インドの報告。
私がインドで見聞きしてきたことの中のいくつかを、帰国後初めてのゼミで報告させてもらった。
私がインタビューした女の子が、どのように、私がお世話になった団体の代表のJohnさんに出会ったかという話の中で、「1ルピー下さい」と、話しかけたことがきっかけだった、という話を私が説明したら、ゼミのメンバーのひとりの方が、「これは素晴らしいことばだと思う」と言った。
理由は、日本では、この一言を言えない人がいるから、ということだった。
人間に対する信頼がなさすぎて、人に助けを求めることもできない人がいる。自分が生きるための最後の助けを、人に求めることができない人がいる。そういうことだった。
インドにあるもの。日本にあるもの。インドにないもの。日本になくなってきているもの。
たった3週間という時間の中で、私が見聞きし、感じてきたもの。
私は全然全てを伝えきれなかったと思う。
だからまた報告会をさせてもらう予定でいます。
私がインタビューした女の子が、どのように、私がお世話になった団体の代表のJohnさんに出会ったかという話の中で、「1ルピー下さい」と、話しかけたことがきっかけだった、という話を私が説明したら、ゼミのメンバーのひとりの方が、「これは素晴らしいことばだと思う」と言った。
理由は、日本では、この一言を言えない人がいるから、ということだった。
人間に対する信頼がなさすぎて、人に助けを求めることもできない人がいる。自分が生きるための最後の助けを、人に求めることができない人がいる。そういうことだった。
インドにあるもの。日本にあるもの。インドにないもの。日本になくなってきているもの。
たった3週間という時間の中で、私が見聞きし、感じてきたもの。
私は全然全てを伝えきれなかったと思う。
だからまた報告会をさせてもらう予定でいます。
インド日記②
インドで見聞きし感じたことを、まだ完全に消化しきれない自分がいる。
その中で、正直思い出せば気が重くなり、どう受け止めて良いか、自分がその事実とどう対峙すべきなのか、未だによくわからないような出来事も経験した。
物事を見るとき、ざっくり言えばどんなことでもマクロな視点と、ミクロな視点があると思う。
私は、学部生のとき、国際政治経済学部国際政治学科という長い名前の学部学科に所属していた。
世界の紛争や貧困は何故あるのか、そういう名前のところに行けば、わかるんじゃないかと思った。
国際政治はマクロな視点。政治体制、世界経済、安全保障等、主に国家というものが今の世界の構造の中でどのような論理で動いているのか、そういうことが主題であった。
国際政治を勉強しているとき、人びとの顔というのは、なかなか見えてこなかった。
「開発」「貧困」「紛争」、その中身は、どのようなものなのか。そのような名を冠された国ぐににいる人びとは、どんな人たちなのか。
私は今回インドに行って、「ストリートチルドレン」と呼ばれる子どもに出会った。
お世話になった団体では、今は路上の生活や労働から抜け出し、学校に通っている子どもたちに出会った。
以前路上で物乞いをして暮らしていたなんて、話を聞かない限りわからないような女の子。
街を一緒に歩いてたとき、自分の買ったお菓子の半分を物乞いしていた男の子に投げてパスしていた。
私が帰国する日、If you miss me, call me.と言いながら携帯で話すポーズをしてにやりと笑ってた。
ある日の夜、私がスタッフの人のお家で留守番していたら、スタッフの人が帰って来て"Come, come!"と言った。
スタッフの人曰く、日本人のスタッフの人が偶然、街で以前ボーンフリースクールにいた男の子を含む路上生活をするグループに出会ったというのだった。スタッフの人と私はバイクで現場に向かった。
そこには数名の男の子たちがいて、既に日本人のスタッフの人がおしゃべりをしていた。私も簡単な英語とジェスチャーで話をした。
