Un poisson rouge -161ページ目

おもう。

経済状況や家族関係、心身の健康、色々な条件のある中で、すごく頑張れる一部の人だけが夢を見たり、挑戦したり。でもそのためには大変な思いをして懸命に自分を追い込まなければいけないような状況があって、一方そうではなく一般的な感覚を持った人は激務に襲われたり病んだり何故かとても持続可能ではないような暮らしをしなくちゃならない。

複雑な社会の状況を全部すっとばして、ちょっと語弊のあるような大ざっぱな言い方をしてしまえば、今の日本てそんな感じではないかと私はちょっと思っている。
また、そんな状況を普通に耳にする。

そして考えたり迷ったりのんびりと人生を楽しんだり、そういうことをしている時間や余裕が許されない。
普通に考えて若者にはボランティアとかはあまり根付かないと思う。だって余裕がないから。


そういう問題は指摘されてきてはいるけれど状況は少しずつ変わってゆくのだろうか。

挑戦を許せる社会になるべきだと思う。


がおー。


明後日から3週間インドに旅立ちます。



生きるってことを考える。

生きたい。













きらり

とことん突き進んでほしい。

欧州の地に、独り飛び込んで、夢への歩みを進める友だち。

心から応援しています。


すごく嬉しいよ。
ほんとに良かったね。



一年後が、楽しみです☆


私も頑張ろう。

それは何

ひとりの人間の中には、光と闇があると思う。

全てのものごとにそれらがあるのと同じように、そうなのではないかと思う。

長所は短所であり、その逆も真なのだから、当たり前と言えば当たり前かもしれない。

でも、そういうことが言いたいのではない。

人には皆、それぞれの役割、というか、心地よく居られるところ、というか、考えすぎたり苦悩しすぎたりしなくても良い地点、のようなものがあると思う。うまく言えないけれど。

そこへゆくことを阻害している、自分の中の何か、それが「闇」であるとする。
別に「闇」じゃなくても良いのだけれど、たとえばの話、「闇」という名前を仮に付けるとする。「地獄」とか、何でもいいけれど。

その闇を完全に克服したり、乗り越えたりすることができなくても、その闇が何なのか、どこから来ているのかを知っているのと知らないのでは、大分違うのではないだろうか。

あくまで自分の色めがねを通しての分析でしかないけれど、やはり家族は大きいと思う。自分の場合を考えてそう思う。

家族との関係。それが、私の場合は、自分の中の当面の課題なのだ、きっと。

どうしても避けて通れない。

そういう思いが強くなってきている。


「何故」を追求していくことに、最近少し疲れている。というか、その終わりなきスパイラルにはあまり意味がない気がする。

何故私は朗らかでいられないんだろう。何故私は大多数の人が考えるような基準でものが考えられないんだ。


朗らかな自分でいたい。朗らかとまで行かなくとも、ふつうでいたい。
誰だってきっとそうだろう。誰だって幸せを求めてるんだと思う。

論理的思考力が欲しい。論理だった説明ができれば、誰かが賛同してくれるだろうか。
自分に自信がないのだ。自信がないと勇気もない。どうしたのだろう、私は。


深すぎる。思った以上で、自分でも途方に暮れてしまいそうだ。


最高に弱虫。向き合うことの怖さ。だけれど越えなくてはいけないものが、迫りつつある。

誰かがもし反論の余地もない正論を述べてきたら、今のあたしはポキっと折れてしまいそうだ。
そんな程度。正論に折れてしまう。それは自分の中に「確かさ」が無いことの証左に他ならない。


どうしてこんなブログを書いているのだろう…
あ、また問うてしまった…


翌々週には、インドにいる。
とにかく、行かなければいけないと思った。
短い滞在で一体何がわかるのか、見えるのか、と言われればそれまでかもしれないが、行かなければいけないと思った。


私は自分に「確かさ」を問うているのだと思う。




ノートのメモ書き。


頭と体と心がちぐはぐで、一致してない感じ。
「楽しい」ってどんな感覚だっけ。
誰かに寄りかかりたくなる自分。
でも他者は他者であるということもわかっている。
スピードについていけない。
あたしはこの社会で落ちていくのだろうか。