こんにちは。zenです。

 

神寄木賀集ゆかさんのこちらのブログを読みまして…

 

 

 

もう「説明」したり要点を「まとめよう」とするのはやめようと思いました。

どういうことが書かれていたかと言うと…

 

セッションでよくお伝えする台詞で
「言い換えないで下さいね」という音があります。
人間意識は「要点」だけを聴いて、
箇条書きのように「知識」を整理するという
「効率的な形状化システム」を持っています。

 

はい…。おっしゃる通りでございますm(__)m

 

 

「要は、こうすればいいんですよね」
「要は、こういう事を言ってるんですよね」と、
全ての世界を「自我フィルター分類機」で
振り分ける癖がある方は、特に要観察です。

 

振り分ける癖しかありませんでしたm(__)m

 

 

 

自我は「わからない世界」を何も触らず
「そのままに置いておく」事が実に苦手です。
ともかく、どこかへ「分類・振り分け」して、
「こうだったんだ」というレッテルを貼りたがる。
だから「思考」をして「理由」を創作しては
自己流の「解釈」へ歪めてしまうのです。

 

本当に申し訳ございませんでした!!!

 

 

 

神寄木さんは僕のことなど知ったこっちゃないでしょうが、勝手に「めんめ」された気分になり、反省している次第でございます。

 

神寄木さんのブログが理解しきれず、その「わからなさ」に耐え切れず、勝手に「自我フィルター分類機」で「要は、こういうことですよね?」とまとめようとしいていたzen氏…。今回の神寄木さんのブログは図星すぎてぐうの音も出やしません。。

 

とにかく「なんでもまとめようとする癖」をまず手離そうと思いました。

 

そして「ありのまま」と共存するということに挑戦していきたい…

 

 

「わたしの納得する意味」を見つける創造、
「わたしの解釈に落とし込む」創造等々は、
全て現行の「自我システム」を使うので、
ただ「幻想世界の量産」になるだけです。
自我の「今すぐ納得したい欲求」に基づく
「なぜ」という言動は全て手離し続けます。

「手離す」というのは、「わからない」事を
なかったように「流してしまう」という意ではなく
「わからないまま」に置いておくイメージです。
「わからない事」と「わかりたい希求」と
「まったくわからない自分」全ての
「ありのまま」と共存するということ。

 

 

原文では、「ありのまま」と共存していくためのお勧めの鍛錬として、「模写」や「書写」があると書かれていました。

赤ちゃんが言語を獲得していくとき、わからないなりにその場(大人の言語)に身を置き真似をしているうちに気付けば話せるようになっているように、とにかく真似をしてみようと。

ということで素直なzen氏は早速神寄木さんのブログを模写し始めました。

 

しかし、とてつもなく時間がかかる!!!

最後までやり切ったら余裕で2時間くらいかかるんじゃないかという勢い!!

 

そんなときに妻に、

「模写し始めてんけど、めっちゃ時間かかんねん…」

と相談したら、

「録音したらええんちゃうん?」と。

 

それや。

 

 

 

しかも神寄木さんのブログをよくよく読み返してみるとこう書いてくれとるやないか↓

 

もし、何か學びたい事があるならば、

「世界観そのままのデータ」をまるっと、

意識場に容れてみることはお勧めです。

意識場に振動「律」のBGMを流すように

体現された世界にのみ響く音を、聴いてみて―。

 

 

BGMを流すように…、聴いてみてー。

 

 

 

これや!!!と思ったzen氏は、早速神寄木さんのブログをスマホに録音し(その時間わずか10分ほど!)、家事をするときなどにその音声をBGMのように聴くというスタイルを確立したのでした。

 

これはいい。

 

わからない部分はあるけれど、「そうなんだ」とただただ聴くー。

 

神寄木さんのブログという全身全霊の「律動」を自我フィルターを通して「解釈」しようとするお粗末なプロセスを踏んでしまったけど、おかげさまでここに辿り着けたような気がします。

 

これからは「世界観そのままのデータ(=ありのままの振動「律」)」を大切にしていきます。