昨日に引き続き、恵隆之介氏の著書「誰も語れなかった沖縄の真実」からマスコミが報じない沖縄の実態を紹介します。

 

今回は、江戸時代から戦前までの沖縄の状況について簡単にまとめています。江戸時代は、薩摩藩の支配下にありつつ、同時に清へ朝貢して冊法体制下にもありました。当時の日本の各藩とは異なり、琉球王朝の圧政により民衆が苦しめられ、様々な面で本土より発展が遅れていました。

 

明治以降は、日本政府が沖縄を発展させようと様々な施策を実行しますが、教育面の遅れなどが原因で思うように成果が上がりませんでした。沖縄財政は、戦前から国の補助金に頼る体質になっていました。

 

 

琉球王朝の圧政により民衆は困窮

・琉球王国は土地所有が認められず82民という重税が課され農民は苦しい生活を強いられていた。

本土に比べて農業技術が著しく低く、生産性が低かった。

・廃藩置県まで地割制(※1)を施行したことで農業が発展しなかった。

・江戸時代の日本は世界で最も高い識字率を誇っていましたが、琉球では農民は文字が全く読めない状態だった。

・読み書き算盤ができない人が多かったため、明治になってから沖縄の近代化が遅れた。

・明治34年に最後の琉球王が死去したとき、沖縄県知事が喪に服すことを指示したが、ほとんどの人はそれに従わず、お祝いをする地域もあった。

 

他の日本の各地では、藩などからの連絡は基本的に文書でされていましたので、農民であっても文字が読めないと困るような状況にあり、多くの農民は文字が読めたと言われています。

 

1:共産主義国で行われていたような集団農耕システムで、耕作地を23年(離島地域は10年)で交代させ、集落単位で課税を行った。

 

 

沖縄には中国帰化人の子孫が多くいる

・明や清への朝貢貿易を行っていた。

・那覇市内の久米と呼ばれる地域に中国人が居留し、朝貢貿易の政務を担当していた。

・久米では中国語が使われ、そこの中国人は日清戦争終了時まで沖縄を中国圏内に留めようと画策していた。

・清が成立した時には満州族の支配を忌避して多くの漢民族が沖縄に逃れてきた。

・明治維新後は中国帰化人達の支那党が、沖縄の近代化を妨害した。

・現在も約3千人の中国帰化人がおり強い団結がある。

・仲井間前沖縄県知事、稲嶺元沖縄県知事は中国帰化人の子孫。

 

 

明治維新後に沖縄近代化を図るも遅々として進まなかった

・明治25年頃には小学校就学率が約18%だったのが、明治40年には93%にまで上がった。

・明治に入ってからの沖縄振興は遅々として進まず、明治末期の沖縄県の財政の70%が国からの補助金だった。

・大正末期の沖縄は平均賃金や農家の生活水準が全国平均の3分の1しかない状態だった。

・昭和に入ると、県内各地で労働争議が次々と起こり、ストやサボタージュが決行されて企業の倒産が相次いだ。そのため失業者が増え、沖縄県の各自治体の税収が激減して破綻寸前の状態に陥った。

・農業の生産性が低く、沖縄県内だけでは食料生産が足りず、本土から米などの食料を流入させていた。

・日本政府が、農業技師を沖縄県内各地に駐在させて農業技術を向上させて生産性を高めた。

・日本軍の飛行場建設などを行ない平均労働賃金が上昇した。



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