Un poisson rouge -97ページ目

感謝

変な時間に中途半端な睡眠をとってしまったからかもしれないが、眠れないので、不要な思考が頭を駆け巡るのを防ぐべく、とりあえず腹筋や背筋をした。
筋トレは良い。しながらふと思った。
今年は残り半分を既に切ったけれど、今年の目標は、「考える前に走る」にしよう。
必ずしも「走る」でなくてもいいのかもしれない。「動く」ということだ。
とかく脳が、思考が先に動いてしまうのは自分の特徴であるので、そしてそれによって大体は不要で余計な不安を呼んでしまったり、怒りや悲しみ等のネガティブな感情を、全く生産的でないことが分かっていながら招いてしまったりするので、それを未然に防ぐための措置である。

手でも身体でも、それを動かすことで無心になれる。動かしている間は、身体に神経を集中させることが出来るため、余計なことを考えなくて済む。これは、合理的ではないかと思う。


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私の、人生の恩人であり、メンターでもある、友だちが結婚をしました。

昨日(一昨日)は結婚式に出席させてもらい、
私の心は「感無量」という一言で埋まった。

長いように思える人生の時間は、瞬間瞬間が足されることで、出来上がっていく。

友人の素敵な姿を見たこと、幸せそうな笑顔を見たこと。
その瞬間、私は間違いなく、幸せであった。

温かい時間。
引き寄せの法則、というような言葉を最近よく耳にするけれど、
大好きな友人の下に集まった人たちは、本当に素敵な人たちで、
そんな人たちの中にいられた時間が、本当に最高であった。

幸せな瞬間の、その記憶は、
生きることに困難を感じたとき、きっと、ふと自分自身を支え、救ってくれるものなのだと思う。

神々しいとはこのことだ、と思った。
どう表現したら良いか、よく分からないけれど、そんな風に思った。

自信が持てなくて、すぐに「ああもうだめだ」とそれが癖であるかのように思ってしまう自分だけれど、
そんなこと思っても仕方ない、て、
素敵な人を見ると、その人の在り方、生き様が言ってくれているような気がする。
自信とは、文字通り、信じることから、始まると思う。
一歩踏み出す勇気が持てないとき、それは、自分自身の中に、疑いや恐れの感情があるときなのだと思う。
そんな弱さを蹴っ飛ばして、信念に向かう強さ。
それを自らの生き様で、いつも示してくれていたのは、友人だった。

信じることの強さを教えてくれた人。
希望を灯すということを、いつも指し示してくれた人。
彼女に出会っていなかったら、私の人生は全然別のものになっていた、と思う。
私の人生を変えてくれた人。

心から、おめでとう。
そして、本当に本当に、どうもありがとう。

いそぐなかれ

生きていると、色々なことがある。

感情も移り変わっていくし、怒りがわいたり、悲しかったり、寂しかったり、苦しかったり・・・

頭の中には、絶えず色々な想念が浮かんでは消えて行く。
未だ起こってもいないことを想像して不安になったり、過去にとらわれたり、
人間は、頭で勝手にそういう状況をつくりあげては、一喜一憂する、不思議で、変な生き物なんだ、と思う。

疲れたら、休めばいいんだ、と思う。

ぐっすり眠って、身体を休めて起きれば、頭もすっきりする。
また、新しい日が始まる。
それで、いいんだと思う。

ずっと同じものは無い。
時代も、季節も、人間も、移り変わっていく。
だから、今この瞬間を、より良く味わって、生きればいい、と思う。
全ては、移り変わって行くということ。
そのことを、どこかで分かっていれば、心は幾分も、穏やかでいられるのではないか、と思う。


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今年は、トーベ・ヤンソン生誕100周年ということで、雑誌等でも、
ムーミンの特集が組まれていたりする。

先日、コミック版のムーミンの本を、一冊買ってみた。
表紙もとても可愛らしい、絵本のような本。

テレビアニメとは大分違うタッチで描かれた、コミックのムーミン。

その、人の手で描かれたムーミンたちの何ともいえない愛らしさには本当に、顔がほころぶ。

解説では、ムーミンパパやムーミンママ、ムーミン自身は、
トレードマークであるパパのシルクハットや、ママのエプロンやハンドバックをとってしまうと、
見分けがほとんどつかないことに触れられていた。
それは、見た目には、性別や、年齢などが曖昧であることを意味するということ。
また、ムーミンの世界にあるそういった「曖昧さ」や「矛盾」のようなものは、
ムーミンの世界の魅力である、ということ、について書かれていた。

