どうも、工藤静香です。
いえいえOpen Sesameの福岡です。
前回予告したので
今日は自己紹介しようと思いまして
「私について」ってタイトルにした側から
工藤静香って言っちゃう世代、
というか彼女とは同学年です。
歩んだ人生と体型は全然違うけど。
今でこそ福岡に住んで名前も福岡ですけど
出身は大分県大分市です。
8月8日生まれの獅子座のO型です。
子供の頃からピンク・レディー完コピ出来るくらい
歌うこと踊ること人前で目立つことが大好きだったんで
歌手になりたいなーなんて思ってましたが
子供の頃から肥満児だったんで
「将来の夢」なんて聞かれても
ずっとカモフラージュを使ってきました。
だからでしょうか、
52歳の今に至っても明確に
「これになりたい」って将来の夢や
「ここで暮らしたい」って老後の夢はなくて
没頭する対象、やりたい事もコロコロ変わります。
でもそれは、若くして体験した
出来事にも関係しているかもしれません。
私がハイティーン・ブギ真っ只中な頃
(ごめんて要は高校時代よ)
放送部に所属して
「声をつかった仕事に就きたいな。」
なんて淡い夢を抱き
日本中でバブルが弾けて
パーリーパーリーイエー♪な頃に
我が家ではサーカスの大車輪みたいな
火の車が回り始めました。
そして地元の国立大学に進学してから
わずか四ヶ月で自主退学
将来の夢とか就きたい仕事とかそんな余裕はなくて
手にした求人誌の中から選んだひとつに応募し
働き始めました。
当たり前に続くと思っていた生活が一変する。
それは高校・大学の時もキツかったけど
社会人になってからの方が全然ヘビーでした。
学歴も肩書もないということが
どんなに屈辱的か味わったし
学歴も肩書も関係なく
無礼で卑劣でくだらない大人が
こんなに居るのかと打ちのめされました。
家が大変な事になったとき、
何故か胸の中に
「家族は運命共同体」って言葉が浮かんで
頑張ってきたけど
この頃はもう家の中でも外でも
自分の安らげる場所が何処にもなくて
とにかくしんどくて
メニエール病を発症しました。
私の人生ってこんなはずだったのかな
このまま大人になったら私は自分の人生を
家庭の事情で台無しにされたって言い訳にするのかな
そんなの絶対嫌だ
わがままなんて言えない大変な状況だけど
漠然とでも「やりたい」と思う事を
何かひとつ、今、実行しよう
そう決めて、福岡でひとり暮らしを始めました。
あの環境がもう限界だった。
お金がないという事がどんなにしんどいかを
それまでの数年で味わったつもりだったけど
生活の全部を自分ひとりで担ってみて初めて
「お金」の稼ぎ方・遣い方を知ることができました。
人生で一番生活が苦しかったのは
間違いなくこの頃ですが
当時の日記を読むと「若さ」と「希望」に溢れていて
我ながら頼もしい奴だと感じたものです。
強行突破のひとり暮らしに1年で幕を下ろし、
荒療治が効いたのかメニエール病も治まり、
しばらくして
人生で一番長く続ける仕事となる
税理士事務所に転職しました。
そこで初日に先生に言われた言葉が
今でも私の胸にあります。
「うちで働く中で、無形財産を作りなさい。
いつか辞めたくなっても
まだ財産が築けてなければもう少し待って。
無形財産は、泥棒にも災害にも何にも奪われない財産
仕事を通して、そういうものを蓄えなさい。」
学歴も肩書もない私にとって、この言葉は支えとなり
結局先生が亡くなるまで務めました。
そして
この仕事を辞めるキッカケが
自分で迎えに行った出会いであり
旦那はんとの結婚なのですが
それはまた次のおはなしで。
将来は、
自分次第でどうにでもなると思ってるし
自分だけの都合ではなく
様々な存在や出来事により織り成されるからこそ
人生って面白いなと思ってます。
先日終わった朝ドラ「舞いあがれ」
珍しくヒロインの目指す夢が二転三転したけど
それがすごく新鮮で、
そしてあらゆる登場人物の台詞が沁みて
好きだったー。
私は、思い込んだら一直線タイプじゃなく
スタートした後どんどんカタチが変わるタイプだけど
プロセスも結果もどっちもまるごと
自分を責めず誰かのせいにもせず楽しみたい。
春からの新しい環境に
緊張している方も多いかもしれませんが
そこでの出会いが
この先のあなたの人生を
大きく彩るかもしれませんね。
WAKUWAKU♪
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