男の子たちは、元気でフレンドリーだった。紙ごみなどを集めてお金をもらってるとか、どこでも寝るんだとか、そういうことを勢いよく話してくれた。他の子を指さして、こいつは働かないで物乞いだけしてる、みたいな感じのことも言っていた。
移動しつつ話を聞いていたら、移動した先の路上に、ひとりぽつんと座る女の子がいた。
女の子はぼーっと座っていて、目が虚ろだった。
日本人のスタッフの人が、その子は恐らくソリューションという修正液、つまりシンナーのようなものを吸っているみたいだと言っていた。良く見れば、手に何か握っていた。
女の子はしばらくすると汚れた袋からぼろの毛布のようなものを取り出して、その場で眠りにつこうとしていた。
信じがたい光景だった。こんなに小さな女の子が、こんなところに独りで眠る。しかも、ドラッグを吸って。
未だにその映像は頭から離れない。
路上で暮らす子どもは、たばこやソリューション(修正液)を買って吸う、ということが多いという。
また、ギャングのような仲間集団があり、その中で暴力や抗争が起こることも日常茶飯事だということも聞いた。
ボーンフリーにいた子どもたちの中にも、路上での生活の中でそのような経験をしてきたという子もいた。
生きるための盗みも日常茶飯事。
スタッフの人の話では、ボーンフリーのホステルに来て滞在するようになった子どもでも、盗みを働く子がいるという。実際に、そういうことが幾度かあったみたいだった。
でも、子どもたちは別に大金が欲しいわけでも、何か贅沢をしたいわけでもないという。
ただ理由を聞いてみると、ほんの小さいことなのだと言っていた。
お菓子が買いたかったとか、映画に行きたかったとか。本当に小額のものを求めているだけだという。
インタビューをした中で、ある女の子に、ボーンフリーに来て変わったことをスタッフの人に聞いてもらった。
その子は、路上にいたときは他の子をたたいたりしていたけれど、ボーンフリーに来て、他の人を尊重して、たたいたりしてはいけないということがわかった、ということを言っていたそうだ。
また、私がインタビューをした男の子の中に、私の滞在中に路上に戻ってしまったプレンという男の子がいた。年齢は13歳と聞いていたけれど、実際はもっと小さく見える。彼はボーンフリーのホステルから近くの公立の学校に通っていた。
彼に両親はおらず、唯一の家族であるおばあちゃんが、路上に暮らしていた。
彼がホステルから路上に戻ってしまった前日、何人かの子どもたちと私は路上で子どもたちが写真を撮るというワークショップをするために、彼が暮らしていた路上の周辺を歩いていた。彼はどこで寝ていたとか、歩きながら説明してくれていた。
その次の日、彼が路上に戻ってしまったと聞いて、まさかと思った。
彼には、路上にたくさんの友達がいて、唯一の家族もいる。
スタッフの人と朝、彼を探しに彼が路上で生活しているあたりに行ったら、彼はおばあちゃんの横ですやすやと眠っていた。
そこが路上であるということを除いては、普通の家族の光景のようだった。
スタッフの方が現地語で彼を起こして話しかけるも、彼は路上を離れようとしなかった。
その後、私が帰国する頃になって、スタッフの人はこんな話をしていた。
おばあちゃんはいつか亡くなってしまう。君はホステルに戻って、学校に行くことが、大切なんだ。だから路上なんかにいないで戻って来なさい。
そんな風に説得をしたそうだ。
すると、そんなことを言わないで、と、彼は涙を流していたという。
もっと英語が喋れたら、現地のことばわかったら、私にもっと色んな能力があったら。
そんなことを色々考えてた。
日本に帰ってきて、落ち着いて、やっとやっと、インドでの色々な経験が、少しずつ自分の中で整理できるようになってきた気がする。
私の見聞きして感じたことの全てを伝えることができなくても、ことばに変えて伝える努力をしよう。

子どもの撮った、ボーンフリーの子どもたちの写真(馬車)

子どもの撮った、夜の路上での風景
その中で、正直思い出せば気が重くなり、どう受け止めて良いか、自分がその事実とどう対峙すべきなのか、未だによくわからないような出来事も経験した。
