【映画】ロストケア~42人の高齢者殺人は、天使の仕業か悪魔の仕業か? | 鶏のブログ

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【監督】前田哲

【原作】葉真中顕

【製作国】日本

【上映時間】114分

【出演】松山ケンイチ(斯波宗典

    長澤まさみ(大友秀美)

【公式サイト】

 

予告編やチラシで、「42人連続殺人犯VS真相に迫る検事」というキャプションが踊っていたので、観る前はひょっとすると猟奇殺人物なのかなと思ったりもしたのですが、実際に観てみると全く違っていて、超高齢化社会となった日本の抱える過重な介護問題とか、公的支援のあまりの少なさを訴えた力作でした。一応ミステリーに分類されていますが、警察や検察が殺人事件の犯人を突き止め、犯行の方法や動機を解明していくという意味ではミステリーと言えますが、実際はミステリーという形態を非常に上手に使って、まさに前述した介護の問題だったり、人の生死に関わる話を考えさせる展開になっており、極めて質の高い作品だったと思います。
 
キャプションにもあるように、松山ケンイチ演ずる介護ヘルパーの斯波は、合計42人の老人を殺害します。内訳は、病気で寝たきりとなった自分の父親を皮切りに、仕事で介護を担当していた老人41人の合計42人という訳ですが、本作のテーマとしては、この斯波の行為が、「天使の仕業なのか、悪魔の仕業なのか」ということを問うていました。これは比喩表現でもありますが、同時に映画の冒頭で「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。」(マタイによる福音書7章12節) という聖書の一節を紹介して物語が始まることから、宗教観も絡んだ非常に重層的な構造の作品でした。
 
事件直後の現場付近に設置された監視カメラ映像に斯波が写っていたことから斯波の犯行が疑われ、長澤まさみ演じる検事の大友が取り調べを行う。この過程で、大友は通り一遍の正義や法秩序を振りかざして斯波を有罪に持ち込もうとしますが、実はその大友にも、認知症を患って高級老人ホームに入所している母親がいる。父親は大友が幼い時に離婚していたが、後々驚くべき事実が明かされることになる。
それはさておき、斯波は取り調べの中で、自らの父親が病気で動けなくなったことをきっかけに仕事を辞め、自ら父親の介護をしていた経験を語る。収入は父親の僅かな年金のみ。それも家賃と光熱費を払えば殆ど消えてしまうため、満足に食うことも出来ない極貧状態。そこで生活保護を申請しに行くものの、「あなた(斯波本人)が働けばいいので、生活保護は受け取れません」と窓口ですげなく断られてしまう。その結果、タバコから抽出したニコチンを注射する方法で父を殺害するに至る。
そうした経験から、斯波は「この世の中には穴が開いている。穴に落ちたら抜け出せない」、「大友検事はじめ世間は自己責任だと言うが、そういう人は安全地帯から話をしている」といった話をする。
一方の大友検事は、斯波と同じく親一人子一人という境遇ではあるものの、母親は高級老人ホームで何不自由ない生活をしている。確かに斯波の指摘通り、大友の通り一遍の正義や法秩序など、安全地帯で宣うお気楽な建前論とも思えてくる。
 
そうした斯波と大友のやり取りを軸に物語は展開していきますが、ラストで刑務所(もしくは拘置所)の面会室で仕切り越しに行われたこの二人の会話は、本当に心動かされました。判決内容は明示されませんでしたが、恐らくは最終判決が下って裁判が終わったと思われる段階での面会でしたが、ここで大友は自分の境遇と反省を斯波に初めて打ち明けます。まるで教会の懺悔室で神に懺悔するかのように。勿論神は斯波(前述の通り斯波は聖書の一節を引用し、これをもとに”人を救っている”ので、宗教は違うけど、「斯波」という名前は「シヴァ神」から来てるのかな?)。
大友は、母親を老人ホームに入れたことをはじめ、幼い時に離婚して離れ離れになっていた父親から連絡がありつつも無視をしていたこと、連絡から数か月後、父親が孤独死して腐乱した状態で発見されたことなどを、反省を込めて斯波に語ります。斯波は取り調べの際に、大友は安全地帯にいると指摘し、そんな大友に自分のことを理解できる訳もないと言っていましたが、実は穴に落ちていないと思われた大友にも、それなりの苦悩があったということが斯波に伝えられて映画は終わります。
 
