部下にパワハラを行う上司は、部下の事を思ったり、部下を成長させようとして部下の欠点を指摘し続けいる訳では無い。


その上司は自分の中に惨めな、自尊心の欠けた部分を抱えていて、それを部下に投影する事で惨めな気持ちから逃れようとしている。


そのためには部下には惨めな奴になってもらわなければならない。

そのためにパワハラ上司は徹底的にネチネチと部下の惨めな部分を探し出す。そして「お前はこんなに惨めな奴なんだぞ」ということを事実として部下に飲み込ませようとする。


それは上司自身を惨めな気持ちから救うため、自分の人生を賭けた戦いであるから、彼は本気であり、自分の全精力をかけても少しも惜しくはない。


パワハラを生き延びるために最も大切なことはパワハラ上司の言葉を自分の言葉として飲み込まないこと。


パワハラ上司があなたに言う言葉は全て上司自身に当てはまる。だから彼の言葉には力があり、確信に満ちている。何故ならそれは上司自身の事だからだ。

パワハラが始まったら上司をじっと見て、自分自身に「始まった」とつぶやいて備えよう。


パワハラ上司は自分の自尊心の欠如を埋め合わせようとしてあなたを利用しているだけだということを相手をじっと見ながら、標本を見るように検証し理解しよう。

自分の喉の奥に注意して相手の罵詈雑言を事実として飲み込まないように、相手を自分の中に入れないように気をつけよう。


家の外で宣伝カーが何かを怒鳴っていても、あなたが自分の内側に取り込まなければ、あなたが傷つくことは無い。

世界をちゃんと見ないようにして一生を過ごす方法がある。
それは常に舌をほんの少し奥に引いたままにしておくこと。 
こうすると常にあなたの視線は見る対象からほんの少しだけ下がり、「見ているようで見ていない状態」にする事が出来る。
これによって、あなたは最も親しいはずの人からも常に距離を置く事ができる。
その場その場でそれらしい態度をとりながら、誰からも覗かれずに自分の目の奥に別の考えを潜ませて置くことが出来る。
人とのつながりを半分断ち切る事で手に入れた自由と安全には常にニセモノ感と虚しさがつきまとう。恋愛の中で生命が躍動する瞬間は、あなたの目の奥の自由と安全を脅かし、一方でいつも感じていた虚しさを和らげる。恋愛はあなたが最も追い求め、最も避けたいものになる。
満たされる事に罪悪感を持っている人は喉を少し締めて呼吸が少し足りない状態を維持している。

そうして何かが少し足りない感じを常に感じながら、それをお金や愛情や権力や才能に投影することで、満たされて罪悪感を感じることから自分を守る事ができる。

パチンコ屋の夢を見た。

白い枠の地味なパチンコ台が並ぶパチンコ屋でパチンコをしている。
パチンコ屋のイスは半分程客で埋まっている。
パチンコは当たるか当たらないかのスリルが面白いので、台が地味でも私的には全く問題無い。
客が半分しかいなくても関係ない。
当たるか当たらないかのスリルが私には一番大事である。
パチンコ台になってみる。
「私は白い枠の地味なパチンコ台。内部の機械に細かい工夫がしてあり飽きさせない。パチンコが好きな人にはたまらない台です。」私のセラピーも外見は地味だが内部に贅を尽くしてあり、分かる人には分かる仕様になっている。


ただ、最近は、安全さと効率を重視するあまり、当たるか当たらないかのスリルと興奮をあまり大事にしていなかった気がする。


夢のワークは解ける前のスリルと解けた時の興奮が非常に大きい。私がゲシュタルトセラピーにはまったのも自分の夢が解けた興奮が忘れられなかったからだ。


一見支離滅裂に見える夢に意味がちゃんとあるなどとは"夢"にも思わなかった。まさに無意識からのメッセージを体験できるのだ。


夢の中のパチンコ台の魅力は「当たる事」ではなく「当たるか当たらないかのスリルと興奮」にある。


自分のセラピーの中にもっと夢のワークのようにスリルと興奮を味わえるワークを取り入れる事にしよう。

ここまで書いてハタと思い当たったのだが(ゲシュタルト夢分析で起きるこの気づきがいつも異様に深い)、私の若い頃からの、意味不明で人生のキャリアを壊すような選択、大学を中退するとか、左翼過激派の勉強会とかデモに参加するとか、アングラ劇団の舞台に出るとかの一番の原動力として「スリルと興奮を求める気持ち」があったと思う。

社会的に恵まれた境遇の中で、死んだように生きるのが何より嫌だと思っていた。恵まれた境遇を壊せば生き生きできると勘違いしていた。

ゲシュタルトセラピーの方法で自分を変える事を学ばなければ、恵まれていても恵まれていなくても、心が半分死んだように何も感じない状態は変わらない。

何故なら心を半分殺しているのは自分だから。