物事を見るとき、ざっくり言えばどんなことでもマクロな視点と、ミクロな視点があると思う。
私は、学部生のとき、国際政治経済学部国際政治学科という長い名前の学部学科に所属していた。
世界の紛争や貧困は何故あるのか、そういう名前のところに行けば、わかるんじゃないかと思った。
国際政治はマクロな視点。政治体制、世界経済、安全保障等、主に国家というものが今の世界の構造の中でどのような論理で動いているのか、そういうことが主題であった。
国際政治を勉強しているとき、人びとの顔というのは、なかなか見えてこなかった。
「開発」「貧困」「紛争」、その中身は、どのようなものなのか。そのような名を冠された国ぐににいる人びとは、どんな人たちなのか。
私は今回インドに行って、「ストリートチルドレン」と呼ばれる子どもに出会った。
お世話になった団体では、今は路上の生活や労働から抜け出し、学校に通っている子どもたちに出会った。
以前路上で物乞いをして暮らしていたなんて、話を聞かない限りわからないような女の子。
街を一緒に歩いてたとき、自分の買ったお菓子の半分を物乞いしていた男の子に投げてパスしていた。
私が帰国する日、If you miss me, call me.と言いながら携帯で話すポーズをしてにやりと笑ってた。
ある日の夜、私がスタッフの人のお家で留守番していたら、スタッフの人が帰って来て"Come, come!"と言った。
スタッフの人曰く、日本人のスタッフの人が偶然、街で以前ボーンフリースクールにいた男の子を含む路上生活をするグループに出会ったというのだった。スタッフの人と私はバイクで現場に向かった。
そこには数名の男の子たちがいて、既に日本人のスタッフの人がおしゃべりをしていた。私も簡単な英語とジェスチャーで話をした。
男の子たちは、元気でフレンドリーだった。紙ごみなどを集めてお金をもらってるとか、どこでも寝るんだとか、そういうことを勢いよく話してくれた。他の子を指さして、こいつは働かないで物乞いだけしてる、みたいな感じのことも言っていた。
移動しつつ話を聞いていたら、移動した先の路上に、ひとりぽつんと座る女の子がいた。
女の子はぼーっと座っていて、目が虚ろだった。
日本人のスタッフの人が、その子は恐らくソリューションという修正液、つまりシンナーのようなものを吸っているみたいだと言っていた。良く見れば、手に何か握っていた。
女の子はしばらくすると汚れた袋からぼろの毛布のようなものを取り出して、その場で眠りにつこうとしていた。
信じがたい光景だった。こんなに小さな女の子が、こんなところに独りで眠る。しかも、ドラッグを吸って。
未だにその映像は頭から離れない。
路上で暮らす子どもは、たばこやソリューション(修正液)を買って吸う、ということが多いという。
また、ギャングのような仲間集団があり、その中で暴力や抗争が起こることも日常茶飯事だということも聞いた。
ボーンフリーにいた子どもたちの中にも、路上での生活の中でそのような経験をしてきたという子もいた。
生きるための盗みも日常茶飯事。
スタッフの人の話では、ボーンフリーのホステルに来て滞在するようになった子どもでも、盗みを働く子がいるという。実際に、そういうことが幾度かあったみたいだった。
でも、子どもたちは別に大金が欲しいわけでも、何か贅沢をしたいわけでもないという。
ただ理由を聞いてみると、ほんの小さいことなのだと言っていた。
お菓子が買いたかったとか、映画に行きたかったとか。本当に小額のものを求めているだけだという。
インタビューをした中で、ある女の子に、ボーンフリーに来て変わったことをスタッフの人に聞いてもらった。
その子は、路上にいたときは他の子をたたいたりしていたけれど、ボーンフリーに来て、他の人を尊重して、たたいたりしてはいけないということがわかった、ということを言っていたそうだ。
