Un poisson rouge -103ページ目

生ききること。

実のおばが、亡くなった。
それなりに、急なことであった。
だからはじめに聞いたときは整理がつかなかったし、信じ難いことだった。
どこか曖昧で、不確かで、どんよりとした気持ちで、約一週間を過ごした。
今日、葬儀に参列し、やっと、飲み込んだように思う。

おばは、
祖父から、おじが継ぎ、今は従兄弟が継いでいる、魚河岸の乾物屋に嫁ぎ、影でお店を支えて来た。

いつも良くしてくれて、
本当にありがとうございました。

どうか、安らかに。

哀しみと寂しさと、おばが私たちに接してくれた思い出を感じながら、
余りにも久しぶりに会った親戚の子どもたちの成長に驚きながら、
自分の中の、止まってしまっていた時計の針をチューニングしていた。

人には、会えるときに会っておかなければならない。
一番強く思ったのは、そのことであった。

それと同時に、
参列者の多さに、魚河岸の人たちの、人のつながりの強さを感じた。

人とつながっている、ということは、
とても有り難いことなのだ。
特に、この、現代においては。
いち、現代ニッポンのワカモノとしての、私は、本当にそれを強く思う。

葬儀で久しぶりに親戚に会う、なんて、、、と思うところもあった。
おばちゃんに、もっと会っておけば良かった、と、正直、後悔もしている。

そんな思いを抱えながらも、
なんと言えばいいか、逆説的に、
葬儀自体はとても辛くて哀しいのに、人に会うことは、嬉しい…のであった。

親の兄弟間の様々な、抜き差しならない(のであろう、きっと…)事情で、
親類と疎遠になってしまう、ということは、哀しいことに、多分、そう珍しいことではない。

でも、私のコアな関心として、
人とのつながり、があって。

対立や、摩擦、うまくいかないこと、面倒なこと、、、
人と人との関係は、色々あって当然。

だけれど、それを度外視しても、確信的に、
人とのつながりは、大切にしなければならない、と思う。

独りでいることも、大切なのだけれど、
自分の殻にこもっていては、発想が凝り固まってしまうし、
沢山の人と会い、つながり、話を聞いたり、時間を共有することは、
豊かな自分を形づくることに、間違いない。

色々な人に会うことは、めちゃくちゃ大事だ。

出会いと別れはつきもので、
出会って過ごした時間は、濃密だけれど、
それ故に、胸が詰まるし、いちいち切ない。
まあ、それは、人間が背負った宿命みたいなものなのかもしれない、と
思うようにもなったけれど。

そして、やっぱり思うことは、
人生を、生ききらなければならない、ということ。

人は、本当に、いつ死んでしまうか、分からないのだ。

だから、いつも懸命に生きなければならない。
一生を大事に、生きなければならない。

本当に、強くそう思う。

無題

自分で決めたことなのに辛いって、何なんだろう。

馬鹿なのかな。。。そりゃあ馬鹿だな。
うん、いや、何か、本当に、酷い、自分。

明日は、別の意味で、辛い。
大きなお別れを否応無しに感じなければならない。

人はいつか、向こう側に旅だってしまう。それは知っている。それは、この、世の中の、全ての人にとって、紛れも無い事実。
そして余りにも、突然に、その日は来るんだ。

貴方のしてくれたこと、笑顔、忘れません。

ありがとうございました。

明日は久しぶりの、そして最期の、対面なのですね。

まだ実感がありません。

今までありがとうございました。

R.I.P

夏目漱石『夢十夜』

私は湯船につかりながら本を読むのが好きで、
昨日は雪であったし、足は相当濡れたし、何となく、例のごとくお風呂で本を読もうと考えた。

選んだ作品は、夏目漱石『夢十夜』(岩波文庫、2012)

筆者が見た夢を語る形式で書かれた、十編の短編小説。(その他に二編別の作品が収められている。)

自分の率直な感想を述べると、
緻密で繊細な、和製ホラー。

昨晩のような雪の静かな夜には、ある意味でぴたりと合っているかもしれない。

一文一文をしっかり読めば読む程、ありありと情景を思い描ける。
そこから感じられる想像力の強さとリアリティから、漱石という人の哀しみの深さが伝わってくるような気がする。。

文章なのに、映画を観ているよう。

「夢」つながりから、黒澤明監督の『夢』が、半ば自動的に想起された。

不可思議さと不気味さが漂いつつも、
そこで表現されている世界に、日本的な美を感じる。

この小説を読んで寝たからか、今朝はレベルの高い悪夢を見て目覚めました。笑


バレンタインの翌日ということもあって、
何となくこの本に合わせてみたら面白いと思い、My Bloody Valentineをはりつけます。笑