自覚
人と向き合うということは、
自分と向き合うということである、と思う。
そして、それはときどき、とてもエネルギーを要することである。
私は、
放っておくと、自分が、強いエゴイストと化してしまうような気がする。
自然と、そうなってしまっているように思う。
だから、そのことを自覚して、気をつけねばならない、と反省をする。
それは、刃のようなものであるから、だ。
自分という存在の持つ、刃。
最近、孤独を感じるということは、とても大切なことだと、思うようになった。
孤独は、悪いことではない。
世の中の、全てのことがそうであるように、
はじめから良いものも、はじめから悪いものも、無いのだと思う。
全ての事物は、それ自体中立であり、
それをどのように認識するのかで、意味合いは変わる。
認識はときどき、曇ってしまって、全ての物事それ自体が悪や正義では無いということを、忘れさせてしまうけれど、
独りに浸る時間は、それをいったん、中立に戻してくれる、と思う。
空を見上げたり、
ただ、ただ、音楽に身を委ねてみたりする、そんなとき。
そうやってときどき、リセットすることは、
生きる上でとても大切なことではないかと、私は思う。
物事の、
人の、
存在の、
生きることの、
不思議や尊さを、思い出す意味でも。
自分と向き合うということである、と思う。
そして、それはときどき、とてもエネルギーを要することである。
私は、
放っておくと、自分が、強いエゴイストと化してしまうような気がする。
自然と、そうなってしまっているように思う。
だから、そのことを自覚して、気をつけねばならない、と反省をする。
それは、刃のようなものであるから、だ。
自分という存在の持つ、刃。
最近、孤独を感じるということは、とても大切なことだと、思うようになった。
孤独は、悪いことではない。
世の中の、全てのことがそうであるように、
はじめから良いものも、はじめから悪いものも、無いのだと思う。
全ての事物は、それ自体中立であり、
それをどのように認識するのかで、意味合いは変わる。
認識はときどき、曇ってしまって、全ての物事それ自体が悪や正義では無いということを、忘れさせてしまうけれど、
独りに浸る時間は、それをいったん、中立に戻してくれる、と思う。
空を見上げたり、
ただ、ただ、音楽に身を委ねてみたりする、そんなとき。
そうやってときどき、リセットすることは、
生きる上でとても大切なことではないかと、私は思う。
物事の、
人の、
存在の、
生きることの、
不思議や尊さを、思い出す意味でも。
無視したくないこと。
ある人は言いました。
こういうことを言うと泣いてしまう人もいる、と前置きをした上で。
「100%は無いと思うよ」
そのときは、未だ、100%が無い、ということを信じたくなかった私には、ちょっとショックな言葉でした。
特に、それは人と人との信頼関係の話だったので、尚更です。
今は、この世の中に、100%=絶対は無い、ということを、私自身心底理解しています。
そしてそれは唯一の真実であるようにも思います。
全ては移り変わっていく、ということです。
でも、そんなことわざわざ言わなくても、多くのひとは無意識的に、それを受け入れて生きている、と思います。
「生きているということは、何かを無視して生きることなのかもしれない。」
ときどき、そういう思いが沸き上がってきます。なんと言いますか、仮説のような考えです。
また、日々、生きている中で、私はものごとをよりクリアーに見たい(捉えたい)、という(とても抽象的ですが)欲求があるということに気付きました。
自分には、「何かを無視して生きている」という感覚があり、それをどうにかしたい、と思うのです。
「無視しないで生きたい」と。
でも、そんなことが可能であるのか、まず謎ですし、
とても難しいことのようにも思います。
しかしながら、自然と、自分の感じていることを綴ってみると、
少しずつ視界はクリアーになっているような気もします。
「死」や、「差別」
それはネガティブなことのように捉えられがちだと思いますが、
私はそういったことを、無視しないで生きたい、と思っているのかもしれません。
避けて通れない問題のように思います。
言葉は物事を区別するために使うものです。
だから、「差別」は、その、人間が使う言葉というものの性質上、避けて通れない問題のような気がしています。
「死」は必ずやって来る。文字通り避けて通れない。
しかも、それはいつやって来るか、誰も知らない。
本当は、とても身近なものであるはず。
今を大切にするために、死を考えることはとても大切であるような気もします。
それでは、また。
こういうことを言うと泣いてしまう人もいる、と前置きをした上で。
「100%は無いと思うよ」
そのときは、未だ、100%が無い、ということを信じたくなかった私には、ちょっとショックな言葉でした。