また、私がインタビューをした男の子の中に、私の滞在中に路上に戻ってしまったプレンという男の子がいた。年齢は13歳と聞いていたけれど、実際はもっと小さく見える。彼はボーンフリーのホステルから近くの公立の学校に通っていた。
彼に両親はおらず、唯一の家族であるおばあちゃんが、路上に暮らしていた。
彼がホステルから路上に戻ってしまった前日、何人かの子どもたちと私は路上で子どもたちが写真を撮るというワークショップをするために、彼が暮らしていた路上の周辺を歩いていた。彼はどこで寝ていたとか、歩きながら説明してくれていた。
その次の日、彼が路上に戻ってしまったと聞いて、まさかと思った。
彼には、路上にたくさんの友達がいて、唯一の家族もいる。
スタッフの人と朝、彼を探しに彼が路上で生活しているあたりに行ったら、彼はおばあちゃんの横ですやすやと眠っていた。
そこが路上であるということを除いては、普通の家族の光景のようだった。
スタッフの方が現地語で彼を起こして話しかけるも、彼は路上を離れようとしなかった。
その後、私が帰国する頃になって、スタッフの人はこんな話をしていた。
おばあちゃんはいつか亡くなってしまう。君はホステルに戻って、学校に行くことが、大切なんだ。だから路上なんかにいないで戻って来なさい。
そんな風に説得をしたそうだ。
すると、そんなことを言わないで、と、彼は涙を流していたという。
もっと英語が喋れたら、現地のことばわかったら、私にもっと色んな能力があったら。
そんなことを色々考えてた。
日本に帰ってきて、落ち着いて、やっとやっと、インドでの色々な経験が、少しずつ自分の中で整理できるようになってきた気がする。
私の見聞きして感じたことの全てを伝えることができなくても、ことばに変えて伝える努力をしよう。

子どもの撮った、ボーンフリーの子どもたちの写真(馬車)

子どもの撮った、夜の路上での風景
インド日記①
インド南部、カルナタカ州・バンガロールへの3週間の滞在を終え、19日に帰国した。
インドの路上で働く子どもたちが正規の教育課程へ進めるよう、橋渡しとしてアートを学ぶ機会を与えることを軸として、子どもが希望する場合はホステルへ滞在させてそこから学校に通わせたりする活動を行っているBornFreeArtSchoolのスタッフの方々にお世話になり、子どもたちと生活したり、路上の子どもと接触したり、その団体で現在制作中の、路上にいた子どもたちが主演するフィルムの字幕やパンフレット制作のちょっとしたお手伝いをしたりしていた。
バンガロールは大きな都市で、グリーンシティと呼ばれている大きな木々と緑の多い美しいところ。
木々にリスが走っているのをよく見た。街にはそれから、犬、牛、やぎ、猿などなど、色んな動物が人間と共存していた。
そんな小奇麗な都市、バンガロールは、もしかしたらインドの他の都市とは雰囲気が違うのかもしれない。ガイドブックにもそんなようなことが書いてあった。
それでも、インド初上陸の私にとってのインドの印象は、日本と何もかも違う国、だ。
インドの人は携帯が大好き(に見える。)しょっちゅう電話が鳴って話している。ノキアオンパレード。日本ではメールの方が頻度が高いと思うけれど、インドの人は本当によく電話で話している。街にはIT系のでかい会社だとか、キングフィッシャーというインドのビール会社の人がつくったやたらとでっかいショッピングモールのようなビルとかもある。でも街のゴミをあさっている牛や野良犬が普通にいるし、車道を牛がのそのそと歩いてもいる。テント村のような明らかなスラムもある。街を歩くと、いつの間にか脇に物乞いの人が手を出していたことに気づくことも何度かあった。
色々なものが一緒に、ある。市場のある活気のある通りでは、キリスト教の教会とイスラームの寺院とヒンドゥーの寺院がすぐ近くにあった。至るところにある(いる)カラフルな神様はヒンドゥーの神様だ。早朝や昼、夜など何度かどこからともなく必ず聞こえてくる渋いおじさんの声は、コーランを唱える放送。人びとの格好も違う。ムスリムの女性は、全身黒いベールで目だけ出ているからすぐわかる。ことばもたくさんあると聞いた。バンガロールはカンナダ語という言語が主言語だけれど、タミル、テルグ、マリヤラム、ウルドゥー、公用語のヒンディー…などなど。本当に多様性のある国であることを、3週間の滞在でも実感。
