「きのこの山」と「たけのこの里」。彼らはご存知の通り、たいへん長きにわたって愛され続けている。
まずは両者の精悍な雄姿から、ご覧頂きたい。
↑きのこの山。どこまでも突き抜けたエネルギッシュな佇まいは、ダンディズムの極致とも言えよう。
↑たけのこの里。名前もビジュアルも、どこかハートフルで懐かしい。佇立する姿も、たいへん優しげな印象だ。
どちらも好きなのだが、私がシンパシーを抱くのは断然、たけのこの里である。
きのこの山は、先端部分の猛々しさゆえ、妙な敗北感に打ちひしがれる。
「山」と付されたダイナミズム溢れる名称にも、ちょっぴり気後れしてしまう。
力強く脈でも打ちそうなほどに屹立する、きのこの山。
スティック部分の立派さは、いつも私を、奈落の底へと突き落とす。
胸奥に広がるブラックホールは、留まるところを知らない。
思春期に少年から大人に変わったとき、心の皮は剥けたはずなのに━
その一方で、我らがたけのこの里。
何と言っても、あの先細りしたフォルムに、絶大なシンパシーを抱く。
もちろん、あの形状が頼りなさげだと嘆息する声もある。
そんなんで本当に、あたしを満足させられるの? と。
先端がそんな具合じゃ、入ってるかどうか分からないじゃない。ねえ、まだなの?
━そんな風に、冷笑まじりで蔑まれて悲しみに暮れる夜もあった。
当人なりの最善を尽くしているのに、それが相手にちっとも伝わらない切なさ。ただならぬもどかしさ。
時として世の中には、体が心を超えない哀しい瞬間も、あるのだ。
たけのこの里を見つめていると、つい、我が人生の来し方行く末にまで、思いを馳せてしまう。
歪な仲間意識を覚える、あの愛くるしい佇まい。
彼らをもっと、それぞれの指先や舌で、濃厚に愛でてゆこうではないか。
そして最後に、とっておきの組み合わせを紹介させて頂く。
細いグラスに常温で、原液のカルピスを溜めておく。量はお好み。
自分が飲み干したいだけ、カルピスを溜めておこう。恥じらいは無用である。
これが絶妙に、たけのこの里と合うのだ。人目や世間体など気にせず、堂々と試してほしい。
その猥雑にして甘美な味わい。
勃ちまち口内が、パラダイス銀河となる。
これこそ、時をこえたフェスティバルだ。
ありがとう、私のたけのこ。
ありがとう、私のきのこ。
ありがとう、私のカルピス。
※ ※ ※
・《虐待サバイバー写真展》(https://kojikoji.themedia.jp/posts/4128584)では、被写体として協力させて頂きました。
◆生きづらさフェス『布団の中のアーティスト』(http://blog.livedoor.jp/futon0405/)◆
・開催日 11/4(日)
・会場 茅ケ崎・Login(ログイン)さん
・開場 17時
・開演 17時半
・入場料 1000円(打ち上げ代込み)
皆様のご来場を、心よりお待ち致しております♪