詰の丸が終わり、引き続き山里の普請です。
建物を配置。
台所の外は薪などの蔵が必要でしょうから長屋をつくり、長屋門をくぐって台所に至ります。
建物の塗装。
池に石を配置。結局、二階建ての楼は広間の隣に持ってきました。その方が広間の広縁から楼を眺められると思ったからです。三つの茶室は築山の中に二つ、松林の中に一つ置きました。
植栽。
庭の南を築地塀で仕切ったのは、京都の寺院の庭に倣ったこともありますが、奥に下の段帯曲輪に繋がる隠し小門があるのと、その手前の空き地に土蔵を想定するからで、そこに至る経路を確保するためでもあります。
蔵を3つ配置して山里の完成です。
なぜ3つかというと、秀頼と淀君の自刃は天守下のこのあたりの朱三櫓と言われますが、これは糒(ほしいい)蔵とも、単に焼け残りの土蔵とも伝える文書もあり、櫓というより蔵の雰囲気が強いのです。朱「三」とあるからは一と二があっても自然で、三つの土蔵として推定しました。夏の陣の際には、まさにこの辺りには豊国廟がありましたので、秀頼、淀君は蔵に隠れたというより、太閤秀吉の廟を最期の地と選んだと私は思っています。
山里曲輪は他にも歴史的な出来事がたくさんあります。また後日。
今回は一円玉。どーん。