価値観の分析について
昨今、ニュースとして報道される話題を見ている時に、ふと、この国には確かな「コミュニケーション」を可能にする「仕掛け」が無いことに気がついた。
コミュニケーションを行うには、言語とその意味、背景に関する「共通のデータベース」が必要だ。 会話を行う当人の間で、「データベース」の内容が違うというのは、互いに内容の違う「辞書」を引きながら慣れない言葉を使う状態ににている。 これは、外国人との会話を言っているのではない。
しばしば、大人と子供の間でコミュニケーションをうまく行えない場合がある。 この場合も、大人は大人の社会の中での「データベース」を培って生活しているのに対して、子供が、生まれてから数年から十数年もの間、子供同士の会話だけにて自分の「データベース」を育てて行くと、両者の「辞書」は決定的に違う内容をもつことになるかもしれない。 一方的に子供が悪いために、コミュニケーションがうまく行えない訳ではない。
「辞書」の違いは、「基本的な価値観」に違いがあることを意味する。「辞書」つまり「基本的な価値観」の相違は、生活する場;
・社会(システム)、
・社会(周りの人間)、
・社会(過去の歴史)、
・社会(職業/職場)、
・土地(気候)、
・土地(母国語)、
の影響をうけ、「相違点」は生活を行う上での弊害になりうる。
その「相違点」を減らすため、「共通の価値観の醸成」が必要であり、世の中いは、
・宗教
・政治
・イデオロギー
・団体
・情報(宣伝、文筆物、音楽、芸術、うわさ)
・教育
・学会
・催しごと(祭り事)
なるものが存在する。
これらは、建設的にいえば、「コミュニケーション」を確かにするための「共通の価値観の醸成」を促進する「仕掛け」であり、悪意を含めて言うと、個人の価値観に影響を与える(干渉/洗脳する)ための「作為」である。
(これらには、権益が関与するため、悪意が存在しうる。)
これらは、善悪や倫理観の観点から語られるべき対象ではなく、人間(動物/生物)が集団を成す時に必然的に生ずる「業」である。
「業」は「問題であると同時に解決策である」ということからすると、これらは自己撞着した構造を持つ。 「永遠の課題」かもしれないが、「歴史が生ずる根源」である。
つまり、「コミュニケーション」は、本質的に「基本的な価値観」の統一を必要とする。 だがら、「歴史」は展開すると。
「コミュニケーション」を可能にする「仕掛け」を広め、「基本的な価値観の統一」を征することは、「ポリティックス」が求める所である。
・ では、「価値観」とは何なのだろうか? それはどのように分類されるものなのだろうか?
・ では、ここでいう「基本的な」というのは、分類されたどの部分までをいうんだろうか?
この国に、確かな「コミュニケーション」を可能にする「仕掛け」が少ないことからすると、その事を科学できないか? 「基本的な価値観」を分析できないか? それが、このページを企画する意図である。 コミュニケーションの実態については、
1. 政治・経済・社会
2. 芸術・音楽・文学
にて、取り上げます。 そこから、価値観を分類・整理する点は、
3. 価値観の分析
にて取り上げます。 議論に参加してくれる人を求めます。