サイコロの目。
ふと、思ったのだけれど、
この世の中って、サイコロの目、みたい。
「1」の反対には、「6」がある。
もし、「1」の正反対が「6」だとしたら、
この世界に「1」が真理であると思っている人がいるのと同じように、
その全く逆の考え方である「6」が真理であると思っている人がいる。
しかし、どちらが真であるか、なんて、本当は誰も分からないのかもしれないし、
どちらも真であるとも言えるし、どちらも真でないとも言えるのかもしれない。
そう考えると、
私は日々「生きる」ということを試行錯誤しているのだけれど、
今、考えていること、自分が良しとしていること、そして実行していることは、実は、
その逆のほうが良いのかもしれない、とも言える。
これは何とも難しいことだ。
人によって、
ジンクス、のようなものってきっとそれぞれ異なっているのだろうけれど、
私は小さい頃から、何故か、
自分がこれだと思い込むもの、あるいは強く楽しみにするもの、は、
自分の想像した程は良い現実となって現れない。
これは悲しいことであるのだけれど、そういう経験をもう何度かしているので、その過程で、「あ、わたしはあまりに強く思いすぎたり、楽しみにしすぎたり、期待しすぎない方がいいんだ・・」と、思うようになった。
だから、どこかいつも冷めた自分を失わないようにしている所があるのかもしれない。
反対に、
ふっと、自分がまいた種が、思わぬかたちで、思わぬところで、
芽が出ることもあるのかもしれない。
沢山の種を、色んなところにまいておいて、
あとは自然にまかせておいたら、
いつの間にかその種が、忘れたころに芽を出す、なんてこともあるのかもしれない。
思いの力って、確かに大きいのだけれど、
でも、それと同じくらい、
自分の思うことと全く別の次元で、全く考えも及ばない視点で、回っている世界もあって、
その世界と自分の思考の世界が、何かのタイミングで交差して、
そこに面白いものが生まれる、ということもあるのかもしれない。
だから、自分の思考にとらわれすぎずに、
悲観的になりすぎずに、
うまくいかなくても、
ああ、「1」がだめでも、「3」もあるし、全く反対の「6」の世界だって、
この世の中にはあるんだ、
て、思えたら、
それは、それ自体が、素晴らしい気づきなのかもしれない、と、
思う。
ふたりの自分。
自分の中に、ふたりの自分がいるような気がする。
ひとりは、社会の中に生きる自分。
社会的に振る舞い、人と交流し、日常生活を送る、言わば、ごく普通の、自分。
もうひとりは、もっと野性的で、自然に耳を傾けていたい自分。
セネガルの村に行くとき、
見渡す限り乾いた大地を、ひとりで歩くときがある。
そんな時間が好きであることに、気づいた。
ジリジリと照りつける太陽を浴びながら、
遠くで草を食むロバを眺めながら、そんな道を歩いていくとき。
セネガルの暮らしは、日本の、特に東京のそれより、もっと野性的な感じがある。
外に一歩出れば、人間も牛もヤギも、同じ空間にいる。
朝起きるとき、最近は窓を、鳥がキツツキのように、コンコンすごい勢いで叩いている。(一応、アパートの3階なのですが。)
ヤモリやとかげも珍しくはない。
ここは町だけれど、村に行くともっと静かだ。(人はとてもパワフルだけれど。)
ここに来られて良かった、と、今日も感謝します。
この間、同任地隊員から、任期が終わっても、またセネガルに来ますか、と聞かれた。分からないから、うーん、どうかな、という感じで答えたけれど、今日馬車に乗りながらふと、またいつか戻って来たいな、と思った。
良いことも辛いことも、色々あるけれど、それを全部含めて、とても面白い経験をさせてもらっているし、何より、魅力的だと思うから。
この大事な時間を、大事に生きたい。
ひとときひとときを、大切に生きていきたい。
ちゃんと目の前のことを見て生きたい。
ふたりの自分の間を、行ったり来たりしながら、私はそんなことを思う。
両立。
今日は、夕方学校菜園の続きの作業をしに行く予定があるけれど、家でやる作業があるため、午前中は家。
今朝、親友に「ちゃんとしなきゃだめだよ」って、叱咤激励してもらう夢を見て、
その夢の中で私は嗚咽が止まらないほど号泣をしていて、
目が覚めた。
自分の中にある、「ちゃんとしなきゃ」という思いが、夢を通して表れたのだろうか。
自分の中に、
努力しても努力しても、足りないけれど、
何かを頑張ったとしても、それが人を傷つけることがあってはいけない、
という思いがある。
でもそれって実は簡単なことではないような気がする。
何かを頑張ること、目指すことで、
失うものも多いのではないか、と思う。
器用であれば、志や目標と、自分の人生で大切にすべき愛情の部分を、両立していける人もいるのかもしれないけれど。
私はそれが上手にできる自信が、まだないんだと思う。
でも、だからこそ、「ちゃんとしなきゃいけない」という思いが出て来るのだと思う。
難しいけれど、
愛情も、頑張るべき目標も、
両方大切にしていけたらな、と、
思う。