【映画】ボーはおそれている~「母性」と「ユダヤ」と「強迫神経症」と | 鶏のブログ

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【監督】アリ・アスター

【原題】Beau Is Afraid

【制作国】アメリカ

【上映時間】179分

【配給】ハピネットファントム・スタジオ

【出演】ホアキン・フェニックス(ボー・ワッセルマン)

    パティ・ルポーン(モナ・ワッセルマン)

    スティーブン・マッキンリー・ヘンダーソン(セラピスト)

    パーカー・ポージー(エレーヌ)

【公式サイト】

 

A24プレゼンツのアリ・アスター監督作品というと「ミッドサマー」が思い浮かびますが、同作が世間的に話題なった割には個人的にあまりしっくりこない作品でした。それでも今回本作を観に行ったのは、主役がホアキン・フェニックスだったから。直近で観た「ナポレオン」は、物語の方はちょっと残念でしたが、ホアキン・フェニックスの演技は素晴らしかったし、何と言っても「ジョーカー」の時の驚愕の演技力が脳裏に焼き付いており、相当な期待と漠とした不安を抱いて本作を鑑賞しました。

 

結論から言うと、内容が盛りだくさんで、一筋縄では理解が難しい作品でした。そこでキーとなる要素をいくつかピックアップして、それぞれの観点から本作を振り返りたいと思います。

 

まず本作の物語の軸となっているのが、主役のボーが離れて暮らす母親に会いに行くというものなので、「母性」というものに焦点を当ててみます。ボーの母は物語終盤に姿を現しますが、一代で大企業を作り上げた敏腕経営者。ボーに対する愛情も勿論あるようですが、支配欲が強く、半ば従業員に対してパワハラ的に接するような態度でボーと接してきたようで、そんな母親を「ボーはおそれて」育った模様。一方父親が生きているのか死んでいるのか、何故いなくなったのかなども不明な状態で物語は進んで行きました。

こうした展開は、まさに母と息子の葛藤の物語な訳で、良くある物語と言えば良くある物語です。終盤になって母と息子が対峙する場面では、ボーが長年の葛藤を乗り越えて自立できるのかが焦点になります。一方で置き去りにされていた父親は、字義通りシンボル化されて天井裏に閉じ込められており、あえない最期を迎えることに。この辺り、父権の失墜と女権の隆盛と言う今の社会状況のメタファーと解することも可能なのかも知れませんが、ジェンダーギャップ指数が世界146か国中125位と、依然として男権が強い日本にいると、あまり響かない展開ではありました。

ただ母子の葛藤の物語を自分に当てはめて考えてみると、今や年老いてしまった我が母が、かつて強かった当時を思い起こすことになり、それなりに懐かしさを覚えたところです。まあ我が母はボーの母同様に意志強固ではありましたが、息子のセックスにまで口を挟まなかったので、その点ボーよりも遥かに幸運だったのでしょう。

 

続いてキーとなっていたのは「ユダヤ」ということ。アリ・アスター監督はユダヤ人なので、自らの出自となるユダヤ人の受難の歴史を、ボーに背負わせていたという解釈も可能でしょう。アパートの隣人から言われなき嫌がらせを受け、鍵を盗まれて自室を得体の知れない連中に乗っ取られるボー。この辺りの物語序盤の展開は、まさにユダヤ人の歴史と重なるもの。そして「約束の地」たる母の元に苦難の旅をするボーの姿も、彼らの歴史に重ね合わせて描かれていたように(勝手に)解釈したところです。

 

そして3つ目のキーが「強迫神経症」。本作は、とにかくボーが苛められ続けるというお話ですが、これらの受難はボーの強迫神経症と思しき症状から来る想像の産物だったと言っても良いかと思います。街にはヤバい奴が溢れている、外に出ると奴らに襲われるかも知れないという恐怖心は、特に治安の良くない場所に住んでいる人なら共有している感覚でしょうが、それが強くなり過ぎると何も出来なくなります。本作のボーはまさにそんな負のスパイラルに陥った状態でした。

そして「悪夢」の連鎖と言うべきか、こんなことが起こったら怖いなといった強迫観念が生まれた次の瞬間に、想像通りに最悪なことが発生する。誰しも「悪夢」を見ることはあると思いますが、それが延々と続くのですから、まさに「ボーはおそれている」となるのは当然でしょう。ただ実際にそれが起こったことなのか、ボーの心の裡にのみ起こったことなのかは、観た者の解釈次第でしょう。

余談ですが、昨年10月にガザ地区を支配するハマスの武力攻撃に端を発して、イスラエルとハマスとの間で紛争が続いています。緒戦ではハマスの奇襲が成功したものの、その後は圧倒的な戦力を持つイスラエルが反撃に転じており、それが行き過ぎてジェノサイドをしているのではないかという批判すら国際社会で起こっています。本作のアメリカ公開は2023年4月なので、今般のパレスチナ紛争より前に創られている訳ですが、本作の最終盤にボーが「最後の審判」を受ける際に、自分が飼っている魚には餌をやるのに、貧しいホームレスは拒絶するどころか(偶然にも)痛めつける結果となったことなどの罪状で裁かれてしまいます。アリ・アスター監督が今回のパレスチナ紛争を予見していた訳ではないでしょうが、第三者的に観るとボーの運命は中々に暗示的だったと感じたところでした。

 

以上、いくつかのキーワードで本作を振り返ってきましたが、それが正解なのか不正解なのかは勿論分かりません。ただ様々な切り口で自分の置かれた状況と異なる世界を描いた作品であり、正直然程には感情移入できなかったというのが正直な感想です。

 

あと物語の展開とは別に、期待していたホアキン・フェニックスの演技は期待通り。不安に苛まれつつ都会で暮らすボー、そして艱難辛苦を掻い潜って母の元に旅するボーの姿を、悲劇的でありつつもどこか喜劇的に演じた姿は、流石だと思わずにいられませんでした。

 

そんな訳で本作の評価は★3とします。

 

総合評価:★★★

詳細評価:

物語:★★
配役:★★★★
演出:★★★★
映像:★★★★
音楽:★★★