今日は、私が親との関わりについて
長年取り組んできたことを ひとまとめに
父と母と両方の関係について綴ります。
親は子どもに最初に思い込みを植え付ける人たち。
自分の本質と掛け合わせ、子ども時代が作られます。
だから両親との関係や両親がそれぞれどんな人なのかを
知ることは自分の根底に向き合うのに
必須だと思っています。
だってね、イヤだって言ったって、両親から生まれてきたんだもの。
色々受け継いでいるんです。イヤだと思って見ないうちは
自分のこと知らないのと同じ。
先祖崇拝だけ?墓参りを形だけしてても意味ないと私は思います。
(だって一番近い、生きてる先祖だし。墓参りはしないより良いと思います)
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私は、小さい時から父親が大嫌いでした。
とにかく私に対する門限や外出に対する規制
が厳しく。他にも、
子ども(私には)話がよくわからない理由で自由にしたい行動を抑えつける。
結局、父の話は自分の仕事の自慢話へ終結し、何を伝えたいかわからず。物作りは楽しいということしかわからず。
時に母には手を出す
ということで、
マジ軽蔑してました。
ところが、親を嫌いというのが辛くてね
高校生ぐらいの時から
父親インタビューを始めたんです
娘として 父親に対する最低でもこうあってほしいという理想とあまりにも離れていた時、質問が始まる
1、なぜ理由を話さずに怒る?
2、なぜあの時あゝ言った?
3、なぜ機嫌が悪いと口をきかない?
4、なぜトイレで煙草を吸う?
5、なぜ子どもと遊んでくれない?
など!*その他の質問は忘れました
色々と解ってきます。
父は
・自分の心を言葉化するのが難しい
・ただ、寂しい
・ただ、やりたいことはやりたい
・自分を認めてほしい
・実は一旗上げたい
うまく言葉にできないし、相手の反応を待てないから
怒💢ったり、手を出したりしちゃう。
そして、根底には絶対的
俺さみしい!がある。
コレはね、親自身のことだし、私にはどうすることもできず
難しい問題でしたが、それが根底に立ちはだかっていると
知れただけでも大きかったです。
ただ父を軽蔑してるより
理由が解ってる方がよっぽどマシになりました。
さみしがりやとわかったので、父さんに甘えられること
お願いできることはお願いするようにしていたら。
表面上は、なんだか、仲良くなってきたんですよ
でも、父はこうゆう人だから仕方ないと
頭で分かっていても、なかなか心底好きにはなれなかった。
そんなんで、人の行動の裏にひそむ動機(なぜ?)に大変興味を持つようになった私でした。
心底好きになれずにいて諦めかけていた時、それは私が会社を立ち上げ始めた時、
はじめて
父の大変さや偉大さに気づけたこともありました。
(起業だけは、私にとって子ども時代から絶対にやりたくないことNo.1だったから
やってみなかったら父のこと表面的なことしかわかってなかったと痛感した)
父の情熱の熱さは私が引き継いでいます。
あと、ウチは母や弟と私は 自分で言うのもなんですが清廉潔白タイプ。
父は本当に根に持って他人の悪口言いたい放題イジイジするタイプ。
家族にはいわゆるわかりやすい優しいタイプじゃないし!
母も弟も私も他人に対して恨み辛みが無く、父だけが嫌いだった。
ちょっとなんていうかいわゆる自分達は良い人な気がしていたんです。しかし、
月日は流れて、気づいた時がありました。
私たちが対象とした
ダークサイドは全部!
父が引き受けてくれてる⁈
(つまり、友達や先生、周りに関わる人は父よりみんな良い人だから
心底嫌ったり悪く思ったことがない!友人関係にも普通に恵まれ
上司から可愛がられたりする感じでしたから)
それに気づいた時、陰陽のバランスマークが
私の細胞中駆け巡るぐらい鳥肌が立ったのを覚えています。そして、良い人ぶってた私も
自分のダークサイドを認知しました。
父を対象にしていただけ。自分にもそうゆう面があった。
父をもう嫌ったり恨んだりしない。でも自分にもそういう面がある。
だからこそ、自分のバランスの出どころが変わりました。
それからというもの、父は父の存在として
客観的に感じれるようになりました。
好きではないけど、本当に有難い存在。
私を抑え付けて育てたけど、忍耐も育まれ
とんでもない自由へのキッカケ(月桃)を持ってきてくれたのも父。
とにかく、父とは縁が深くて、苦しいぐらい
愛されていた、のも知ってました。それが鬱陶しかったけど。
今の私があるのは何十年もかけて課せられた父からの難題のような枠だった。
何十年もかけて、ようやく父からの呪いのような枠を
飛び越えて自由に生きはじめた私。
それは、枠があったからこそ飛び越えたいと願って、
実際に大きく飛び越えることができた。
ということで、男性に対する不信感もほぼ払拭した後に
大事な旦那様にも出会えて
(実は父に似てる)
私の旦那様はとってもピュアで勉強熱心で良い人だけど
父との関係は一段落と思っていたら
父と比べると、母は とても穏やかで良い人。
むしろ、ちょいボケてて面白い人。
でも、父との夫婦関係はとにかく噛み合ってなかった。
高校生の時にはじめた父親インタビュー後は、
時折、両親の会話を私が通訳していました。
とはいえ、母は大好きだけど、
あまり関わる感じではなかったのですが、
(父の存在が大きすぎて)
ここ2年、母がガンになってからは
母と真剣勝負みたいに関わり合っています。
(私が一方的に)
先日、ある意味でもう覚悟を一旦決めたんです。
で、覚悟とは特に関係なく、なんとなく、手を掴んだその時、母が
友ちゃんゴメンね。私、貴方達(弟含む)を産んだだけ。
何もしてない。産みっ放し。父さん・ばあちゃんに
気を取られてばっかりだった。
と、泣き出した
母は、ライトな性格でサラッとした性格過ぎて、
熱い人間からしたら、引っかかりがなくて物足りない。
話を聞いてくれて理解してくれてるのか、常にわからない
母の治療に対する熱さも母よりウザイ私。
それがこの期に及んで、急にそんなことを
でも、そんな風に言ってくれて
娘である私は本当にすごく嬉しかった。
だって、私の方が想いが厚い気がしていたから
なんだか、ずっと母から愛情が足りない気がして寂しかった時があったこと
を思い出した
それが!
母がそんな事を涙を流して言ってくれたもんだから、
ライトでゆったり、
忍耐強い母の元で育ったから私には本当に良かった
と
心底思えた
母さんありがとう。
人は、切羽詰まらないと
見えない事だらけ。
急に母と濃い時を過ごしはじめたここ2年
思わぬ宝物をもらえました。
また一つ、私の深層意識が愛で満たされて
解放されました。
やはり、この両親の元に子ども として
生まれてきて、いっぱい学ぶことがあったなぁ。
って、いま、振り返って心底思える。
日々、周りに起きているコト
大事な人との関係を見ないふりせず
自分とまっすぐお付き合いしていれば
解放されることに溢れていた。
最初の触れ合いは産道。
母のちつとの触れ合いは
赤ちゃんの触覚を目覚めさせる
最初の触れ合い。
母さんが大好きなの
あたりまえかもね。
by こども
9/16 長野県に行きます!