アメとムチは同じ | 沖田音楽院教室ブログ

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子どもたちが教えてくれるもの

◾️子どもを操作するという点では同じこと

 

褒めて育てる方がいいのか?

厳しく育てた方がいいのか?

 

 

昔は後者が優勢でしたが、

ここ数十年は前者が主流でしょう。

 

 

「褒める」と「叱る」

この2つはまるで相反するものと捉えられています。

 

しかし私はこの2つは全く同じ物だと思っています。

手段は相反していますが、

“子どもを操作したい”という目的は同じです。

 

 

“アメとムチを使い分ける”なんて手法は、

まさにその典型で、

そこにあるのはアメでもムチでもなく、

“自分の思い通りにこの子を操作したい”

という大人の思惑しかありません。

 

 

「アメ」だろうが「ムチ」だろうが、

「褒め」だろうが「叱り」だろうが、

「甘く」だろうが「厳しく」だろうが、

目的が同じで手法を変えているだけなので、

子どもが結果を出せなかったら、

大人は信念なく別の手法に乗り換えます。

 

拗ねたり、

人格否定したり、

ペナルティ(罰)を与えたり。

 

子どもをコントロールするために、

手段を変えるに過ぎないのです。

 

 

しかしそれで問題が解決することはありません。

今は突き放せば泣きながら追いかけてくるかもしれませんが

いずれその日は来なくなります。

また、強く叱責し罰を与えれば子どもはヤル気をだす。

なんて幻想以外のなにものでもありません。

 

 

 

◾️受け入れる

 

 

では「褒め」でもなく「叱り」でもない

「子どもをコントロールしない教育」とは

何でしょうか。

 

 

私は「その子を受け入れること」だと思っています。

 

 

何を受け入れるのかというと、

その子の特性です。

 

 

特性を受け入れるというのは、

その子の好きなようにやらせる

ということではなく、

 

その子のペースややり方を

尊重することです。

 

 

 

まずはその子のペースを知ること。

誰しも大人が描いた曲線では

成長はしません。

 

 

長い長い長い低空飛行を続けた結果、

ある日突然、イキイキと上達しだす子なんて

今まで山ほど見てきました。

 

 

そもそも自分のやり方を尊重してくれたときに

人は実力を発揮できるのだと思います。

 

 

頭ごなしに理想を押し付けられ操作されたら、

誰だって実力もヤル気も発揮できないのではないでしょうか。

 

 

 

 

■では具体的に受け入れる教育とはどういうものなのか

 

 

その子を操作することなく尊重するとは

「子どもと一緒に考える」ことです。

 

 

上からああしろ、こうしろと操るのではなく、

その子の目線で課題を見てみる。

 

 

子どもといえどその子のやり方というものがあります。

それを尊重するというのは、

だから好きにさせればいいとほっとくのではなくて、

 

どうしたらその子のやり方で出来るようになるのかを

一緒に考えていくことです。

 

 

変われといわれると反発したくなります。

良い結果になるように一緒に考えようという

姿勢を子どもに見せることが大切です。

 

 

 

◾️◾️◾️

 

 

“こうなって欲しい”という希望は

子どもを前にすれば誰しもが抱くものです。

 

 

ただその希望通りになるようコントロールしようと

するのではなく、

子どもと一緒にその子のペースで、

その希望に向かっていく。

 

 

もしかしたらその到達先は、

大人の描いたものとは全く違うものかもしれません。

しかしその過程で得たものは、

その子にも大人にも一生残る自分たちなりの

武器なり宝物になるはずです。