もしかすると、自然の地形がむき出しになっていて石垣になっていなかった、ということも考えられるのではないでしょうか。土橋の東は井戸曲輪と呼ばれ、ちょうど谷のようになっていて、水が湧き、緑が生い茂っているイメージがあります。高石垣が途切れ、中世の山城を思わせる景色がここにだけあったとしても面白いかもしれません。
石垣の高さの書き込みがない井戸曲輪側の長屋の下は、自然の岩盤として作ってみました。