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前田浩明のラボ (別室)

オリジン生化学研究所 所長
ただいまコーヒーブレイク中

統合的「食」の発祥地 日本橋

 

前回の続きです。

 

前回のブログはこちら ⇒⇒ ★★★

 

早矢仕ライス(ハヤシライス)

丸善(日本橋二丁目)

 

 

ハヤシライスの発祥は、意外にも日本を代表する書店です。

早矢仕有的氏は、幕末の医師で

明治2年に同社を創業しましたが、

当時の従業員たちの滋養の為にふるまった

夜食などの和洋折衷の食べ物が、

「ハヤシライス」の始まりだと言われています。

現在3階の丸善カフェで、

歴史的な味「早矢仕ライス」を味わうことができます。

 

 

お子様ランチ

日本橋三越本店(日本橋室町1丁目)

 

 

食堂部主任の安藤太郎氏が、

昭和5年に「お子様洋食」として考案しました。

旗は日の丸ではなく「越」でした。

 

これらの馴染み深い食べ物には、

日本中の食文化の統合で生まれた江戸風食文化に加えて

西洋の味とお客のニーズを取り入れ、

新しい物づくりをする日本橋の職人の心意気を感じます。

 

 

次回、最終章となります。

もう少し、お付き合い下さい。

 

 

オリジン生化学研究所

農学博士  前田 浩明

 

 

さっそくですが、前回の続きになります。

 

前回の記事はコチラ⇒ ★★★

 

お江戸日本橋が発祥の食べ物を

いくつかご紹介したいと思います。

 

 

甘名納糖(あまなっとう)

榮太郎総本舗(日本橋一丁目)

 

 

初代榮太郎の考案による甘名納糖は、

金時ささげを蜜で煮詰めた甘味で、

甘納豆の元祖となっています。

 

 

親子丼ぶり

玉ひで(日本橋人形町一丁目)

 

 

しゃも鍋の残った割り下を卵でとじて、

ご飯と共に食べるお客さんの姿にヒントを得て

五代目の妻のとくさんが考案したものです。

 

 

本日はここまで。

ご紹介したい食物はあと二つ!

お楽しみに。

 

 

オリジン生化学研究所

所長 前田 浩明

 

弊社は東京日本橋にオフィスを構えております。

そこで、本日は「日本橋の食」について触れてみたいと思います。

 

江戸幕府の開府後、

日本橋の街は、徳川家康によって整備が進められました。

摂津(大阪府)から漁民が集められ、

江戸前の魚介類が幕府に納められていましたが、

余った魚介類が街中でも売られるようになったのが

「日本橋魚市場」の始まりと言われていますうお座

 

その後、鮮魚ばかりでなく、乾物屋干物、道具などを売る店や、

河岸で働く人のための食事処なども誕生して

街は大いに賑わったと伝えられています。

 

江戸は、武士と町人の街で、

日本全国の大名の江戸屋敷詰めの武士も多く住んでいました。

彼らは、現代風に表現すると単身赴任者で、

外食に頼る者が多かったようです。

 

当時の日本橋は、全国の食材が集まる街で、

彼らが故郷の味を求めて日本橋に通った事が想像されます。

 

そしてまた、多くの職人や商人が、

単身で上方やその他の地方から集まってきた事も、

寿司や蕎麦などの外食の店を増やしていった要因だと考えます寿司

 

このように、当時の江戸の街は、

全国の日本人が集まって生活する独自の街で、

正に日本人のるつぼのような状態であり、

食についても各地方の食文化が交じり合い、

関西風と関東風の食嗜好が統合されて

江戸風の独特の食文化が生まれて流行していったものと考えます。

 

江戸一の繁華街であった日本橋は、

その流行の発祥源になっていたと思われます。

そして、魚河岸が築地に移転した後も、

その気風が受け継がれ、

私たちに馴染み深い食べ物が日本橋で生まれています

 

その馴染み深い食べ物とは・・・

次回に。

お楽しみにしていて下さい!

 

 

オリジン生化学研究所

前田 浩明