吃音は治るか?治らないか?については昔から議論百出です(^^)
いつも結論は平行線です。

実は治る治らないという議論をすること自体が間違ってます。

正確に言うと、
①吃音を抑える。
②吃音が不要になる。
となります。

①は言語療法です。結果としてはぶり返すだけです。
②は自然治癒です。幼児などが享受する確率の高いものです。目指すは②ですね!

この理論は20年くらい前から言ってるのですが、残念ながら皆さんからは完全にスルーされてます^^;

詳しくは http://oriental-stuttering-treatment.com/74057/?p=5&fwType=amb

一般に、
「吃音を受容する」という言葉は吃音の本質において、ずれてしまうので私は使わないことが多いです。


吃音は本来は受け入れる、受け入れないという様に自由意志の元、選択できる性質のものではありません。


ただ便宜上、吃音を説明する際に使うことはあります。


今回はそう言った本質的なことは横に置いておいて受け入れることについて説明させていただきます。


吃音を受け入れるとは書いて字の如く自身が吃ってもそれに抗おうとしないことです。


逆に受け入れてない人は自分が吃ることは当然、我慢できません。


受け入れてない人はおそらく他人が吃っているのも聞きたくないと思います。


そこで、具体的に受け入れる訓練法を提案したいと思います。


自助会などでする訓練法ですが、
他人が吃っていてもなんとも思わない精神的境地を意識的に目指すというものです。


おそらく他人が吃っているのを聞いて何とも思わなくなればそれは自分が吃っているのも気にならない状態に近づいていると言えます。


まずは、自助会などに参加して他人の吃っている状態を受け入れられることを目指してはいかがでしょうか?

詳しくは http://oriental-stuttering-treatment.com/74057/?p=5&fwType=amb

言葉には有効期限があります。

どういうことか?と申しますと仮にどんなに流暢に雄弁に話せても話すべきタイミングから1時間経った後にその言葉を発しても意味を持ちませんよね。という感じのことを指しております。

一方的に話すプレゼンや演説などは比較的、有効期限は長いです。一方通行ですので多少、言葉が出なくても聴衆は待ってくれます。

一方、会話に関しては比較的短いです。どんなに流暢に話せてもタイミングがずれるとその言葉は意味を持ちません。数秒以内に言葉が出ないと次の話題や話題についていけない状態になります。

的確なタイミングで話せて初めて言葉は生きてきます。

私も含めてですが、流暢性ばかりに囚われ、この「タイミング」を疎かにしているケースもあると思います。

実際の会話で通用するように時計などを使って練習するのもいいかもしれませんね(^^)

言語療法をする場合はそんな感じで実践を意識してするのもありと思います。

以上、余計なお世話でした。

詳しくは http://oriental-stuttering-treatment.com/74057/?p=5&fwType=amb