特に、それは人と人との信頼関係の話だったので、尚更です。
今は、この世の中に、100%=絶対は無い、ということを、私自身心底理解しています。
そしてそれは唯一の真実であるようにも思います。
全ては移り変わっていく、ということです。
でも、そんなことわざわざ言わなくても、多くのひとは無意識的に、それを受け入れて生きている、と思います。
「生きているということは、何かを無視して生きることなのかもしれない。」
ときどき、そういう思いが沸き上がってきます。なんと言いますか、仮説のような考えです。
また、日々、生きている中で、私はものごとをよりクリアーに見たい(捉えたい)、という(とても抽象的ですが)欲求があるということに気付きました。
自分には、「何かを無視して生きている」という感覚があり、それをどうにかしたい、と思うのです。
「無視しないで生きたい」と。
でも、そんなことが可能であるのか、まず謎ですし、
とても難しいことのようにも思います。
しかしながら、自然と、自分の感じていることを綴ってみると、
少しずつ視界はクリアーになっているような気もします。
「死」や、「差別」
それはネガティブなことのように捉えられがちだと思いますが、
私はそういったことを、無視しないで生きたい、と思っているのかもしれません。
避けて通れない問題のように思います。
言葉は物事を区別するために使うものです。
だから、「差別」は、その、人間が使う言葉というものの性質上、避けて通れない問題のような気がしています。
「死」は必ずやって来る。文字通り避けて通れない。
しかも、それはいつやって来るか、誰も知らない。
本当は、とても身近なものであるはず。
今を大切にするために、死を考えることはとても大切であるような気もします。
それでは、また。
原点
最近、良くしていただいているお客さんの先生が、ゼミ生の学生と一緒にいらっしゃるところに声をかけたら、「ちょっと時間ある?」と聞かれ、研究室に招いて下さった。
そのとき、ゼミのOBのひとりが、会社員をしていて、悩みながらも、タイに旅に出たりして、その旅先から先生に送ってきた手紙というのを、先生は見せてくれた。
少しポエティックなその手紙は、確かに悩みながら、旅の道中、言葉もままならずでも、何とか頑張っています、という様子が伝わってきた。
先生は、そのOBの彼のことを、「そういう、面倒臭い感じの奴なんだよ~」と、冗談交じりに言いながら、でも嬉しそうだった。
見守っているような印象。
「教育」ということばは使い方によってかなり意味合いは変わるような気がする。
そして語られようによっては権威的なものにも聞こえる。
しかし、うまく言えないけれど、その原点のようなものが、先生とOBの彼の関係性にあるような気がした。
関わっていくこと。見守ること。
先生は、学生が大教室で授業中スマホをいじっていることを、嘆いていらした。それは確かに、嘆きたくもなるであろう。
先生は、とにかく、学生自身の中に宿る、「何かをしようとする」その気持ちをとても大切にしているように感じる。
何でも良いんだ。そうだと思う。
誰かにやらされた感ではなく、自ら何かをしようとする気持ち。
うまくいかなくても悩んでも苦しくても。
でもそれって、生きる上でとても大切なことなのではないかなあ、と、私も思う。
何より、そうすることの方が、楽しい。一度それを知ったら、もう戻れない、のではないでしょうか。笑
そんな風に思いました。
そのとき、ゼミのOBのひとりが、会社員をしていて、悩みながらも、タイに旅に出たりして、その旅先から先生に送ってきた手紙というのを、先生は見せてくれた。
少しポエティックなその手紙は、確かに悩みながら、旅の道中、言葉もままならずでも、何とか頑張っています、という様子が伝わってきた。
先生は、そのOBの彼のことを、「そういう、面倒臭い感じの奴なんだよ~」と、冗談交じりに言いながら、でも嬉しそうだった。
見守っているような印象。
「教育」ということばは使い方によってかなり意味合いは変わるような気がする。
そして語られようによっては権威的なものにも聞こえる。
しかし、うまく言えないけれど、その原点のようなものが、先生とOBの彼の関係性にあるような気がした。
関わっていくこと。見守ること。
先生は、学生が大教室で授業中スマホをいじっていることを、嘆いていらした。それは確かに、嘆きたくもなるであろう。
先生は、とにかく、学生自身の中に宿る、「何かをしようとする」その気持ちをとても大切にしているように感じる。
何でも良いんだ。そうだと思う。
誰かにやらされた感ではなく、自ら何かをしようとする気持ち。
うまくいかなくても悩んでも苦しくても。
でもそれって、生きる上でとても大切なことなのではないかなあ、と、私も思う。
何より、そうすることの方が、楽しい。一度それを知ったら、もう戻れない、のではないでしょうか。笑
そんな風に思いました。