私は子どもの滞在するホステルと、スタッフの方のお家と、お家兼スタジオを行ったり来たりの生活を送っていた。バンガロール市内の交通手段は主にバイクか車か公共バスかオートリキシャー(タクシーのようなもの)。滞在中、横断歩道や信号の類は一度も見なかった。車とオートリキシャーとバイクがプッププップとクラクションを引っ切り無しに鳴らしまくる。歩行者は車の途切れるタイミングを見計らって横断する。公共のバスは来たら人がどどっと入り口にスライディングする。来たらダッシュで乗り込まないとバスは待ってくれないから大変。そして滞在中何度かスタッフの方のバイクの後ろに乗っけてもらったりしたのだけれど、忘れもしない…一度バイクの後ろに乗せてもらうときにバランスを崩してバイクとスタッフの方と私ともども横倒れしてスタッフの方にちょっと怪我を負わせてしまったのだ…本当に何やってるんだろうと思いながら何度も謝り、その後「バイクの後ろの正しい乗り方」を教えてもらったのだった笑。
3週間は短かった。自分にとって学ぶことが多すぎてまだ全てを消化している気がしないくらい。
3週間分を一回じゃ書ききれないので何度かに分けて書くことを目論み中。写真もアップしていきます。
まずは、お世話になったボーンフリーの代表でありアーティストであるジョンさんのクールなジープの写真を。
バンガロールの空港に着いて、ゲートを出てジョンさんに会ったとき、空港前に並んだ車を指差してジョンさんは「どれだと思う?」と私に聞いた。このジープの助手席にはベルギーから私より1週間程早く来ていたエヴァという同じ歳のとても可愛らしいお嬢さんが乗っていて、しかもこのジープは他の乗用車に比べて見ての通りかなり目立っていたのでちょっとまさかと思いながら「これ?」って聞いたら「当たりー!」てな具合だったのでびっくりした。
インドでの3週間は、自分が試されていると思った。
忙しい日本人スタッフの方以外日本語の通じる人の一切いない環境で、現地の状況を把握しながら、限られた時間の中で自分のなすべきことを見失わないでことを進めていくこと。それは自分が試されていた。
行く前から頭ではわかっていたことだけれど、普段母国で自分のことばで何の気なしに人に意思を伝えることができ、人にいくらでも頼れるという環境とは違う。習慣もコミュニケーションの仕方も全然違う。否が応でも自分の持つ能力をさらけ出さざるを得ない中で、日本でぬくぬく生活している中では気づかない自分の姿に気づけた。自分という人間が浮き彫りになった感じがした。ああ、私っていつもすごく人に頼って生きてたんだな、とか、臆病だなとか、優柔不断なんだな、などなど…
これは物凄く良い経験であったと思う。自分の駄目だと感じる面がよく見えたのだから。インドでは自分の意思をはっきりと相手に伝えることがとても多く求められたように感じる。「あなたは何がしたいの?」「どれがいいの?」「どっちが好きなの?」いつもいつも、「君の意見は何か」それが最重要視された。全ては自分からどしどし行かなければいけないのだ。「えっとー」「どれでも良いです」とか言うとはっきり答えてほしそうな対応が返ってきた。日本とは間逆の世界に始めは腰が引けそうになった。自分が「日本人」であることを痛く実感した。それと同時に意見を言おうと思ってもなかなかうまく言えない自分のスピーキング力の低さにも何度も幻滅して、本当に落ち込んだ…
インドの3週間で感じたことや学んだことは山ほどある。
今ごろになってやっとそれらがことばにできるくらいにまとまってきたように思う。(遅…)
だから少しずつことばにする。
インドにいる間、ずっと人にお世話になりっぱなしで、子どもたちにだってインタビューに協力してもらったけれど、私からこれといって何かお返しできたわけじゃない。
