病院の廊下をてくてくと歩くと突き当たりに大きな自動ドア

ドアには『中央手術室』の文字


ドアの中に入るとこれから手術を受けるであろう担架に横たわる人や

看護士さんたちでごった返してあわただしい様子


目の前に手術担当の看護士さん2人が現れ自己紹介。

私の名前もフルネームで確認され、


病棟担当の看護士さんとはそこで別れ、

手術担当の看護士さんと手術室へ・・・


さらに廊下を歩いてTVドラマで見るような手術室へ入りました。


台に横たわるのかと思ったら、

女性の看護士さんが

私のまえにバスタオルをたらし


「全部脱いでください。ショーツは穿いてていいですよ。」


病衣着を脱いでバスタオルで前を隠しながら

手術台の横に並べてある担架に横たわりました

(手術台の上には意識が無くなってから

うつぶせで寝かされるそうです)


胸には心電図のシールが張られ

腕には点滴が入れられました。



そのあとの記憶はありません。


次に気がついたのは、また担架の上で

「(手術室から)お部屋へ戻りますね」

という看護士さんの声が遠くで聞こえ


担架からどうやってベッドに移されたかも

意識もうろうでよく覚えていません。


看護士さんたちの影から

コーディネーターのUさんが見え、

「患者さんからの手紙置いておきますね」

と言う声がした。

「はい・・・」返事をしようとしたら、


ん・・・声が・・・喉が痛い!


人工呼吸器をつけるので喉に管を入れるとは

聞いていたけど、こんなに痛いとは。

かなり風邪がヒドイ時みたいに声はガラガラでした。


術後3時間は採取部位を下にして

つまり仰向けで安静にしなくてはならないとの事でしたが

とにかく意識もうろうで眠っているような起きてるようなで

知らない間に3時間経っていました。

意識もうろうの中、体の震えが止まらなかったのは

骨髄液を沢山取られたから?

あまりに震えるので看護士さんに訴えたら

電気毛布を入れてくれてました。


3時間が過ぎるころ、

点滴と尿道カテーテルを外してもらった私は

おなかがすいて、すきすぎて・・・味噌汁が飲みたい・・・

動けるようになったらすぐにしたの売店で

カップのインスタント味噌汁を買いに行くぞ

と思ったけど、

いざ、動こうと思ったら

とてもじゃないけど立てない。


とにかく起き上がりたかったので

ベッドに座り空腹を紛らわすために

Uさんが手紙と一緒に持ってきてくれたお土産?お見舞い?の

モロゾフのキャンディをひたすら食べながら本を読み

夕食を待った。


夕食を食べたあとは食器を給湯室近くまで自分で運び

歩いてみたけど、ひょこひょことしか歩けず、

自分では歩けるつもりでいたのに、歩けないことが

少しショック。

次の日に退院する気満々だったけど、

その日は家族みんな忙しく迎えに来てくれる人も無く

一人で電車に乗るだけの体力も無く、

先生も退院は明日にしましょう。とあっさりと言われたので

黙って従いました。


次の日、マスオさんに迎えにきてもらったけど、

今日だったら一人で電車で帰れたな。ってくらい回復してました。


さらに次の日は近所のスーパーへ自転車こいで出掛けてました。

何が嫌い?と聞かれると、具体的に「ここが嫌い」

と言うわけではないのだけれど、

嫌いな人がいる。

ナカタさん(仮名)


正しくは嫌いな親子かな。


それも、その親子は我が家から一番近い

子供のいる世帯である。


5年生の娘ナミは幼稚園の頃から

2歳も年下のカツオをいじめてくれていたし、

(それがまた、大人が見てないところでしかやらない)

2年生の息子リュウタはうちの家の玄関先を水浸しにして

怒ったら、うちの子のせいにして泣き出す。

母親は営業スマイル?っていうくらい

いつもニコニコしてるけど、なんか胡散臭い。


何が一番腹が立つって

同じ登校班で、今年は私サザエが保護者の班長をしているので

毎朝、集合場所で全員そろうのを待ってるけど

家を出てくるのがめっちゃ遅い!

リュウタのせいでわたしは会社に遅刻しそうになってます。


けど、それも3月まで。

4月からは別のお母さんにバトンタッチするので

あともう少しと耐えています。


そしてこのあいだ、来年4月からの

子ども会の会長を新6年生の保護者の中からくじ引きで決めたのですが

めでたくナカタさんが新会長に!

おめでとう!!

