こんにちは。zenです。
これから神寄木賀集ゆかさんのブログの内容を、「できるだけ自分自身の言葉で説明する」ということに挑戦していきたいと思っています。
最大の目的は、「自分自身の鍛錬」です。
本日の教材の中にも出てきますが、「読む・聞く理解」と「伝える理解」は雲泥の差があるので、「伝える理解」まで落とし込んでいきたいと思っています。
副産物としては、「神寄木さんのブログは難しい」と感じている方に、少しでもその内容をお伝えできればと思っています。
今のところの僕のバイブルは『アナスタシア』と『神寄木賀集ゆかさんのブログ』なんですが、
『アナスタシア』が「物語」や「イメージ」で宇宙の真理を伝えてくれている一方、
『神寄木さんのブログ』は、そのイメージを嚙み砕き、ものすごく丁寧に一つずつ「言語化」してくれている…
と捉えています。だけどおそらく多くの人々にとって(僕も含む)「未知の領域の話」なので、「難しい」「わからない」と感じてしまう。でもそこには本当に重要なことが記されていると感じるし、惹かれ具合が半端ないので、「わからないことをわからないなりに説明してみる」ということにチャレンジしてみたいという思いです。
懸念としては、神寄木さんのブログを説明してしまうと、余計な「zenフィルター」を通すことになるので、神寄木さんの「真意」が歪んでしまうということがあります。なので、僕のブログに書いていることは、あくまでも「zenの解釈」ということを念頭に置いといていただけると幸いです。神寄木さんの「真意」を知りたい方は、「原文」を読まれることを強くお勧めいたします。
ということで早速本日のチャレンジです。
本日の原文はこちら↓
今回のテーマは『表現』です。
覚醒を目指すならば、「どういった“表現”を心がけるべきか」ということを書いてくれています。
結論から言うと、
「自我の思い・抑圧してきた思いを吐露するような表現」ではなく、
「相手(というわたし)と融合・循環するような表現」を心がけましょうということです。
自我はとにかく「自分が大好き」で「世界の中心は自分」だと思っているので、「表現していいよ」と言われると、とにかく自我の思いや抑圧してきた思いを語りがちです。
これは僕自身がずっとやってきたことで本当に反省させられますが、まったく周りが観えていないという。。「自分の秘めたる思いを聞きたい人が必ず居るはずだ」という謎の傲慢ぶりで、自我の思いをぶちまけてきたなぁと思います。「それは、裸で街を闊歩するようなものですよ。それをするなら家でやろうね」と、神寄木さん。裸で街を歩いてたのかぁと思うと、ほんとに穴に入りたい気分です…。
僕自身が自我の思いしかぶちまけてこなかったと感じるのは、会話をしていても「言葉が出てこない」ことが多々あるからです。神寄木さんはこう云います。
「自我主張=我欲」はペラペラ話せても
それ以外は途端に「一言会話」になる場合
主軸が「自我の意識場」に在る状態です。
つまり「客観性=俯瞰的な観点」の欠如。
まさにこの状態に陥ってたなぁと痛感します。
「自我の観点」しか持ち合わせていないので、「自我の守備範囲外」の話になると途端に口をつぐんでしまうというね。
これまで「言葉が出てこない」のは、「知識不足」や「興味のなさ」のせいだと思い込んでいましたが、実は「客観性=俯瞰的な観点の欠如」だったんだというのは、新たな発見です。
で、今回のお話は、もし覚醒(自我を越え融合していくこと)を目指すならば、その「客観性(=俯瞰的な観点)を踏まえた表現」を心がけていこうね、ということになります。
じゃあその「客観性を踏まえた表現」ってどうすればできるようになるかと言うと、
「説明すること」が有効なようです。
よく「頭ではわかっているけど、いざ他人に伝えようと思うと思うように説明できない」ってことってありますよね?そして「頭の理解」と「伝える理解」というのは「雲泥の差」というのはご理解いただけると思います。やはり相手にわかってもらおうと思うと、相手の立場に立ってみる必要があると思うし、その説明したい事象をあらゆる角度から見て本質を掴んでいく必要もあると思うし、「客観性=俯瞰的な観点」というのがどうしても求められてくると思うんですね。したがって、「説明」をすればするほど「客観性=俯瞰的な観点が鍛えられていく」という仕組みです。
そんなわけで、「説明ブログ」を始めてみたというわけです(笑)
そうして「客観性」を鍛えていく中で、「表現」をブラッシュアップしていきたい。
自我の独りよがりな表現ではなく、
他者(というもう一人のわたし)と「融合」していくことを目指し、お互いが高め合っていけるような、宇宙の循環がさらにスムーズに流れるような、そんな「表現」を目指していきたいと思います。
最終的には「融合」(=それが覚醒だと今の僕は認識しています)が目指す先なので、そこに一致した「表現」をしていくということです。
「表現」というのは「相手というわたし」と
「凹+凸=□」で「融合」する創造です。
「話し手・聴き手」など、互いの役割に対して
「今この瞬間の最大限の敬意と配慮」を持ち
互いが「もっと話していたい」と思うような
「循環」が流れる「言霊の交流」です。
決して「自我の想いをぶつける」事ではない。
相手が様々なスタイルへ変化しながら
跳んでいる縄跳びの中へ融け込むように、
呼吸を合わせて入っていくイメージです。
最後は神寄木さんの言葉に頼ってしまいましたが、
これからも「融合・循環的表現の鍛錬」を続けていきたいと思います。
今日も本当にありがとうございました!

