首里城が焼け落ちてしまいました。
朝のニュースでそれを知って
ショック・・・
ただただショック。
なんの言葉も出てこない。。。。
工事おわったばっかりだったのに。
2017年に家族で行ったのですが
その時は塗装工事中でした。
向こう側に工事の様子が見えるね。
沖縄人の私だけれど
実は、首里城に行ったのは
初めてでした。
観光地って感じで
なんだかなじみがなくって。
でも沖縄からでて
子どももできると
自分の故郷というか、
ルーツのコトに興味がでてきて
ちょうど
はるさんをつれて
沖縄の世界遺産めぐりを
始めたころでした。
ここに来ると
中国や韓国の様式が随所に見られ
ああ、本当に一国として
貿易したり、圧制されたり
交流していたんだなぁ
と歴史を感じるところでした。
でも、はるさんをつれての首里城は
なかなかハードルが高かったなぁ。
おかあさーん
はやくーーーー
と、呼ばれて
資料を読んでいる暇もなく。
また次にきたら
ゆっくり読ませてもらおう。
その次なんてもうないんだねぇ。
建物が消失したということに関しては
ショックはしばらくしたら過ぎ去っていきました。
でも、まだ
心が痛い。
なんで、何に私はココロを痛めているのかなぁ
と見てみたら、
首里城の復元に携わった方々が
大事に大事にしたものを
失った悲しみに リンクしていることがわかりました。
建物自体は
もともと、レプリカです。
本物の首里城は
沖縄戦の時に
消失しています。
なので
私が
琉球国時代の息遣いを感じるのは、
「建物」より「跡地」
の方でした。
「石垣」などに
古都の息づかいを感じていました。
でも、復元した人達にとっては
話が違う。。。
首里城は
資料もないまま、
資料すら復元から始め、
材料を台湾から取り寄せて
試行錯誤して作った城です。
たくさんの想いとエネルギーが注がれた
建築物です。
そういった
城の復元にたずさわった人々のことを
思うと、心が本当に痛んで。。。。
これから復元するにしても
さらに資料がなくなったことでしょう。。。
このがじゅまるさんは
無事だろうか。
植物も多くなくなったのだろうなぁ。。
でも、誰一人
ケガ、なくなる方がいなくて
それが救いです。
最初はフェイスブックを見ていたけれど
見るほどに辛くなるので、
情報をシャットアウトして。
そして今日は
おせんみこちゃを焚いて
一人、首里城を供養していました。
一国の王は、
国を代表した巫女的な存在でもあります。
国のために祈りを捧げます。
天皇がそうであるように。
毎日、拝みをします。
拝みの部屋に常に炊かれていたお香
(という名目)
がお土産やさんで売られていたので
もちろん購入しました。
とっても神秘的な香りです。
残り、
あとわずかですが
惜しみながら炊きました。
何かが終わりを告げ
何かが始まっていくのでしょうね。
破壊と再生。
これから
再生が始まるのだと思います。
さらに結束力を強める
そんな出来事に変わっていくのだと思います。
その前の
グリーフケア
のひと時でした。
キネシカウンセラー りか