Un poisson rouge -156ページ目

政治

今日仕事で1936年ごろ~1941年ごろのドイツで発行されていた経済系の週刊誌のリプリント(印刷して製本し直したもの)の、乱丁・落丁・文字切れなどのチェックをしていた。

年代的には、ナチス政権真っ只中のドイツである。

会社の先輩曰く、はじめその週刊誌の発行に携わっていたのはリベラルなエコノミストであったそうだが、彼らはやがてアメリカに亡命してしまったそうだ。

私はドイツ語が読めないので、内容の如何はわからないのだが、当時の広告を見ているだけでも、色々と思うことがある。

ヒトラーの顔の広告が、さりげなくのっていたりする。
後は、普通に、今でも有名なドイツの車メーカー、BMWやベンツ、電器メーカーのシーメンスなどの広告。

記事の内容は、ドイツや、世界各国の経済事情等、だそうだ。

当時は恐らく言論統制の最中であったと思われる。
ナチス政権に反するような記事を書くことはできなかったと想像する。

だから普通の広告の間に、ヒトラーの顔の広告が載っていたのだろう。

そして、(ドイツ語の辞書片手にちょっと調べたりしながら作業していたのだが、)『新しい行動のための力!』というキャッチコピーに、満面の笑みの男性の絵の広告。その下の文章には「戦争」という単語。

普通の週刊誌の記事に見えるのだけれど、今の感覚からすると、やっぱり何か臭う。


このころ、日本でも同様に、戦意高揚の広告やプロパガンダが新聞等に盛んにのっていただろう。

当時、実際に週刊で発行されていたものだと思うと、何だか背筋がぞくぞくするような思いにかられた。


日常が、さりげなく、少しずつ変化し、いつの間にか、それと気づきもしないうちに、その渦に巻き込まれてしまったのだとしたら。


政治、というのは、そういう、さりげなく事が進行していくという点で、とても恐ろしくもあり、見過ごすことのできないものであり、見過ごすべきではないものなのだと思う。


社会は、やはり、政治に左右されてしまうものなのか。
社会を善くするも悪しきにするも、結局は政治なのか。


だとしたら。
と、
政治を軽視すべきではないのだと、言葉面で分かっていながら、改めて自分に問いかけずにはいられなかった。

自分の子どもの世代に、何を残すのか。

それを今真剣に考えずしていつ考えるのだろう。

そう思えてならない、今。


身体を。

最近感じること。


言葉が氾濫している。

今綴っているのも、言葉なわけなのだけれど。


言葉は「固定」することを、避けられない運命にある。
そして、言葉は、現実から浮遊してしまうことを、避けられない。

でも、世界は、自然は、絶え間なく動き続けている。





「自然」と相互に関係を結び、「営む」こと、「つくる」こと。

そういう中に真実があるのではないか、と、思う。というか、
前から、何となく思っていた。


作業しよう。動こう。営もう。踊ろう。

氾濫する言葉に疲れたら。

生活に、身体を。



2011年6月13日‐14日、宮城県亘理町と山元町を訪れて(3.11から3カ月と2日)

圧倒的な自然の威力は、ときとして、無情なまでに、人のつくり上げた全てを、破壊する。
何もかもが、瞬時に、そのエネルギーによって、壊されてしまう。

この世の中で、壊れないものはない。形あるものは全て、いつかは壊れゆく。変わっていかないものは、何もない。

草も木も、花も、動物や人のいのちも、いつかは亡くなることが分かっている。私たちは生まれながらにして、そのことに気づいている。

だけれど、この短い、生きている間に、人はさまざまなことを知り、感じることができる。

たとえ、形が失われて、触れることや見ることができなくなったとしても、確かに、知ったことや感じたことは、生きている人の中で、咀嚼され、幾度も再生することができる。まるで今そこにあるかのように、今ここに、生きているかのように。

形がなくなっても、時間や記憶は、簡単になくなることはない。


大切な人と触れあった時間や記憶は、鮮やかに、確かに、人の中に残って、その人の精神を豊かにし、照らしてくれるのではないかと思う。

だから、ずっとつながっていく。生きていた人、まち、その記憶、時間は、生きる人の中に残り、響き、流れていくと思う。それが繰り返され、世代を経て、続いていくのだと思う。新しい、営みとなっていくのだと思う。

* * *

そこにあったであろう家、電柱、店、線路。そういうものが全てなくなっていた。
そこでは鳥の声がして、風が吹いていた。人の気配は、あまりなかった。

ボランティアセンターは、活気があった。各地から集まった人びとのメッセージや、励ましで、溢れていた。
ゼロから立ち上げて、センターの仕組みが回るようになるまで、きっとたくさんの人の努力と、苦労があったに違いない。
たくさんの人びとが、大きな意志を持って、集い、知恵と力を出し合って、手探りでも、一歩一歩つくり上げてきたのだろうと思った。人の力の強さを感じた。

写真の洗浄作業を行うテントでは、ボランティアの人たちをとりまとめるリーダーのような役目を担っている女性がいた。彼女は、震災前、社会福祉士として地元で働いていたという。けれど、この震災による津波で、職場が流されてしまい、今は毎日、その場に通って、写真を洗浄する作業に励んでいると語っていた。
気丈であった。とても力強く、誇りを持って、作業をしているように見えた。

* * *

家や職場が流されてしまった人、家族や友人を失った人、行方の分からない人。未だに、避難所で生活を送る人。仮設住宅で、生活を始めた人。
山と積まれた瓦礫と、壊れた建物や車。

もの言わない自然の威力に、ことばを失った。
ことばが出てこない。衝撃的な光景が眼前にあった。


営みを紡ぎ直そうとする、人びとの息吹。
温かさがあった。

簡単ではないだろう。でも、それが希望だった。


物理的に、具体的に、自分ができることなんて、ほとんどないかもしれない。
忘れないこと。それが何になるのか。今でも、自分がすべきことは何だろう、と思っている。
でも、知った以上、また訪れること、伝えることは、できる。

そこで生きる人たち。復興のために集まった人たちのこと。
そして、あの町のこと。




この機会を与えてくれた友だち、そして全行程をコーディネートし、送迎し、案内して、受け入れてくれた「ふらっとーほく」を主催するまっつん、ボランティアセンターの人たち、一緒に作業した人たち、触れあった全ての人に感謝を込めて。