Un poisson rouge -153ページ目

人間考2

先ほどの記事を、もっと言えば、

他者とは、わたしを映す鏡に他ならない、と思う。


わたしがコミュニケーションをする相手は、わたしの発する言動で、その態度が変わる、と単純に考えたら、

わたしは他者をつくっている存在であり、逆もまた然り。


他者とわたしは、連鎖する関係だと思う。



人間考

結局、人は、自分の生まれた意味を見出したい存在なのだと思う。

この人生には意味があり、自分は必要とされていると思いたい。

そういう存在なのではないかと、わたしは思う。

そう思っているこのわたしは、「わたし」という人間の視点からしか物事を見れないのだから、

他の人が本当にそうなのかどうかは、本当は、永遠に分からないのだけれど。

わたしは、ただ、ただ、「わたし」の視点で、一生、ものごとを見続ける運命にある。

だから、他の人が本当は何を考えていて、何を思っているかは、分からない。

「わたし」の視点でしか物事を見れない「わたし」は、とても孤独なのかもしれない。

そして、それは、「わたし」が生まれたときから、死ぬまで、ずっとずっと続いていくのだ。


* * *


感情を消すことは、仙人ばりの修業でも行わない限り、無理だと思う。

人間は、好きと嫌いを越えられない存在だと思う。

感情とは、突き詰めれば、「好き」と「嫌い」ではないかと思う。


どんな綺麗事にも、「好き」と「嫌い」は勝てない。


「好き」と「嫌い」が無くなったとき、「自分」が無くなると思う。

それはどんな境地だか今のところまだわからないが、そうなったら、とても楽に生きられるのかもしれない。

わたしが想像できる範囲での、自分が無くなるような感覚は、物事に、ものすごく没頭している、その瞬間ではないかと思う。





そう思っているのは、結局「わたし」であって、

結局、幸せも苦しみも、生み出しているのは「わたし」本人以外の何ものでもない。


そう、「わたし」は考える。


追悼

今日は、ショックなことがあった。

何故、としか、言いようがない。


現時点では、ことの詳細が、分かっているわけではない。
直接的な原因が分かっているわけでもない。だから、何とも言えないけれど。

ちょっとまだ、何だか信じられなくて、整理ができない。


お盆休みが明けて、久しぶりに出社したら、上司に朝一番に、悲しいことを聞かされた。

休職されていた、同じ女性営業の先輩が、亡くなったとの訃報だった。

わたしが入社したときには、既に休職されていたので、
わたしは、面識がないのだけれど、他の人から、たまにその人の話は聞いていた。
タイムカードもホワイトボードの名前も、そのままになっていた。

フランス語が堪能で、真面目な人だったらしい。
とても、真面目な人だった、と聞く。


その人は、まだ30歳になっていなかった。



仕事に打ち込んでいるかのごとく、いつものような顔で仕事をした。
でも、余りにも急すぎることで、心の中でショックな気持ちが漂っていた。
直接面識はないけれど、名前はよく聞いていたし、いつか、会うときが来るかもしれない、と思っていた。






心から、ご冥福をお祈りします。

どうか、静かに、お休み下さい。