同題の前々回記事及び前回記事の続きなので、以下の全体が単なる素人考えにすぎないということの前口上は、ここでは繰り返さない。
同題でこれまで書いた内容を要約的に繰り返すと、アメリカの某研究所発表になる「再開へのロードマップ」に記されている4段階(①感染拡大を遅らせる②地域ごとに経済を再開させる③免疫防御を確立させ、制限を撤廃する④次の未知のウイルスによるパンデミックに備える)との関連で言えば、世界の大多数の国は遅かれ早かれ、①の段階を経て②の段階に行き、そして場合によってはまた①に逆戻りする、ということを、向こう何年間かにかけて経験するのではあるまいか。そして③にはついに到達しないのではあるまいか(③に到達しない、ということの意味については前回記事に書いたその部分の【追記】を参照)。これが筆者の素人考えによる予想である。
そして、では日本はどうやって、①の段階から②の段階に移行できるのか。実は、②の内容はくだんの記事では「地域ごとに経済を再開させる」となっており、ここにヒントがある。つまり、全国一斉でなく、地域ごとに経済を再開させることができれば、日本全体では経済を生かし続けることができるのではないか。ここまでのことを前回記事及び前々回の記事で書いた。
では、地域ごとでの経済の再開のために必要なのはどういうことか。ここで、突然奇妙にもと思われるかもしれないが、本ブログの前々回記事以来参照してきた朝日新聞デジタルの記事から、最後の引用を行なうことにしたい。
(以下引用)
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現在の外出制限が緩和され、経済活動が再開しても、日常生活がすぐに「新型コロナ前」に戻るかは分からない。すでに一部解除が始まった国でも、手洗いの励行やマスク着用義務、職場での検温などは引き続き行われている。感染すると重症化しやすい高齢者や基礎疾患を持つ人の外出制限は引き続き行われる。国境を越えた旅行の再開は当分先で、入国後に14日間の自主隔離を求められる状況が続くだろう。
米ホワイトハウスのバークス新型コロナ対策調整官は「これがニューノーマル(新しい常態)だ」と話す。ファウチ氏は「正直なところ、握手は二度とすべきだとは思わない」と指摘しており、これまで当たり前に行われてきた習慣が今後は変わる可能性もある。
今後、外出自粛が緩み、経済活動や学校が再開しても、私たちはしばらく、危機前とは違う「日常」を過ごすことになりそうだ。(ワシントン=香取啓介)
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(引用終わり)
この引用部分は、くだんの記事の構成によれば④に当たる段階での「新しい常態」「新しい日常」についてまとめられたものだと解釈できる。が、本ブログの筆者の立場は既に述べたとおりで、③のあとの④などという段階は絵空事でしかなく、実際には②の段階(既述のように、①の段階に逆戻りする可能性をつねにはらむ、不安定な段階である)までしか人類は到達できない、というものである。そして特に日本の場合、多くの国民が神経症的な不安を持っているがゆえに、そもそも①から②への移行も決して容易でない、ということも既に書いたつもりである。
とはいえ、①から②への移行は必要であり、そしてそのためにポイントとなるのは、地域ごとに経済を再開させることだと。ではどうやってそれを実現するか。これを言うために今の引用を行なったわけであり、つまり実現のためのヒントが引用の中にある、と筆者は考える。
そのヒントとは何か。筆者が特に注目したいのは、「国境を越えた旅行の再開は当分先で」というところである。これ自体は国境を越えた移動の制限を意味しているが、同様なことが国内にも当てはまるのではないか、否むしろ、移動制限を国内にも当てはめるべきではないか、というのがここでの論点である。
言うまでもなく、国内の県境を越えることは国境を越えることと決して同一でなく(入境コントロールなど、現実には全く存在しない)、例えば本州内では県境のすべてのポイントに入境規制ポイントを設けることなど全く不可能である。しかしながら、例えば北海道や四国や九州及び沖縄ではどうか。少なくとも他地域からの入境に関しては、空路であれ海路であれ、入境統制を行なうことは決して不可能でなく、むしろその気になればかなり容易である。例えば空港では、入ってきた人々がゲートを通過する際に必ず、例えば非接触的体温測定が自動的に行なわれるようにするのである(この程度のことは既に現在行なわれていても不思議ではなく、否むしろ、既に行なわれていなければならないのではないか)。
