こんにちは。zenです。
本日も「説明」にチャレンジしてみたいと思います。
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今回のテーマは『「ゼロ」の創造』です。
かっちょいい…。「ゼロ」。
「ゼロ」とは、「“わたし”のない位置に立つこと」を指していますが、なんでわざわざ「ゼロ」に成る必要があるかと言うと、「観察者」を起動させるためです。は?「観察者」って何?
前提から話をさせていただくと、
我々人間は、「体験者・観察者・創造者」という3つのモード(観点)を有しているようです。
「体験者」というのは、いわゆる通常の人間モード。ゲームで例えるならば、「キャラクター」の位置にあたるのが「体験者」。つまり「マリオ」の位置ですね。「マリオ」はクッパと闘ったりピーチ姫と愛し合ったりクリボーを潰したりしますが、自分自身で「コントロール」はできません。ただただ訪れる世界の中で一喜一憂を体験するのが「体験者」です。
その「体験者」から距離を置き、俯瞰的な位置からキャラクターの動きや世界全体の仕組みなどを観察していくのが「観察者」になります。
そしてその「観察者」が集めてきたデータを使って世界を創造していくのが「創造者」になります。ゲームでいうと、「プレイヤー」の位置になります。「マリオ」を好きなように動かして、自身の体験したいことを創造できるようになります。
そしてなんとこの3つのモードを有機的に循環させることができるようになってくると、宇宙摂理データと直結した「創造主」という4つめのモードが起動し始めるようです。これぞ「覚醒」モード。スター状態。ゲームでいうと、「クリエイター」の位置でしょうか。もはや「自由自在」に世界を創造していくことができるようになる。
僕はまさにこの「創造主」モード(=覚醒)を目指しているわけですが、それは決して一足飛びにはいかず、ステップが必要なんですね。
その第一ステップとなるのが「観察者の起動」。すなわち「体験者(=わたし)」から離れ、「ゼロ」になることです。
ということで今回は、その「ゼロ」に成るためのお話。
「ゼロ」に成るためにはどうすればいいのか?
神寄木さんは云います。
「わたし(=自我)を“最後尾”におきましょう」
ちなみに神寄木さんの云う「最後尾」とは、「全人類の最後尾」です。果てしない物語…。
「わたし」がしゃしゃり出ていいのは、「80億番目」ということ。実質一生「わたし」の順番は回ってこない…。すなわち「ゼロ」。。
じゃあ最初から「最後尾」なんて回りくどい云い方をせずに、ストレートに「ゼロ」になりましょうと云えばいいじゃないかと思いますが、創造は意識とエネルギーが全て。意識とエネルギーを向けられる「イメージ」ができないと、創造ができないのです。つまり、いきなり「ゼロ」になりましょうと云ったところで「ゼロ」になったことがない「わたし」はイメージができないので、「(行列の)最後尾」という誰もがイメージしやすい言葉を使っておられるようです。
とにもかくにも「わたし」を「出しゃばらせない」ということ。
会話でいうと、「観る」「聴く」に徹するということ。
これを実際にやり始めてみると、最初は「黙る」という行動になります。
口を挟みたがる「わたし」を抑え、とにかく黙します。
これが「ゼロ」に成るための第一ステップ。
「黙る」ことができるようになってくると、次に「観る」段階に入ります。
「観る」とは、だんまりしながら相手の話を聴く中で、
・相手(というわたし)が使っている「観点」を捉えていきます
・その「観点」を「いつ、どの日常において」自分自身が使っているか返し観ます
・そして日常場面でその「観点」を使っている自身に気付き、歪みを確認したら、それを調えていきます
これが「観る」という第二ステップ。
なんか一気にハードルが上がった気がしますね(汗)
この「観る」ができるようになると、いよいよ「傾聴」のステップに入れるそうです。
「傾聴」とはすなわち、『相手の世界のデータをマルっと「意識場の中へ容れる」創造』。感想や批判や意見やアドバイスなどが一切出ない『「あるがままの世界の音」を聴く創造』。これができるようになった時、はじめて本当の意味での「共感」ができるようになるようです。そして「共感」は「融合」に通じます。「相手というわたし」との「融合」…。「まだ見ぬわたし」との「融合」…。美しい…。
ちなみに「共感」と似た音に、一緒に泣いたり怒ったりする「同調」がありますが、それは相手の話を「自我の意識場」に容れたときに起こる動のようです。つまり相手の「ありのままの音」ではなく、自我フィルターを通して「変換した音」を聞いている状態。それは結局相手の話を聴いているようで、実は「自我(わたし)が出しゃばっている状態」です。
そんな「わたし」を最後尾に下げ、「ゼロ」状態で聴く創造―。それぞ「傾聴」です。
「ゼロ」に成るということは、こちらは一切喋ったらいけないのか?と思うかもしれませんが、そうではありません。問われたら、返します。「あるがままの音」を。観察で捉えた相手の「盲目」へ一筋の光を灯すように。
「観察者」の起動=「ゼロ」の観点の確立は、「覚醒」を目指すためのGATEー。
常に「ゼロ」を意識しながら日常を送っていきたいと思います。
本日も最後は神寄木さんの言葉で締めさせていただきます。
「わたしだけ我慢してゼロになるなんて」と
幼さにある自我を超えて、ただ黙々と
「ゼロ」に成るへ徹する動となれるか否か。
ここが、選択の決定分岐になっている。
到達したスピリットのみが体感する「 楽園 」は
「ゼロ」というGATEの向こう側に 在り―。
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