会田誠 展 ま、Still Aliveってこーゆーこと | オーガニックスタジオ新潟社長の奮闘記 │ おーがにっくな家ブログ

オーガニックスタジオ新潟社長の奮闘記 │ おーがにっくな家ブログ

「オーガニックスタジオ新潟」社長のブログ。かっこいいエコハウスを提供するために日夜奮闘中。役立つ「家づくりの知識」は、オーガニックスタジオ新潟のHPにて更新。このブログでは個人的な関心ごとと「工務店経営」についてがテーマ

会田誠 展 ま、Still Aliveってこーゆーこと

新潟が生んだ現代アートの奇才。会田誠。
会田誠氏は新潟市の寺尾に高校時代まで生活していた。
生粋の目立ちたがり屋であったのだろうか、「小学時代にストリーキングの存在を知り、学校でやらかした」と新聞で見かけました。

高校卒業後、「新潟が嫌で嫌でたまらなくて東京へと飛び出した。」
あぁ、わかるぅ~~ 
新潟は地勢的に独特で、他県との行き来の少なく、保守的で閉鎖的なところがある。さらには、冬の鉛色の空が延々と被さってくるのが嫌いだった。 

目立ちたがり屋の少年は、その後、人騒がせな芸術家へと進化していった。
ゼロ戦が編隊を組んで、世界経済のセンターであるニューヨークを空爆し火の海にしている「紐 育 空 爆 之 図」は初期の傑作だ。
実物はホノグラムが効果的で美しく暴力的だ。
写真:美術ジャーナリスト 鈴木芳雄のブログより転載






いちばん世間に喧嘩を売ったのが2000年前後の一連の、エログロをテーマにしていた時期だろう。 現代アートで「山口晃さんのファンです。」とは言えても、「会田誠のファンなんです。」というセリフは「変態ですみません。」というのと同義語になるために勇気がいる。

そんな会田氏が、新潟県の文化人を表彰する、第8回 坂口安吾賞を受賞した時には心底驚いた。
本人も、まさか俺が もらっていいの?!と 驚いたことだろう。
(翌年の第9回は草間彌生さん 笑 ってことは そういう賞なのねぇ と納得) 




故郷に錦を飾る意味合いのある、本人曰く「自分が生きている間に新潟県で開催される、最初で最後の個展となるだろう」とのことだ。
あくまでパブリック色が強いので、過激な作品はさすがに展示はされていない。






運が良いと会田氏が会場にいる時がある。
私が来訪時には、MONUMENT FOR NOTHTHINGを製作していた。
ちょうど燕から中学生たちが社会学習で大型バス2台押し寄せていて、会田を取り囲んでいた。

 
*写真:ネットで拾ってきたものを転載

少年「おじさんってテレビでたことあんの?」

会田「ふぅーん・・・ そうだなぁ  おじさん、笑っていいともにでたことあるよぉ」

そんなかんじで ゆるく絡まれて、ちゃんとまともに返していた。

少年「この作品って、この後どうすんの?」

会田「また一個一個別の会場に運んで同じようなことをするんだけどさ。移動で細かなところとか壊れて修理でまた大変なんだよ。だからもうしばらくやったら恒久展示のためのスペースに置こうと思っているんだ。廃墟がいいのか、一から作ったらいいのか、どうしたらいいのか考えているんだ。」

私も聞きたかったことがいっぱいあるが、遠慮して話しかけられずじまいでした。
中学生との会話に聞き耳を立ててこれでよし。

人騒がせなおっさん芸術家ってことを演じてますが
目はこどものように、柴犬のように、 きらきらしていたのが印象的でした。

会期は 11月3日まで  お見逃しなく。