Un poisson rouge -99ページ目

舞いの効能について。

今日、前職の先輩のベリーダンス公演にお誘いいただき、拝見しに参りました。

ベリーダンス自体は以前一度見たことがありましたが、それはそれは、妖艶という言葉がぴったりだと、私は思います。

衣装、音楽、光。そして、腰、腕、髪、指先、足。

全てが全て、「艶」である、とでも言うべき、その、舞い。

正に千夜一夜物語のあの世界を彷彿とさせる、アトモスフィア。

今晩も、とても素敵でした。

沢山のチームが出演しており、中にはインド風のダンスもあり、
インドの音楽と中東の音楽は、旋律も似ているし、系譜をきちんと辿ればきっと重なるのだろうな、と思いました。

インドで見たダンスを思い出すとともに、インドのバスの車内で流れていたボリウッド風の、よく日本のカレー屋等でかかっているような音楽が頭に浮かんでくるのでした。

ベリーダンスの衣装も、インドのサリーに似たものを感じますし、音楽も似ているし、ボリウッド映画もダンスの存在感は極めて大きい。何しろ中東とインドは地続きであるし、歴史的にも、インドはイスラーム政権であった時代があるのだから、考えてみれば近くて当然ですよね。

ムスリムの女性は、基本的に肌を出さないという戒律上の原則があるけれど、ベリーダンスの露出度は、では一体どういうことなのか、というジェンダー論的な疑問はさておくとしても、
「ダンス」というものの持つ効能は、人間にとってとても根源的な何かなのではないか、と私は思うふしがあります。

どの地域にも、その土地に根付く舞踏の文化があると思いますが、
舞う人と、そのダンスが「一致」したとき、それは一種のトランスのような境地に至るのではないかと思います。感覚的な言葉ですが、私の考える「一致」というのは、音楽に完全に没入して、その人の身体が踊りを完全にコントロールしているような状態のイメージです。「踊らされている」のではなく、踊りを完全に操っている、ような。。
ランナーズハイのような状態。見ている者も、その高揚感に引き込まれ、自分が踊っているわけではないのに、身体が熱を帯びて興奮してくるような感覚にさせられてしまう、そのような状態。

音楽とともにある、踊りというものは、そういう、自他ともに高揚感をもたらす、ある種の危険性を持ったものでもあるのかもしれない、と思うとともに、危険性、とは言ったものの、それは「解放」である、と、同時に思うのです。

人には、スポーツでも、音楽でも、踊りでも、アートでも、自らを「解放」する場が必要である、と思います。
でも、それは、一方で、「闘い」にすり替わりやすく(だからこそ「危険性」という言葉を使いました)、また「闘い」は手っ取り早いので、容易に人は、「争い」に、流れてしまうのだ、と思います。
でも、「解放」は、他者との「闘い」である必要は無いと思います。し、社会が複雑化した現代ならば、尚更そう言えるとわたしは思います。

長々と書いてしまいましたが、言いたかったこと、は、
舞うという行為は、昔から、そういった、容易に「闘い」にすり替わってしまいやすい、「解放」への道を提供するための、人びとが編み出した知恵であり、仕組みのようなものであったのではないか、ということです。

音楽が鳴ると、自然に身体が踊り出したいような感覚に襲われること、は、
そんな風に複雑な意味付けを行うことさえ、超越しているのかもしれませんが。

そして、なんと言いましても、やはり、舞いは、美しい。
そのことを改めて感得させられた、夜でした。

有り難く、とても、力をもらいました。

読書による逃避からの、更なる逃避と回想のU.S.A

辛くなったり、気力がなくなったりすると、
わたしは色々な場所に逃げ込んで、生きてきました。

それは、物理的な場所である場合もあったと思いますが、(旅に出る、という、物理的な移動を伴う「逃亡」であったり、遠出ではなくても、普段行かないところに出向いてみたり。)物理的な移動を伴わなくても、「逃亡」することはあります。

大抵、それは本や音楽でした。

その世界に入ることは、逃亡、なのでした。

梅雨、ですね。
雨は、嫌いではありません。何を隠そう、わたしは強い雨女で、事実、外に出たら雨が降り出す、なんてことも少なくないのです。。(やはりときどきは、鬱陶しいですね。)

少し、
『ライ麦畑でつかまえて(The catcher in the rye)』という小説で著名な、J.D.サリンジャーの短編集『ナイン・ストーリーズ』(新潮文庫)を読んでいました。

何が言いたいかというと、まあ、逃避なわけです。今の自分にとって。



次のステップに踏み出すために、
お世話になった会社を、退職したため、
今、次の進路に向けての準備をしています。
5月後半は、兄の結婚式in Australia、そして自分の退職、と
とても沢山のことがあり、自分でも今少しずつそれを整理しているような心境、です。
送別に際して、温かく接してくれた元上司や同期や同僚の人たちに、
心より、感謝しています。
それから、お世話になったお客さん。

色々なことを思い出しながら書き出すと、これまたずっと長くなってしまってまとまらなさそうなので、
ここではそんな今現在の自分の状況の中での、読書からのとあるちょっとした思索、みたいなものを書きます。
わたしにとっては読書、そして書くということ自体が、心を落ち着かせる、精神安定剤のようなものなのです。



