いい先生などいない? | 沖田音楽院教室ブログ

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子どもたちが教えてくれるもの

僕はいま、フリースクールでボランティアをやっていて、
いろいろな学びを得られています。
その一つが
「いい先生なんていないのではないか?」
ということ。

■「いい先生」を目指していたこの20年

ピアノの先生になって速いもので20年以上が経ちました。
この間ずっと目指していたのは
「いい先生になりたい」ということ。

その為に、たくさん本を読み、
いろんな人の話を聴いてきました。

自己評価的には
良いレッスンをしていると思っています。

とは言っても当然、完成された完璧なレッスンでは
ありません。

なので、どこかに完成された完璧なレッスン
というものがあるのだと信じて
日々研鑽を積んでいます。

これを続けていれば
いつか「良い先生」になれるのだと
思っていました。




■個人→個人と集団→集団

ピアノ教室というのは個別学習なので
1人の先生が1人の生徒を教えます。
個人が個人を教えるわけです。

ですが学校というのは
複数の先生が在籍して、複数の生徒を相手します。
集団で集団を教えています。


どのような組織であれ集団である以上、
いろんな方がいます。

甘い先生もいるでしょうし
厳しい先生もいる、
ダラけた先生もいるだろうし、
熱い先生もいる。



■いろんな先生がいるから幅広い

それぞれの先生に対する評価は
人によって違うでしょう。

・優しいから人気があるけど生徒の成長にはなってないんじゃないの?
・あの先生は怖くて煩い…今の時代に合ってないよね
・あの先生ヤル気あんの?
・熱い先生ってめんどくさくてニガテ
とかとか。

いろんなタイプの先生がいるので
評価もいろいろです。


先生集団で生徒集団を育てるとなると、
色々な先生が必要なわけです。


優しい、厳しい、自然体、熱い
こういった様々な先生がいることにより、
その学校の教育力は幅広くなり、
様々な生徒たちをカバー出来ることに繋がります。


■いい先生、悪い先生なぞいない

要するに、限度を超えなければ
「悪い先生」なんてものはいないわけです。

片一方からみれば悪く見えたとしても
その先生を必要とする生徒や場面は存在するからです。

 

たとえ生徒から嫌われている先生だとしても

教育の場面ではそういった「嫌われ役」というのも

必要でしょう。

と…いうことは自動的に
「良い先生」なんてものもいないことになります。

良いか悪いかというのは比較の問題なので、
悪いが無いということは良いも存在しません。

■では目指すべき理想の先生像とは?

さて、ここで20年間ものあいだ
「良い先生」を目指してきた私は
困ってしまうワケです。

なんせその目指していた「良い先生」
というのは存在しないんですから。

ただでさえ地図を無しに目的地に向かっていたのに、
その目的地自体が無くなってしまいました。

自分はこれからどこに向かえばいいのか?
どんな先生を参考にすればいいのか?


■今、足元にいる生徒に今のベストを

ただ私には一つの指針があって、それは
「迷ったら足元の生徒から考える」
というもの。

生徒から考えて
生徒から教えてもらえばいい。

そして思ったのは、
目の前の今の生徒に今思ういいレッスンをしていく
ということ。

どのようなものが理想なのかは分からないし、
仮に今の教育がベストだと思っても
それは10年もすれば違ったものになるでしょう。

それでも今その子に対して
今ベストだと思うことをやっていく。

時代が変わればその時代に沿った価値を届けていくし、
自分の教育観を変える気になったら変えればいい。



フリースクールボランティアは
もう少しで1年になりますが、
そんなことに気付かせてもらいました。