子どもたちはたくましい。というか、たくましくならざるを得ない環境で生き抜いてきたのだと思った。
路上で働いていた子どもが滞在するホステルで、結構な重たい水がめを小さな女の子がヒョイと持ち上げ「問題ないよ」という顔をして運んでいた。水道が出ないホステルでは水はひとつの場所からキッチンやトイレに持っていく。停電しても普通の顔してすぐにキャンドルに灯をともして料理を続ける。
お行儀が良くないことは多々見受けられるし、次の日学校なのに夜遅くまで騒いでいたり、学校遅刻したり勝手に休んだり色々あったけれども、基本的にはたくましくて元気だ。
ラヴィという男の子が馬車を器用に操縦してバス停まで私たちを送ってくれたこともあった。
また道が分からない私を高校生のアナンという子はホステルからスタッフの方の家まで自転車の後ろに乗せてくれた。私の体重+ノートPCの入った荷物で相当重かったはず。本当に大丈夫かなと心配になって何度も「Are you OK?」と聞いたけれど、「OK, OK!」と答えて額にうっすら汗をかきながらもときどき歌とか歌いながらインドの凸凹道路を40分ほど走りきってくれた。
そんな子どもたちの持つバックグラウンドは壮絶だ。
道で物乞いをしていた。親はいなくて、兄弟に売られて働いていた。朝から晩まで家事労働していたけれどそこの主人がご飯を出してくれなくてチョコレートしか食べられなかった。父親から暴力を振るわれ路上でココナツを売る仕事をしていた…等々。
今は元気に見える子どもたちも、きっと自分でも何が何だかわからないままたくましくならざるを得ない環境で生きてきたのだと思う。そういうこともあってか、多くの子どもたちは体が実際の年齢の相応と思われる大きさより大分小さく見えた。元気でやんちゃなんだけれども。
* * *
インドの人から言われて、私が答えに困った質問。
「あなたの人生の目的(aim)は何だ?」
なんて質問をいきなり!!と思って、すぐに答えられない自分がいた。
自然にそういう質問が会話に出てくるところがすごい。
私の当面の目的は、この質問に答えられるようになることかもしれない。
こういうストレートな感じ、でも私はすごい好きだ。
今でもこの質問が、自分の中で反芻されている。
「あなたの人生の目的(aim)は何だ?」
私はこのことばから、何かすごく「人生に挑戦してやろうじゃん」みたいな前向きなエネルギーの匂いを感じたから、びっくりしたのだ。
そんな質問が自然にできちゃうのって、すばらしいじゃん。
ああー書きすぎた!!!w
歴代で一番長い記事ではないだろうか…。長っ。
もう何度かに分けて、見聞きして感じたことをことばにしようと思う。
論文とはまた別として、私のなすべきことはまず記すことではないかと思うから。
市場付近の通りとヒンドゥー寺院
※ ヘッダーの写真:
ボーンフリーに以前いた男の子(今は青年)の故郷に連れていってもらったときに撮った村の一角の様子。洗濯物とやぎ。
インドの路上で働く子どもたちが正規の教育課程へ進めるよう、橋渡しとしてアートを学ぶ機会を与えることを軸として、子どもが希望する場合はホステルへ滞在させてそこから学校に通わせたりする活動を行っているBornFreeArtSchoolのスタッフの方々にお世話になり、子どもたちと生活したり、路上の子どもと接触したり、その団体で現在制作中の、路上にいた子どもたちが主演するフィルムの字幕やパンフレット制作のちょっとしたお手伝いをしたりしていた。
バンガロールは大きな都市で、グリーンシティと呼ばれている大きな木々と緑の多い美しいところ。
木々にリスが走っているのをよく見た。街にはそれから、犬、牛、やぎ、猿などなど、色んな動物が人間と共存していた。
そんな小奇麗な都市、バンガロールは、もしかしたらインドの他の都市とは雰囲気が違うのかもしれない。ガイドブックにもそんなようなことが書いてあった。
それでも、インド初上陸の私にとってのインドの印象は、日本と何もかも違う国、だ。