『ナイン・ストーリーズ』ですが、
短い話の中で、
こんな風に、人間の心の動き、その機微を表現できる、て、素晴らしいなあ、と感心します。

小説という、フィクションの持つ力は、計り知れないものがありますね。

最近、小説の類を全然読んでいなかったので、小説の世界がとても新鮮に感じます。
もっと詩も読みたいです。詩って、文章の究極のかたちなのではないか、とか、最近少し思います。。。


深く深く、入って行きたい。

文章を読みながら、そのうちだんだん集中してきて、その文章の中に入っていって、情景が浮かんでくるその時間が、至福です。
映画を見ているような感覚に襲われる、その瞬間です。

『ライ麦畑~』の、世の中を斜めに見ている感(笑)もとても引き込まれましたが、
『ナイン・ストーリーズ』も、その斜に構えた感じがやはりあって。

単純ですが、アメリカに行きたくなります。。

20世紀前半~中頃くらいの、アメリカの感じが、好きなのかな。
映画『スタンド・バイ・ミー』も、大好き。
なんだかんだ言って、戦後生まれの日本人として、アメリカ文化の影響は自分が特別意識していなくても、身体の中に染み付いているのではないか、とそんな風にも思います。

考えてみたら、金曜ロードショーなんかで、ハリウッド映画ってほとんど洗脳と言っても良い程、有名な映画は特に何度も繰り返し放映されます。
子どもの頃にそれを見ていたら否が応でも影響受けて育つものな、て、今だから思う。。

ハリウッド映画の影響力の大きさ。。
兄の影響もあるけれど、スターウォーズも大好きだし、E.T.もバックトゥザフューチャーも、好き。。フルハウスとか、ERとか、アメリカのドラマも大好きだったし。。

様々な物事を知って行く中で、
商業的なものに対する疑問、そしてそれに続くアンチ・ハリウッド的な精神て大切だ、といつからか思うようになっていたけれど、
身体に染み付いた影響は、否定できないようだということに、気付きました。
それは、どういったらいいか、コカ・コーラやマックのポテトの、中毒性のようなものなのかもしれませんね。
ハリウッドでありディズニーであり。

ヨーロッパの映画を見るとやや難解に感じることが多く、ハリウッド映画が「ホーム」のように感じるのは、きっとそのせいだと思います。

国際政治や、イラク戦争のことや、集団的自衛権、TPP・・・
そんな事ども、そして先の大戦のことも含めて考えると益々、アメリカって、、、
と思う自分もいますが、
しかしどこの国に対してもそれは同じだけれど、文化的な側面から物事を見ると、
全然その印象は、違ってきますよね。
当たり前でありますが。

文化的なものの持つ力、は、
もっともっと、光が当てられても良いのではないか、と、思うのです。


また話がそれていきましたけれど・・・
本が、沢山読みたいなあ。。。。。
図書館や本屋に行くと、この棚ひとつでさえも、きっと一生かかっても読み切らない、、と思って、途方に暮れるんです、ときどき。
もっともっともっともっともっともっと、読みたいなあ。。

世界を知りたい、
と、つよく、思います。

オーストラリア。

兄が結婚式を挙げました。

場所はなんとオーストラリア。

こうやって書いてみると字面を見ただけでも何だか非現実的。笑。

親族だけのささやかな挙式。

ということで行ってきました、オーストラリア。

先ほど帰国したばかりで睡魔がピークですが、
思ったことをひとまず書き出しておこうと思いました。

前日は天候が崩れ雨で気温も低かったにもかかわらず、(オーストラリアはこれから気温が下がる、ちょうど秋くらいの時期)
挙式当日は見事なまでの快晴で、神が味方をしてくれたとしか思えないような好天でした。

美しく晴れ渡る海の近くの小さな教会で、執り行われた式。
親族が言うのも何ですが、それはそれは、素晴らしいものでした。

お嫁さんが、可愛すぎる。

兄、結婚できてまじで良かったなオイ。(心の声)


そして、オーストラリア。

さっき、成田から電車に乗って帰ってきたのですが、
なんと言うか、東京が違う星のように見えました。


夜、空を見上げれば、読んで字の如く、満天の星。

南十字星。

そして、海。誰もいない、やしの木の海岸線。

街路樹に集まる無数の鳥たち。

野生のワラビー。



この世の中には、守らなければならないものが、
あると、ときどきわたしはそんなことを思い出します。

うまく言葉にならないけれど、
私はそして、すぐに忘れてしまうけれど、
守らなければいけない、とても繊細で、簡単に失われてしまうであろうものが、
ときどき、目の前に表れます。

きっと、子どもの頃には、沢山それが見えていて、
それを壊すことと、失うことに、もっとずっと痛みを感じていた、
そういう、それ。

身勝手な大人が、容易に忘れ去る、それ。


オーストラリアはわたしに、
そんなものものを、また強く思い出させてくれた、と思います。


アボリジニーの地でもある、巨大な、古い大陸。
動物たちは独自の進化をとげ、豊かな自然を築いてきた、その地。
よく知られていることでもあると思いますが、
その動物たちは、減少しているものも多いのです。

守るものは、
バランスではないだろうか。

美しいものたちに、
感謝を込めて。