根本的な不理解(その3:走るのは誰か?)
歴史的にみて、この国では、 ・先頭を走る者が支配階層となる時代と、 ・下層階級に先頭を走らせる時代 とが交錯する。 戦国大名、明治のリーダ達、戦後のベンチャー企業の社長達は、軍(いくさ)においても、行動力、創造力のいずれの面でも、自らが先頭を走り時代を破壊し創造したのだろうが、江戸時代の将軍/大名、戦後の大企業の社長達は、決して、自らは先頭には立たなかったように見える。 少なくとも、「変化の時代」には、リーダーが走らなくてはいけない。 走る者だけが、リーダーとなる資格を持つ。 走る者は、時代を圧する(疑似)思想と(共感を得る)言葉にて、他者を従える。 (これを、コミュニケーションという。) 国家のレベル、超国家のレベルにおいてもである。 従属者は、リーダーの示す「支配する思想と言葉」に、相槌を打つことなど許されない。 単に、従属させられるだけの存在である。 「変化の時代」にあって、「リーダー」は、「従属者」を同格の者とは見做さない。
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価値観の分析について
昨今、ニュースとして報道される話題を見ている時に、ふと、この国には確かな「コミュニケーション」を可能にする「仕掛け」が無いことに気がついた。
コミュニケーションを行うには、言語とその意味、背景に関する「共通のデータベース」が必要だ。 会話を行う当人の間で、「データベース」の内容が違うというのは、互いに内容の違う「辞書」を引きながら慣れない言葉を使う状態ににている。 これは、外国人との会話を言っているのではない。
しばしば、大人と子供の間でコミュニケーションをうまく行えない場合がある。 この場合も、大人は大人の社会の中での「データベース」を培って生活しているのに対して、子供が、生まれてから数年から十数年もの間、子供同士の会話だけにて自分の「データベース」を育てて行くと、両者の「辞書」は決定的に違う内容をもつことになるかもしれない。 一方的に子供が悪いために、コミュニケーションがうまく行えない訳ではない。
「辞書」の違いは、「基本的な価値観」に違いがあることを意味する。「辞書」つまり「基本的な価値観」の相違は、生活する場;
・社会(システム)、
・社会(周りの人間)、
・社会(過去の歴史)、
・社会(職業/職場)、
・土地(気候)、
・土地(母国語)、
の影響をうけ、「相違点」は生活を行う上での弊害になりうる。
その「相違点」を減らすため、「共通の価値観の醸成」が必要であり、世の中いは、
・宗教
・政治
・イデオロギー
・団体
・情報(宣伝、文筆物、音楽、芸術、うわさ)
・教育
・学会
・催しごと(祭り事)
なるものが存在する。
これらは、建設的にいえば、「コミュニケーション」を確かにするための「共通の価値観の醸成」を促進する「仕掛け」であり、悪意を含めて言うと、個人の価値観に影響を与える(干渉/洗脳する)ための「作為」である。
(これらには、権益が関与するため、悪意が存在しうる。)
これらは、善悪や倫理観の観点から語られるべき対象ではなく、人間(動物/生物)が集団を成す時に必然的に生ずる「業」である。
「業」は「問題であると同時に解決策である」ということからすると、これらは自己撞着した構造を持つ。 「永遠の課題」かもしれないが、「歴史が生ずる根源」である。
つまり、「コミュニケーション」は、本質的に「基本的な価値観」の統一を必要とする。 だがら、「歴史」は展開すると。
「コミュニケーション」を可能にする「仕掛け」を広め、「基本的な価値観の統一」を征することは、「ポリティックス」が求める所である。
・ では、「価値観」とは何なのだろうか? それはどのように分類されるものなのだろうか?
・ では、ここでいう「基本的な」というのは、分類されたどの部分までをいうんだろうか?