インドの人は携帯が大好き(に見える。)しょっちゅう電話が鳴って話している。ノキアオンパレード。日本ではメールの方が頻度が高いと思うけれど、インドの人は本当によく電話で話している。街にはIT系のでかい会社だとか、キングフィッシャーというインドのビール会社の人がつくったやたらとでっかいショッピングモールのようなビルとかもある。でも街のゴミをあさっている牛や野良犬が普通にいるし、車道を牛がのそのそと歩いてもいる。テント村のような明らかなスラムもある。街を歩くと、いつの間にか脇に物乞いの人が手を出していたことに気づくことも何度かあった。
色々なものが一緒に、ある。市場のある活気のある通りでは、キリスト教の教会とイスラームの寺院とヒンドゥーの寺院がすぐ近くにあった。至るところにある(いる)カラフルな神様はヒンドゥーの神様だ。早朝や昼、夜など何度かどこからともなく必ず聞こえてくる渋いおじさんの声は、コーランを唱える放送。人びとの格好も違う。ムスリムの女性は、全身黒いベールで目だけ出ているからすぐわかる。ことばもたくさんあると聞いた。バンガロールはカンナダ語という言語が主言語だけれど、タミル、テルグ、マリヤラム、ウルドゥー、公用語のヒンディー…などなど。本当に多様性のある国であることを、3週間の滞在でも実感。
私は子どもの滞在するホステルと、スタッフの方のお家と、お家兼スタジオを行ったり来たりの生活を送っていた。バンガロール市内の交通手段は主にバイクか車か公共バスかオートリキシャー(タクシーのようなもの)。滞在中、横断歩道や信号の類は一度も見なかった。車とオートリキシャーとバイクがプッププップとクラクションを引っ切り無しに鳴らしまくる。歩行者は車の途切れるタイミングを見計らって横断する。公共のバスは来たら人がどどっと入り口にスライディングする。来たらダッシュで乗り込まないとバスは待ってくれないから大変。そして滞在中何度かスタッフの方のバイクの後ろに乗っけてもらったりしたのだけれど、忘れもしない…一度バイクの後ろに乗せてもらうときにバランスを崩してバイクとスタッフの方と私ともども横倒れしてスタッフの方にちょっと怪我を負わせてしまったのだ…本当に何やってるんだろうと思いながら何度も謝り、その後「バイクの後ろの正しい乗り方」を教えてもらったのだった笑。
3週間は短かった。自分にとって学ぶことが多すぎてまだ全てを消化している気がしないくらい。
3週間分を一回じゃ書ききれないので何度かに分けて書くことを目論み中。写真もアップしていきます。
まずは、お世話になったボーンフリーの代表でありアーティストであるジョンさんのクールなジープの写真を。
バンガロールの空港に着いて、ゲートを出てジョンさんに会ったとき、空港前に並んだ車を指差してジョンさんは「どれだと思う?」と私に聞いた。このジープの助手席にはベルギーから私より1週間程早く来ていたエヴァという同じ歳のとても可愛らしいお嬢さんが乗っていて、しかもこのジープは他の乗用車に比べて見ての通りかなり目立っていたのでちょっとまさかと思いながら「これ?」って聞いたら「当たりー!」てな具合だったのでびっくりした。
インドでの3週間は、自分が試されていると思った。
忙しい日本人スタッフの方以外日本語の通じる人の一切いない環境で、現地の状況を把握しながら、限られた時間の中で自分のなすべきことを見失わないでことを進めていくこと。それは自分が試されていた。
行く前から頭ではわかっていたことだけれど、普段母国で自分のことばで何の気なしに人に意思を伝えることができ、人にいくらでも頼れるという環境とは違う。習慣もコミュニケーションの仕方も全然違う。否が応でも自分の持つ能力をさらけ出さざるを得ない中で、日本でぬくぬく生活している中では気づかない自分の姿に気づけた。自分という人間が浮き彫りになった感じがした。ああ、私っていつもすごく人に頼って生きてたんだな、とか、臆病だなとか、優柔不断なんだな、などなど…