おーほっほっほっほーー。


あたし、性格悪い?


さて、移植手術当日。

前日の深夜12時以降絶食、当日午前7時以降絶飲。


朝7時までに、紅茶でも飲もうかな

と思っていたら、何も口にしないまま

7時を過ぎてしまいました。


看護士さんがやってきて

「浣腸どうしますか?自分でされます?」


・・・え・・・


昨夜、来られた看護士さんは

「7時までにお通じがなかったら・・・」って

言われてたけど、

今朝の看護士さんはお通じがあったかも聞いてくれない


どっちにしても、まだ出てないし、

さっきから金魚運動とか

はだしで冷たい床をぺたぺた歩いたりしてみたけど、

出そうもないし、


観念して浣腸をするしかなさそう・・・


で、看護士さんといえども他人に浣腸される自分を

想像するとまぬけなので、「自分でやります。」と

答えました。


子供を産んだ人なら分娩台に上がる前に

浣腸されたことある人も少なくないと思うのですが、

私はアレが大嫌い。

浣腸液を入れて5分まてっていうけど、

5分も待てない!!

すぐ出したい!!

今回も看護士さんは最低3分は待って

って言ったので、なんとか3分は耐えた。


とにかく、入院まえからこの浣腸が一番嫌だったので

なんとかコレをクリアしてあとは手術に望むだけ

となりました。


浣腸が終わったあとはシャワーへ入り

病衣服に着替え、

エコノミークラス症候群予防のための

弾性ストッキングを履き、

9時前に看護士さんが呼びに来られたので

歩いて手術室へと向かいました。


つづく


今日のカツオはカブスカウトの活動があって、

いつもならマスオさんが連れて行ってくれるのだけど、

今日のマスオさんは友人の結婚式へ行っていなかったので、

私、サザエが送り迎えを。


私とカツオがリビングに入ると

ワカメとタラちゃんがいないので

「あれ?ワカメとタラちゃんは?」とたずねると


フネは


「上の部屋でインクジェット見てる」


は?インクジェットですか?


「違った、モンスターズインクでした。」


インクしかあってないじゃん。


「だって、こないだ、年賀はがきを買いに

郵便局へ行ったとき、一生懸命、覚えてんもん。

母さん、カタカナ語は苦手なの!」


と言い訳されました。

12月になりましたので、骨髄移植手術について

話そうかなぁ・・・なんて。


11月某日。

某医科大付属病院入院。


入院は午後1時からだったので、

午前中はぎりぎりまで家の事を片付けた。

私が入院してる間の晩御飯、

1日目はカレー、2日目はおでん。

それを両方たんまり作って、

フネに託す。

昼は給食があるし、

朝ごはんには菓子パンを沢山買っておいた。


実は、フネにちゃんと移植手術の話をしたのは

おでんを作り終わったとき。

もう今から、病院へ行くって時。


最初にドナーに選ばれた通知が来たときに

フネに「3日ほど入院しなあかんねんけど、

たぶん母さんには一番迷惑掛けるだろうから・・・」

って話したら、フネはひとこと

「誰がタラちゃんの保育所の送り迎えすんの?!」


それが8月のことで、

それからコーディネートは進めていたけど、

骨髄移植のことをフネに話すことはなかった。

とにかく、保育所のこと、ごはんのこと、

フネに迷惑を掛けない形でマスオさんの協力を得て

その段取りが組めたのは入院4日前でした。

でも、フネには入院のことをなかなか言い出せないまま

当日まで来てしまった。


とにかく、フネに大きな鍋二つを託し、

小さめのボストンバッグを持って電車で病院へ向かいました。


病院に着くと、いつものように

正面玄関でコーディネーターのUさんが待っていて

二人で入院の受付へ。

すぐに病室へ案内されました。


看護士さんから入院についての説明を一通り受けると

もう、やることがありません。

病気ではないので、ベッドに横になることもなく、

パジャマにも着替えず、

Uさんが帰ってしまった後は、

家を出るときにフネが貸してくれたハードカバーの

乃南アサの小説をベッドに腰掛けて読んでいました。


担当医師の先生や、麻酔科の担当医師などが

手術の説明や最終の血液検査のための採血などで訪れ、

その間に看護士が検温や血圧を測りにやってきたりで、

読書に集中できるほど暇ではなかったけど、

普段なら、仕事したり、家事したり、子供の宿題見たりしてる時間に

それらをしないでいいというのはちょっぴり嬉しくもありました。


つづく