この国に、確かな「コミュニケーション」を可能にする「仕掛け」が少ないことからすると、その事を科学できないか? 「基本的な価値観」を分析できないか? それが、このページを企画する意図である。 コミュニケーションの実態については、
1. 政治・経済・社会
2. 芸術・音楽・文学
にて、取り上げます。 そこから、価値観を分類・整理する点は、
3. 価値観の分析
にて取り上げます。 議論に参加してくれる人を求めます。
その4:誤謬の可能性
1) 統治/マネジメントの手法が、「動員」から「参加」に変わる。
2) 「情報流通(インフラ)」と「情報発信(製作者)」の間の分業が進む。
3) 情報フォーマットのプロトコル化(中央集権的な標準化体制)が出現した。
4) 利益の源泉が、「表の情報」から「裏の情報」に変わった。
もしくは、「表の情報」の「合法的操作」が利益の源泉となった。
等である。
これらについて、時代に叶う手法が、これからのビジネスモデルである。
ホリエモンは、4)の視点からビジネスを考える能力と行動力については、恐らく素晴らしく秀でているだろうが、1)、2)の視点から見た時の人間力、経営者能力については大きく疑いを持たれている。 1)については、彼が良く知っているようで意外と知らぬ世界なのかもしれない。
1)は、現在の技術者、テクノロジ・ユーザー、芸術家、えせ芸術家、ジャーナリスト、批評家、研究者ら、いわゆる「中階層の専門家(テクノクラート)」達や、中流市民行動家/素人軍団/芸能人らからなる「情報産業」の総体と、うまくつき合って、リードして行く能力のことを云う。
彼らは、支配を嫌うし、彼らのアウトプットが「動員主義者(統率型の管理者)」には制御・チェックできないことを良く知っている。 動員主義者は、前近代型の工業社会を統治するのには向いていたが、「情報産業の本丸の働き手(情報発信者達)」を統治するには向いていない。 「情報産業の本丸の働き手(情報発信者達)」は、旧来の労働者よりも、遥かにプライドが高く、「参加を要請される」ことを喜ぶが、「動員される」のは嫌う。 人によっては、「自発的参加」を望む。
1)についてホリエモンの能力を疑うのは、彼の行動・発言に、旧来の「動員主義者」の雰囲気や人間性との類似を見るからである。 彼の言葉からは、明治期の個性の強い強引なM&A主義者達、労働者を人間扱いしない資本家に類する匂いが漂ってくる。
「裏の情報」を加工/集計/分析する権限を持つ少数者が利益を得ていたのは、いつの時代も同じだったかもしれないので、それにたけているからといって「旧来のタイプ」とはいえないが、現在の中産階級が「表の情報」「情報の開示」「企業活動の透明性」を重要だと見做している風潮からすると、彼が「裏の情報」に長けている雰囲気がある点も、受けない人達に取ってはその理由かもしれない。
彼は、多くの点で能力が高いが、「中階層の専門家(テクノクラート)」達や、中流市民行動家/素人軍団をうまく制御してゆくマネジメント能力があるのかどうかは、非常にあやしい。 なぜなら、彼らの特徴(「良く間違う」「失敗が多い」「わがまま」)を知っていれば、その多くを支配下に置くことは得策ではなく、賢い経営者であれば、彼らと分業する道を選ぶ筈だからだ。
ビジネスモデルを考える上では、
・自分は何をしないのかを明確にする。
・参加者にしてもらう領域には、自分は手を出さない。
・資本関係の無い他社/他者/参加者とうまくパートナーシップを持つ。
・自分のアウトプットを参加者に明示する。
という姿勢が必要な筈だ。
バブル崩壊時には、「持たざる経営(イトーヨーカドウ)」が「持つ経営(ダイエー)」に勝ったと同様に、インターネット経済の時代には、「持たざる事」の価値は非常に大きいことを知らねばならない。
彼の功績は既に非常に大きいが、その破壊力・行動力が大きいだけに、上記のような創造力に関しては、疑念を持たれてもいたしかたないだろう。 彼は、「やりたい事」を言う前に、「やらない事」を定義すべきだったのかもしれない。
否、今からでも間に合う。 彼には、政治力の強い協力者が必要だ。
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株式市場の機能
老兵は、「老兵は死なず、ただ消えゆくのみ」という米軍元帥の言葉がある。
"Old soldiers never die, They just fate away"
「老兵」が、「和議/和解」を強要する時には、気をつけなきゃならない。
「老兵」には名誉と勲章を貰って消え行くべき「時」があり、彼らが過剰に権力にしがみつく場合には、「序列維持/体制維持派」として彼らは排除の対象となるからである。
従って、「老兵」に名誉と勲章を与える機能が、社会には必要である。
株式市場とはそういう場なのかもしれない。
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動員主義の終焉
「動員主義」を逆手に取り、「動員主義」に埋没(隷属)することで、「権利/自由」と「収入の安定」のバーター取り引きを続けてきた「隷農サラリーマンの時代」から脱却すべし。
1)脱却のメリット;
・政府/政治の失敗リスクをヘッヂする手段を、個人/社会/企業が持ちうる事。
・個人の人生の可能性を追求するチャンスが拡大する事。
・個人/企業/政府/社会に対して、コミュニケーション能力UPを強要できる事。
2)脱却のディメリット;
・高成長時代以来の終身雇用・定期昇給制度下の「安定」が減り、国家・企業が引き受けていた経済リスクの一部を、個人が肩代わりしなきゃならなくなる。 どの程度?
・政治/政府/企業/個人の役割の再配分に起因するリストラクチャリングコストとストレスを、個人が引き受けなくてはいけなくなる。 どの程度?
・役割の再配分(社会システム変更)に関する政治決断時に、結論/決断を間違うリスクがある。
この発想は、「反政府主義」ではない。
脱却後の政府/政治/企業には、高い説明能力(コミュニケーション能力)が必要とされることになる。 そうすれば、個人の持つ経済リスクが拡大したとしても、社会全体が抱えるトータルなリスクが減る。
そのような全体最適が必要な時代に入っている。
次は、「動員主義・和議/和解主義・序列維持の終焉」が意味するものを取り上げる。
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