これは物凄く良い経験であったと思う。自分の駄目だと感じる面がよく見えたのだから。インドでは自分の意思をはっきりと相手に伝えることがとても多く求められたように感じる。「あなたは何がしたいの?」「どれがいいの?」「どっちが好きなの?」いつもいつも、「君の意見は何か」それが最重要視された。全ては自分からどしどし行かなければいけないのだ。「えっとー」「どれでも良いです」とか言うとはっきり答えてほしそうな対応が返ってきた。日本とは間逆の世界に始めは腰が引けそうになった。自分が「日本人」であることを痛く実感した。それと同時に意見を言おうと思ってもなかなかうまく言えない自分のスピーキング力の低さにも何度も幻滅して、本当に落ち込んだ…
インドの3週間で感じたことや学んだことは山ほどある。
今ごろになってやっとそれらがことばにできるくらいにまとまってきたように思う。(遅…)
だから少しずつことばにする。
インドにいる間、ずっと人にお世話になりっぱなしで、子どもたちにだってインタビューに協力してもらったけれど、私からこれといって何かお返しできたわけじゃない。
子どもたちはたくましい。というか、たくましくならざるを得ない環境で生き抜いてきたのだと思った。
路上で働いていた子どもが滞在するホステルで、結構な重たい水がめを小さな女の子がヒョイと持ち上げ「問題ないよ」という顔をして運んでいた。水道が出ないホステルでは水はひとつの場所からキッチンやトイレに持っていく。停電しても普通の顔してすぐにキャンドルに灯をともして料理を続ける。
お行儀が良くないことは多々見受けられるし、次の日学校なのに夜遅くまで騒いでいたり、学校遅刻したり勝手に休んだり色々あったけれども、基本的にはたくましくて元気だ。
ラヴィという男の子が馬車を器用に操縦してバス停まで私たちを送ってくれたこともあった。
また道が分からない私を高校生のアナンという子はホステルからスタッフの方の家まで自転車の後ろに乗せてくれた。私の体重+ノートPCの入った荷物で相当重かったはず。本当に大丈夫かなと心配になって何度も「Are you OK?」と聞いたけれど、「OK, OK!」と答えて額にうっすら汗をかきながらもときどき歌とか歌いながらインドの凸凹道路を40分ほど走りきってくれた。
そんな子どもたちの持つバックグラウンドは壮絶だ。
道で物乞いをしていた。親はいなくて、兄弟に売られて働いていた。朝から晩まで家事労働していたけれどそこの主人がご飯を出してくれなくてチョコレートしか食べられなかった。父親から暴力を振るわれ路上でココナツを売る仕事をしていた…等々。
今は元気に見える子どもたちも、きっと自分でも何が何だかわからないままたくましくならざるを得ない環境で生きてきたのだと思う。そういうこともあってか、多くの子どもたちは体が実際の年齢の相応と思われる大きさより大分小さく見えた。元気でやんちゃなんだけれども。
* * *
インドの人から言われて、私が答えに困った質問。
「あなたの人生の目的(aim)は何だ?」
なんて質問をいきなり!!と思って、すぐに答えられない自分がいた。
自然にそういう質問が会話に出てくるところがすごい。
私の当面の目的は、この質問に答えられるようになることかもしれない。
こういうストレートな感じ、でも私はすごい好きだ。
今でもこの質問が、自分の中で反芻されている。
「あなたの人生の目的(aim)は何だ?」
私はこのことばから、何かすごく「人生に挑戦してやろうじゃん」みたいな前向きなエネルギーの匂いを感じたから、びっくりしたのだ。
そんな質問が自然にできちゃうのって、すばらしいじゃん。
ああー書きすぎた!!!w
歴代で一番長い記事ではないだろうか…。長っ。
もう何度かに分けて、見聞きして感じたことをことばにしようと思う。
論文とはまた別として、私のなすべきことはまず記すことではないかと思うから。
市場付近の通りとヒンドゥー寺院
※ ヘッダーの写真:
ボーンフリーに以前いた男の子(今は青年)の故郷に連れていってもらったときに撮った村の一角の様子。洗濯物とやぎ。