いろいろとストーリーまで話してしまいましたが、現代日本が抱える問題を、ミステリーという娯楽作品に投影して分かりやすく観客に提示し、考えされるという展開は、実に見事でした。
去年「PLAN75」という倍賞千恵子主演の映画がありましたが、あれは75歳になったら自ら死を選択できるという制度が出来た近未来映画でした。「PLAN75」の製作者は、もちろんこうしたディストピアのような未来が到来することを予測させる兆候を嗅ぎ取った上で作品化していたかと思います。この「75歳になったら自ら死を選択できますよ」という制度は、独居老人の悲哀とか過重介護に苦しむ本人や家族の問題を、上(国家)から解決しようと試みる制度と言えるでしょう。
ただこれは、社会保障費用を圧縮しようという上(国家)の都合や、75歳以上の人を死なす国家事業すらも、何処かの人材派遣業者や広告代理店のような企業が儲けの種にしていることが描かれており、要は一般庶民の側に立った解決策を偽装しながら、実際は安全地帯の連中による安全地帯のための施策であるように思えました。
 
一方で本作で斯波が取った行動は、いったん落ちたら這い上がることの出来ない深い深い穴の中の苦しみを、穴に落ちてしまった当事者が自ら解決しようとしたものと言えます。つまり下からの解決です。PLAN75のような上(国家)からの解決も、本作のような下からの解決も、どちらも結果的には天寿を全うする前の高齢者を人為的にあの世に送ることになるにも関わらず、上(国家)からの解決は法的に有効であるのに対して(というか、法律そのものですね)、下からの解決は普通に犯罪行為となり、場合によっては死刑になってしまうかも知れない訳で、なんとも不条理を感じざるを得ません。
そう考えてくると、天寿を全うする前の人を、人為的に死に至らしめるというという行為そのものの是非とか善悪とかを判断するのは、最終的には宗教の領域であり、少なくとも安全地帯でのうのうをしている人間が決めてしまって良いことではないように感じました。
 
そうした意味で、「PLAN75」と本作は、現代日本の問題を全く正反対の方向から眺めた作品で、高齢の親を持つ自分としても、グサッと刺された感のある映画でした。この二つの作品とも、じゃあどうすればいいのかと言った具体的な解決策が明示されている訳ではありません。ただ先ほども触れたように、本作では斯波が生活保護申請をいったものの、断られてしまう下りがあります。あの場面も参考にすれば、直接的な公的扶助をもっと強化することはもちろん、重労働の割には低賃金で人手不足と言われる介護業界の賃金水準を引き上げるなど、国としてやれることはいくらでもあるのではと思います。国家財政が逼迫していることを理由に、こうした措置に反対する向きもあるでしょうが、防衛費を2倍にすることが出来るなら、社会保障費も増額することは可能じゃないのかな、と思うところです。
 
最後に、本作とは全く関係ありませんが、直近に公開された「シン・仮面ライダー」でサソリオーグとして登場した長澤まさみが、本作では松山ケンイチとともに主人公の大友検事を演じ、実にいい演技をしていました。サソリオーグは、派手な登場の割にあっさりと退治されてしまい、一部では長澤まさみの無駄遣いとも言われていましたが、本作で全く毛色の違う役柄を演じ、幅の広いところを魅せてくれました。
 
そんな訳で、本作の評価は、邦画としては今年初めて★5としたいと思います。
 
評価:★★★★★