この週末はばーちゃんのお葬式でした
じじとお母さんに看取られて自宅で亡くなった
幸せな最期だったのではなかろうか
眠る綺麗な顔を見て
やっぱりばーちゃん美人だったと思いました
ばーちゃんはとても信心深く
昔、「観音様が寿命を95までくれた」と言っていました
90歳ころから入退院したり、ぼけてきたりして
95まで長生きできなそうだな。。。と思いつつ
いざその時が来たら、ばーちゃんの為に般若心経を覚えておいて
仏壇であげようと思ったのが3年前
覚えたら死んじゃうと悪いから積極的に覚えず
でも半分ぐらい覚えた後、その事を忘れてました
ばーちゃんの誕生日は7月7日
今年94歳、数えで95歳
今年のその日に突然入院となり
「肺塞栓症」と言われ、あと数日という状況
観音様の言う通りになった!と家族で覚悟を決めてました
私は北海道からそのまま山寺へ向かおうとしてたのだけど回復したばーちゃん
二週間入院したせいか、それから寝たきりになってしまったけど
食欲はあるしヘルパーさんに喧嘩ふっかけるし
とても元気になって皆ビックリ
一時はラーメン食べたいとか言い出して食べたし(数本)
でも八月の半ば頃から水もほとんど飲めなくなり
調べたら8月28日が旧暦の7月7日
観音様旧暦で見てる?
いくらなんでもそこまで持たないだろうと誰もが思った
変わらぬ状況で8/28を過ぎ
母が「この世に心残りがあるんだろうか?」と
あ、そう言えば私、般若心経覚えるって決めてたんだったと
そこから練習を始め全部は覚えられなかったけど
文字を見ながらお経あげられるようになった
ライブから帰ってから全部覚えるからねと
心で思ったけどその日逝ってしまった
私がお経あげたら喜んでくれそうだな
上の写真は山寺の五大堂
お葬式の後にこの辺りのお寺まで
遺骨を持って上がるというしきたり
3日前まで知らず、仰せつかった私たち孫は
大丈夫かなとびびっていたけど
涼しかったし、ばーちゃんのパワーのせいか
なんだか楽々上って行けて皆でビックリ
遺骨の他にこういうお供え物と米10合とかしょって行くんです
お葬式って色々大変
お通夜にはコーヒーをガブ飲みして
ずっと起きてたじじ
七夕産まれのばーちゃんの戒名に
月という文字が入ってて、夜空つながりでなんか良いなって思った
亡くなる一週間前、私だけお見舞いに行った時
それまでが嘘のようにすごくはっきりしていて
私を昔の呼び名で呼んでにっこり
あれ持ってけこれ持ってけと聞き取れる話し方で
帰るよーって言ったら両手でバイバイしながら
何故か頑張れ頑張れーと
ああ昔のばーちゃんそうだった
帰る時沢山お土産持たせてくれてたし
いつもお茶目だったなーって思い出して
これが最後だろうって思ったらやっぱりそうだった。。。
その時持ってけと言われた、ばーちゃんの生まれ故郷の
細谷の井戸水
中身はもう水道水だけどしばらくお供えしておこうかなと思います
ばーちゃんと手を握ったりって、大人になってからしない事で
こんな風に弱まってしまうまでしてなかったから
最初とても違和感があったけど
温かい手に触れてお別れができたのは
とても有難い事だったなあと後から思いました
お通夜の前にお風呂に入りに行ったので
限定かまわぬ手ぬぐい買えました
橋を渡って山の中通って、その先におうちがある
ばーちゃんちに行く時みたいな模様なのです
急で薄暗くて昔から変わらない
ばーちゃんちの階段
階段降りる時ギシギシ音がすると
ばーちゃん起こしちゃう!と
つい気をつけて緊張してしまうのでした
いなくなっちゃったのに