【自分とか、ないから。(教養としての東洋哲学)】から無我について♪

 

 

 

【自分とか、ないから。(教養としての東洋哲学)】

 

 

 

 

 

 

この本は

【両足院 副住職 伊藤東凌さん】

Voicyで知りました。

 

 

著者【しんめいP】さんと東凌さんの対談↓

 

 

 

 

 

【しんめいPさんの経歴】

 

 

ざっくり書きますと、

 

  • 東大卒
  • 有名IT企業に入社
  • がしかし仕事は全くできない
  • 地方に移住
  • 芸人を目指しそれも挫折

 

 

そして事あるごとに布団をかぶって

引きこもる…絶望

 

 

 

無職になり東洋哲学を学んで書籍を出版メモ

 

 

 

という

なかなかぶっ飛んだ

経歴の持ち主です目

 

 

 

【この本の内容について】

 

7人の哲学者

 

  1. ブッダ
  2. 龍樹
  3. 老子と
  4. 荘子
  5. 親鸞
  6. 空海

 

 

についてPOPな語り口調で

書いています。

 

 

 

特に私は

 

 

1.ブッダの

 

 

【自分とか、ない。】=【無我】

 

 

が興味深いと思いましたニコニコ

 

 

 

 

がしかし…

 

 

 

この【無我】について

この本の例え話もぶっ飛んでて

私には内容の要約が難しいので、

 

 

 

 

【無我】

 

 

についてダンナ(ダンナはお坊さん)に

教えてもらいました。

(私の知識の浅さがバレる…笑い泣き)

 

 

 

 

【無我とは】

 

 

まず、

 

【諸法無我】という言葉があります。

 

 

これは

絶対的な自分はない

という意味です。

 

 

 

なぜなら自分という存在は

色んなものが集まってできているから。

 

 

 

ちょっと難しいので、

 【例え話】をします。

 

 

 みなさんは

  • 家族に見せる顔
  • 会社の人に見せる顔
  • 友人に見せる顔

それぞれ違いますよね?

 

 

 

このうちどれか1つが

本当の自分というのはなくて

どれも本当の自分である。

 

 

 

なぜなら、

その時の環境が自分を作っているから。

 

 

 

会社の上司と話す時は、

その関係を維持するための

受け答えの仕方があるし、

 

 

 

家族と話す時は、

自分の過去を知っている

前提でのやり取りになる。

 

 

 

つまり、

環境によって自分という存在が

変わっている。

 

 

 

1つの自分というものはない。

 

 

 

それを【無我】と呼んでいる

のだそうです。

 

 

 

なるほど。

 

 

 

「環境によって自分という存在が変わる。」

 

 

か。

 

 

ってことは、

 

 

【どんな人と関わるか】

 

 

で自分のあり方が

変わってくるってことですよねはてなマーク

 

 

 

どんな人と関わりたい? 

 

 

 

 私だったら、

 

  • 好きなことに没頭してる人
  • 何かに突き抜けている人

 

こんな人が

興味深くて面白いし

リスペクトできるので

関わっていきたいな〜と思いますニコニコ音譜

 

 

 

難しい話になりましたが、

 

 

 

【自分とか、ないから。(教養としての東洋哲学)】

の無我について♪

 

 

 

でした。

 

 

 

そんな感じニコニコ飛び出すハート

 

 

 

 

 

 

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では、またキラキラクマキラキラ