【映画】シン・ウルトラマン~シン・ゴジラに軍配? | 鶏のブログ

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冒頭で「シン・ゴジラ」のキャプションが出て来て、「えっ」と思ったら「シン・ウルトラマン」に切り替わりました。これは、制作者が「『シン・ゴジラ』と比較して観てね」というメッセージを発しているものと勝手に感じましたので、まずは「シン・ゴジラ」との比較から。

 

正直「シン・ゴジラ」の方が面白かったと感じました。「シン・ゴジラ」は、かなり精緻に再現された東京の街をゴジラが破壊していくシーンが、東京の住人にとってかなり刺さりました。本作で同じことをやっても二番煎じになるからやらなかったのか、そもそも怪獣(禍威獣)が襲うのが、東京だけでなく地方の変電所や核廃棄物貯蔵施設などであったことも影響しているのかも知れませんが、やはり「シン・ゴジラ」のインパクトには遠く及びませんでした。

 

また、怪獣(禍威獣)そのものの迫力も、ゴジラの方が上でした。まあ本作の主人公はウルトラマンなので、当然と言えば当然なのですが、特に最後に対決することになったメフィラス星人が頭脳派であり、体力勝負と言うよりは知力勝負に偏っていたことも、本作に迫力が感じられなかった原因かも知れません。

 

以上、「シン・ゴジラ」との比較をすると、どうしても「シン・ゴジラ」に軍配を上げてしまうのですが、過去のウルトラマンのオマージュ作品という視点で見ると、中々の出来栄えだったように思います。

 

原作を現代化し、かつ政府内部のドラマやゾフィの独自解釈を追加することで、大人でも観られる怪獣映画にしたことは一定の成功を収めたとは思います。

 

ただ一点気になったのは、主人公である神永隊員(斎藤工)が、避難が遅れている子供をモニターで発見して助けに行き、結果的に死んでしまう代わりに、ウルトラマンが神永隊員の身体と一体化することになる一連のシーンには、違和感を覚えざるを得ませんでした。というのも、禍特隊専従の作戦立案担当官である神永隊員が、たった一人で子供の救出に向かったからです。周りに人がいない状況で、やむを得ず一人で救助に向かったならいざ知らず、周囲には自衛隊員や警察官とおぼしき人が沢山いる指令所にいるにも関わらず、作戦立案担当者たる者が一人で救助に向かうなんて、絶対にあり得ないと思います。彼が抜けてしまえば、作戦を立案する人がいなくなるのですから、軍事組織として重大な規律違反以外の何物でもないものと思われます。

このシーン自体は、子供の命を救うために、自らの命をも顧みない神永隊員にウルトラマンが心を動かされ、外星人でありながら人間の立場に立つことを決意させることになった重要な場面なので、物語上欠くことの出来ないものでした。だからこそ、もう少し必然性がある場面を用意してもらいたかったと思うところでした。 

 

懐かしのウルトラマンの新作を観られた喜びもあるものの、上記のような不満点もあるため、評価は★3としました。

 

評価:★★★