不思議で、訳の分からないものすら受け容れる、ムーミンの世界の寛容さ。

ずっと同じものはない、自然の世界と、それを受け容れて生きる、世界のどこかにいそうなキャラクターたち。

疲れたときには、ムーミンの物語を読むと、
不思議に、ああ、別に深く思い悩むことに意味はないかもなあ、というような気持ちになれる、と思う。

ムーミンの世界は、自然の世界の近くにあるような気がする。


参考:トーベ・ヤンソン、ラルス・ヤンソン著、冨原眞弓訳『ムーミン・コミックス 第14巻 ひとりぼっちのムーミン』(筑摩書房、2012年)

都議会での野次に思う、議論の大切さ。

都議会での野次が性差別発言として問題になった。

私は、日本は「言わない」ことを美徳とするような文化があって、
それは他者への配慮や気遣いから来ることでもあるので、そういった人への気遣いのできる高度な精神性は日本の文化の素晴らしい面であると思う。

一方で、言わないことで自分の持っている意見や感情を自分の内側へ溜め込んでしまい、苦しんでいる人も多くいるのではないか、と思う。和を尊ぶあまり、自分を抑え、それがストレスとなっている人。

日本の自殺者の多さもそういったことと全く関係のないことではないのではないかと思う。
自分の内側に感情を溜め込んでしまった結果、人に頼ることや助けを求めることもできず、苦しみ抜いて自ら死を選ぶ、というような場合も、中にはあるのではないか、と思う。

今回の都議会の件は、公の場である議会であのような発言がされたことが何よりも問題で、ネットでの署名も相当数集まり、今までも恐らく存在していたが見えてこなかったであろう問題が顕在化したことは、良かったのではないかと思う。

そういった意味で、特に日本のような、表向き、人との衝突や意見をするといったことが、「出る杭は打たれる」という言葉があるように、あまり良いこととされないような文化が根付いている国では、インターネットの持つ影響力は大きいと思う。

自分も、名前や住所等の個人情報を入力すると、インターネット上で署名活動に参加できるChange.orgというサイトで、今回の議会で差別的な発言をした人の特定を求めるための署名キャンペーンに参加した。
言いたくても声に出して言いづらい、言えないことを抱えている人にとって、インターネットという手段は、自分の考えや意見を発表するにはとても便利且つ有効なものとなりつつある、と思う。もちろん、インターネットの匿名性は、良い面も悪い面もあるという前提の上で。

今回の差別的発言については、政策を立案する立場にある人が、そのための意見を述べている人に対して、元も子もないような発言を公の場でしたことが問題であった、と私は理解している。自分が、政策を立案する立場である政治家であるという自覚を持って仕事に臨んでいたら、あのような発言は出て来ないのではないか。女性に問題を丸投げしているだけではなく、自らの仕事を放棄しているようにとれた。また、多くの人も述べているように、結婚をする、しないの選択、子どもを生む、生まないの選択は、ひとりひとりの人間が権利として持っているものであるはずである。また、それを望んでいても、様々な理由でそれが出来ない人もいる。
結婚や出産をしたくても、経済的な理由や、子育てをしやすい環境が調っていないというような状況が問題としてあることに対して、それを支援する体制を政策としてどのように作っていくべきか、という議論をする場のはずであったのに、問題を個人のものとして転化しているのは、筋違いである。

私は、早く結婚をしたほうがいい、という考えを個人的に誰かから自分に表明されたとしたら、その人にはそう思うに至った理由があるのであると思うし、それは個人的なひとつの意見として尊重するが、自分の考えとしては、先述のように、結婚する時期や出産をするかしないかといった問題は、当然個人が権利として持っているものであると思うし、個人的な意見でそのようなこと思っていたと仮にしても、「議員」としてそれを公の場で発言することは、個人レベルとは全く異なるので、やはり問題であると思う。まずは最低限、そこを押さえるべきだ、と思う。

私は、このような問題が今回の件で顕在化し、議論の対象となったということは、まず大きな一歩であると思う。
まずは、問題が「見える」ようになる、ということは、日本において特に、重要な問題ではないかと私は思っている。

人に対して愛情を持って、気遣いから「言わない」ということも、コミュニケーションにおいて大切なことではある、と思う。しかし、これからはどんな場でも、議論を活発にしていく、ということは日本でもっと広がっていくべきだ、と思う。