自分を侵害された時にちゃんと怒る事が出来ないと、怒りは完結せず中途半端に保存される。そして喉とアゴの筋緊張、終わらない悲しみと無力感、自信の無さとして記憶に残り、人生を通して繰り返し自分に対するマイナスのメッセージとして現れて人生を破壊する。
大切なもの、愛するものの記憶を取り戻し、呑み込まされた悲しい否定的な価値観を解放する事は幸せになるために絶対に必要である。

怒りは自分にとって不本意な状況、不本意な価値判断を飲み込まされることから生まれる。
自分のテリトリーが侵害されている感覚と言い換えるコトもできる。
不本意なものを読み込むのだから喉は抵抗して緊張する。
自己は「飲みこむ自分」と「飲み込みたくない自分」の2つに分裂する。
常に自分はウソをついているという感覚と罪悪感が付きまとい、自信と自尊心は大きく損なわれる。
そして最も破壊的なのは、抑圧された怒りは、美しいものを感じることと、愛情を感じることを抑えてしまい、その人の人生を無価値で灰色の殺伐としたものに変えてしまうことだ。
しかし、不本意なものを飲み込まずに子供時代を生き延びられる人などいるのだろうか?
誰でも、抑圧された怒りの下に、美と愛情と自信に満ちた素晴らしい自分を隠している。

勝負出来ない人は物事をありのままに受け止める事が出来ない。

勝負出来ない人は世界と他者に当たって世界を肌で感じる事が出来ない。

いつも半分考えの中にいる。

勝っている時は負けているかもと疑い、負けている時は勝っているのに何故と憤る。

考えの中にいるので現実から学ぶ事が出来ない。成長する事が出来ない。

考えの中にいるから自分の深い感情を感じる事ができず、自分の心の傷を刺激する些細な出来事がいつまでも終わらずに続いていく。



完璧主義とは内面の性癖ではない。具体的に指摘出来る喉からアゴ、目の下、こめかみにかけての筋緊張と呼吸制限を伴う筋肉運動である。

ボクシング漫画を読む人は、ボクシングをやりたい訳ではない。

ただ強い相手や、すばしっこくパンチを避ける相手に主人公が「ビシッ」とバンチを打ち込む時に、自分の中でも「ビシッ」と真正面から打ち込む感じを感じられるところに魅力を感じている。

パンチはもちろん、言葉であれ態度であれ、普段は決してビシッと相手に打ち込むような事はしないし、自分はそういうタイプでは無いと思っている。

しかし、気づいていないが自分の中には「ビシッ」と打ち込みたい自分がいる。

そして仕事や人間関係や今の自分を取り巻く環境の中には必ず「ビシッ」が必要な分野がある。