Whale War | OBSN | アメリカで勝負を挑んでいる人たちのブログ

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先日私の帰宅時に子供がテレビでAnimal Planet ChannelのWhale Warなる番組をみていた。

内容はSea Shepardなる反捕鯨団体の南氷洋での日本の調査捕鯨に対する妨害活動を収めたドキュメンタリーで、50代前半と思われる船長と20代30代の男女7-8人のメンバーが荒れ狂う南氷洋で日本の捕鯨船に自分たちが乗り込んだ船を体当たりするほどに接近させ、化学薬品を仕込んだ瓶を投げ込み 繰り返し繰り返し妨害する様子を映像にしたものであった。

彼らが乗船していた船は捕鯨船とほぼ同規模の船であるから木っ端微塵粉々になってしまうようなことはない。

20代30代のメンバー達は捕鯨活動を純粋に動物愛護家として止めさせるべく抗議活動をしているように見えた。

しかし私は、なんともいえない複雑な思いを番組から感じた。

私には今でも鯨肉の味の記憶がかすかに記憶のずーっと奥のほうに残っている。

今はもう私達は食することがなくなってしまったのだが、かつては学校給食の肉といえば鯨肉であった。

恐らく40代から50代の方であれば学校給食などで食された事がおありであろうから番組をご覧になればその私の感じた複雑な思いを共有して頂けるのではなかろうか。

私にとって、思えば、鯨肉を食した頃の昭和30-40年代は、“物を粗末にするな!”と厳しく戒めてくれた両親が健在だった、一寸ほろ苦いがしかしもっとも夢多き幸せな時代であったと思う。

当然だが、番組の中で、日本の文化あるいは狭い意味での食文化の中で捕鯨と鯨肉がどのような位置付けにあったかに関し一言の言及がなかった。

その意味では日本人にとって大変排日的で独断的な番組であったと思う。

今から20年以上前のことであるがアメリカ人との個人的な会話の中で一度だけ捕鯨に関して非難されたことがあった。

その時私は日本では漁業と日本の食生活が密接な関係にあること、昔から沿岸捕鯨が盛んで鯨を獲って食べていたこと、また文楽などで人形の細かい動きを表現するのに鯨のひげが使われていることなどを話した。

おかげでそれ以後私は、彼らからそれ以上の非難を受けることがなかった。

私達日本人は “男は多くを語らず。”とか“男は言い訳をするな!“などと寡黙を美徳とする文化の中でそだってきた。

だからなのか私たちも私達の政府も自分の考えを他国の人たちに主張し理解してもらうことが相対的に不得手な民族であるようだ。

捕鯨は日本人の食文化である。

そしてその文化は否定されるべき物ではない。

今こそ外国にいる私達だからできる草の根的レベルの発信を通して私達の文化とかアイデンティティを守らなければならないし、私達自身を変えていかなければならないのではないだろうか?