同題の前回記事の続きなので、以下の全体が単なる素人考えにすぎないということの前口上は、ここでは繰り返さないことにする。

 前回記事で書いた内容を要約的に繰り返すと、アメリカの何たら研究所が示したとかいう「再開へのロードマップ」に記されている4段階(①感染拡大を遅らせる②地域ごとに経済を再開させる③免疫防御を確立させ、制限を撤廃する④次の未知のウイルスによるパンデミックに備える)との関連で言えば、世界の大多数の国は遅かれ早かれ、①の段階を経て②の段階に行き、そして場合によってはまた①に逆戻りする、ということを、向こう何年間かにかけて経験するのではあるまいか。そして③にはついに到達しないのではあるまいか。これが筆者の素人考えによる予想である。(そして、③への到達がない以上、③のあとの段階としての④などというものは、そもそも絵空事でしかない。)【追記】誤解の恐れがあるので追記すると、③に到達しないとしても、当然ながらいずれは感染症流行は収束に向かう。ここで言いたいのは、「収束に向かうというその過程はたぶん、ワクチンの開発等々といった決定打の登場によって進むのではないだろう。むしろ、②の段階にあって社会の中で不安がなお残る中、いつともなく流行が終わるという形で感染症流行は収束へと向かうのではないか」、ということである。【追記終わり】

 そして、では日本はどうやって、①の段階から②の段階に移行できるのか。この点を論じる前に、まず日本の場合の①への入り方について少しく論じなければならない。

 ①感染拡大の遅延化、そのための外出抑制を日本がいつ始めたかについては、いくつかの見方が可能だが、4月7日夜に発令された政府の緊急事態宣言(最初は7都府県に対して出され、のちに全国に拡大された)を始点とする見方が最も一般的たりうるのではないかと思われる(周知のように、既に2月末に全国一斉休校要請が出されるなど、様々な動きはそれ以前からも見られたわけだが)。この緊急事態宣言の発令に前後して、専門家(具体的には、理論疫学を専門とするのだという北海道大学教授の西浦氏)によって移動の8割減ということが語られ、無思慮な政治屋(安倍晋三のこと)はこれをただ真似して同じ数字を何かの会見(宣言を発令した時の会見だったか?・・・一々確認していないが)で言っていた。

 だが、この8割という数字は果たしてどれほど考慮された上で発表された数字なのか。言い換えれば、(愚かな安倍晋三にはもともと理解不能だったろうが)西浦氏にしても他の「専門家」にしても、移動の8割減が実際にどれほどのものなのか、想像できた上で語っていたのだろうか。筆者にはそうとは到底思えないのである。なぜなら、移動の8割減という状況は、前々回の記事で使ったのと同様な表現を使うなら、それ自体「社会の死」或いは「ほとんど社会の死」と言ってよい状況であるだろうからである(筆者自身そういう状況を目の当たりにしたことがないので、「だろう」と推量的に言わざるをえないが、この点で自分の見方が間違っていないことは明白だ、と筆者自身は思っている)。

 これに関して、西村康稔経済再生担当相(にして新型コロナ感染症担当)が、政府による緊急事態宣言発令との関連で、休業要請を2週間遅らせることができないかという相談を7都府県の知事に対してしていたということが当時報じられた。その時の報道の姿勢は政府部内の意見不一致とでもいったものではなかったかと思われるが、とにかく西村氏のスタンスは批判され、結局、緊急事態宣言の発令ののち、休業要請は東京都などによって速やかに出された(はずである・・・これも一々正確には確認していないが)。これについて、もちろん筆者も西村なる政治屋はアホだと思うが、ただ、正確を期するなら、休業要請の先送りを持ちかけることは、もしそれが、移動の8割減の実際の効果に関するイメージ(上で述べたような)を思い描いた上で行なわれたのであれば、それ自体は必ずしも悪くない。

 但しそうだとしても、非専門家である経済再生担当相自身が知事に相談するという形で話を持ち出すのではなく、何らか専門家(例えば日本経済に関する専門家)の見解を得て、それを引き合いに出す形で「専門家によれば移動の8割減は悪影響が大きい」云々とやるのが妥当だったろう。そのように事を運ばなかった点で、西村という政治屋はアホである。そしてさらに言えば、緊急事態宣言発令の後(そして実際には、発令の前からも)、休業要請を出すなら政府は休業補償をせよ、という当然の意見は社会の中にかまびすしくあったわけだが、これに対して西村は、(これはたぶん政府方針としてだろうが)政府は休業補償はしない、という1点張りの答弁をし続けた。これはまさにドアホと言ってよいことである(これについては当ブログの前々回の記事を参照)。結局、西村という政治屋は何もわかっていなかったと思わざるをえない。

 西村のような雑魚などどうでもよいのだが(と言いつつ、西村関連で2段落も使ってしまった)、社会的想像力を欠いているという意味では北大の上記西浦教授も、(自分の専門以外のことに見当がつかないいわゆる専門バカだという意味で)アホだと言わざるをえない。そしてさらに言えば、8割などという数字は、1度出されれば独り歩きするものなのであり、日本人が今色々なところで、外出抑制をさらに強化しようとする際にこの8割という数字は極めて容易に用いられうる。この有害性は深刻なものだろうと思われる。

 ただ、8割減という数字に飛びつくこと自体が、日本人の多くのメンタリティーに即していると言えるかもしれない。つまり日本の場合に行なわれているのは、諸外国と異なって外出規制でなく、あくまで外出自粛要請にすぎないが、それでもそれは(8割とまで行かないとしても)相当の効果を上げている。なぜか。改めて言うまでもなく、多くの日本人はお上に対してことのほか従順であり、しかもお上が指示を出してくれることを望む(言い換えれば、自分自身で、自分自身の責任で、考え行動しようとしない)からである。さらに言えば、コロナ禍が始まる以前から、日本人は清潔さに対して過度とも言えるこだわりを持っていた(この性癖が、今回の感染症拡大を多少とも鈍化させた可能性は無論あるだろうが)。とすれば、日本で①の方策、すなわち具体的には外出抑制、を実施することは、それ自体は極めて容易であり、国民に受け入れられやすかった、と言えるかもしれない。

 しかし、そうだとするとそれだけ一層、段階①から段階②へと移行することは難しくなる。なぜなら、①よりも②のほうが、明らかに感染発生の可能性は高くなるからであり、そして多くの日本人は、以上筆者が記したことが外れていなければ、感染の再発に対して他国民以上にヒステリックに、或いは神経症的に、反応する可能性が高いからである。そして、前々回のブログ記事に記したように、①を続けていると経済はガタガタになる。それを防ぐためには本来的には、前々回の記事に記したように、言わば金融の蛇口を開け続ける対応をせねばならないはずであり、それをしない日本では、とてつもない景気後退、否むしろ経済収縮、が起こる可能性がある(可能性が高い、とまで言わないとしても)。

 では①にはまり込んだ日本はそのまま②に移行できずに沈没していくしかないのか。実は、②の内容はくだんの記事では「地域ごとに経済を再開させる」となっており、ここにヒントがある。つまり、全国一斉でなく、地域ごとに経済を再開させることができれば、日本全体では経済はなお生きていることになるかもしれないのである。

 ここまででも既にだいぶ字数を使ってしまった。この続きは次回書くこととしたい。