沖縄を除く島(北海道、四国、九州・・・その他の島々はここではさしあたり考慮外とする)の場合には本州との間で陸路(自動車、鉄道)による交通があり、これをどうするかは問題である。が、これについても、越境ポイントに当たる駅でのゲート通過、自動車についてはETCシステムや監視カメラを活用した入境統制、といったことは技術的等々の観点から見て決して不可能でないだろうと想像する(すぐの実現が可能かどうかはともかくとして)。
と、ここまで書いてきたが、この先を書くのはいささか気が進まない。なぜなら、入境統制を有効たらしめるには、何らかの身分証の常時携行(身分証の常時携行は多くの国では既に行なわれているが、日本では、幸いにもと言っておきたいが、まだ行なわれていない)及び入境の際の提示も必要不可欠だ、ということに不可避的になりそうだからである。前回記事でGPS追跡に関して記したことにもかかわるが、個人情報のこういう取り扱い方を一般化するためには、まず先だって、自己情報管理権とでもいったものがきちっと確立され、かつ情報公開制度が十全に整備され、権利の上でも実際的にも自己情報を自ら管理できる(ここで言う「管理」の中にはもちろん、場合によっては、消去も含まれる)仕組みが確立していなければならない。日本の行政はこういうことに対して極めて不熱心であり全く信用できないが、これはこの際断然整備が必要である。
話がやや横道にそれてしまった。ここで問題にしたいのはまずは何らかの移動制限ということであり、それが、地域ごとの経済の再開の場合には必要となり、かつ役に立つのではないか、ということである。このあたりは日本の例だけを考えているとわかりにくいが、例えばEU圏を考えれば俄然イメージははっきりしてくる。つまり、周知のようにEU圏は、今回のコロナ禍が始まるまでは、国境での検問は基本的に存在せず、自由な行き来が可能だったが、コロナ禍と共に国境は閉鎖された(たぶん今でもまだ、この状態にあるのではないか)。そして今後、EU圏でコロナ禍が収束に向かった場合でもたぶん、今回閉鎖という形で再登場した国境管理は、コロナ禍以前の状況のように完全になくなるということはもはやないのではないか。それが検問という形をとるのか、それとも自動監視カメラの設置及び(日本のETCシステムのような)何らかのゲート通過という形をとるのか、具体的なことはわからないが、何らかの管理は継続するのではないかと思われる。
そして実を言うと、筆者自身が考えているのは基本的にここまでで、つまり、地域ごとの経済の再開のためには何らかの移動制限が必要となり、かつ役に立つのではないかというのが、この点に関して言いたいことのほぼすべてである。何だ、それだけか、と思われるかもしれないが、あとのことは、実際に経済が再開(今でも経済は一応多少は動いているので、ここで言う「再開」とはもう少し本格的な「再開」だ、というぐらいのイメージだと理解いただきたい)してみないとわからないので、素人予想をしたところで全く無意味だろうと筆者自身は考える。
そして実は、この移動制限ということについてもう少し考えたい。言い換えれば、今回のコロナ禍を経て、色々なものが変わるだろうことは想像にかたくないが、その中でも特に重要な変化として、移動に関する人々の考え方が、変わるというよりむしろ、変わらざるをえなくなるのではないか。この点をここでは問題にしたい。
といっても、これについても、あれこれ思索をめぐらしているわけでは全くないのだが、例えば、移動に関する考え方が変化することの結果の1つとして、観光関連産業(旅客運送業を含む)のあり方が、大きく変わらざるをえなくなるのではないか。日本政府はここ数年観光立国を目指してきたが、今後これを同様に推進することは、筆者の予想ではたぶん間違いなく無理である。いろいろな点で考え方を改める必要が間違いなくあるだろう。
産業の変化ということで言えば、今回のコロナ禍の中で色々やり玉に上がったライブハウスは、今後も営業が難しくなるのではないか(ライブは大会場か野外へと、大幅に移行せざるをえなくなるのではないか)。また、全然違う話だが個人的関心から言うと、各地で行なわれていた合唱サークルなるものも(今回のコロナ禍の中で集団感染の機会としてやはり問題になったが)、今後は実施が相当難しくなるのではないか。
等々、色々挙げだせばほかにもいくつも例が出てくるだろうが、とにかくこのコロナ禍が今後社会に対して及ぼすであろう影響は、どれほどか筆者には想像がつかないほど、甚大かつ深刻であるように思われる。それぞれの人がそれぞれの場で具体的に考えて、必要に応じて発信するだろうから、そういう発信(特に、具体的な発信)に今後とも注意していきたいと思う。