秋雨前線が停滞して雨が続いている。秋雨といっても最近は繰り返し集中豪雨が襲ってくるし、

線状降水帯も繰り返し発生して頻繁に洪水被害がおこっている。

 

9月は季節の変わり目で長雨の季節なので過去の記録をみてもほかの月に比べあまり山に山に行っていない。

磐梯山に登ったことは以前に投稿してあるが、今回は2015年の9月に新潟の大源太山のことを記録しておこう。

磐梯山(2018年9月12日) - 毎日が山のこと

 

大源太山は上越国境の清水峠の西にある1598mの山で、上越のマッターホルンとも呼ばれているらしい。

同じ名前の山が平標山の南、群馬県側にもあってこちらの方が高いのだが、

三国山へとつながる稜線上のピークなので、山としての存在感は新潟の山の方があって、登りがいがある。

 

地図の登山口の近くの林道がカーブしている地点に車をとめた。

傾斜はゆるく余裕のある駐車スペースだった。

 

しばらく林道の延長線を歩いて行くと登山口があった。登山届けの箱もある。

 

山道に入って少し歩くといきなり渡渉だった。

ロープが渡してあるので不安なく渡れるが、靴は濡れる。

 

沢に沿った道を奥へと歩いていく。

豪雪地帯らしく斜面の樹木が根元から大きくたわんでいた。

 

二回目の渡渉地点。ここにもロープが渡してある。

 

その奥から道は尾根へとあがっていた。

しばらく急な登りが続いた。

 

ねじれてしまったのか変形したブナの木があった。

雪で一度折れてしまったのだろうか。

傷の部分の上の方が下よりも太くなっていて奇妙な雰囲気を醸している。

 

その後も急登が続いた。

空が近くなったようで森が少し明るく感じる。

標高1200mあたりから少し傾斜がゆるくなった。

 

9月下旬。ナナカマドの実が赤い。もう秋だ。

 

尾根が緩やかになるとともに高木が少なくなり周囲の展望も開けてきた。

 

前方には大源太山の雄姿をみあげる。なかなか立派な姿だ。

 

北隣にある大栗の頭も立派な山だ。

 

登山口へのアプローチの谷。ゴルフ場が斜面を削って痛々しい。

そのうちつぶれて自然に戻ることを願う(笑)。

 

山頂を望遠レンズでねらうと大源太山の北西壁がせまってなかなかの迫力。

マッターホルンの名に恥じない姿!

疲れてきた足にふたたび力が湧いてくる。

 

広角で撮るとずいぶん感じが違ってしまう。

しばらくは尾根歩きになりそうだが、最後の詰めはきつそうだ。

 

雪国の山ならではの露出した岩肌。

雪崩のせいでこうなるらしい。

 

赤く色づいたナナカマドの葉が秋を告げている。

 

少し雲があがってきた。そろそろ最後の詰めが近い。

樹木はなくなり道には岩が露出している。

 

急登の岩場があった。ロープが設置されている。

足場はしっかりしているので不安は感じない。

疲れの出た足にはこたえるが、変化があったほうが気分はいい。

 

岩尾根をがんばって登る。

 

見下ろすと岩尾根に雲がからみはじめていた。

9月とはいえ、まだまだ夏なのだ。

 

ようやく1598mの山頂に。

360度の展望が得られる山なのだろうが、残念ながら雲が上がるほうが早かった。

 

巻機山や越後三山などをながめたかったんだけどなぁ。

休憩していると羽蟻が群がってきておちおち食事もできなかった。

 

標高はそれほどないのだが、短い距離で一気に登る感じでなかなか歩きごたえのある山だった。

特に尾根に出てからは、雪国の山らしく、上の方では高い樹木がないので見晴らしがいい。

 

私の悪い癖なのだが、一人で登るとついつい休憩を省略してがんばりすぎてしまい、後半には足がつってしまう。

今回も急な尾根道を気分よく下っていたら、途中から足がつりはじめてしまった。

 

もう70歳に近いころだったので、年相応にのんびる歩けばいいものをと後悔したものの、

その後も同じことを繰り返している。

 

下山後車を途中途中でとめて振り返る。やっぱり見上げた姿も立派だ。

もう少し秋が深まったころ、空気が乾いて見通しの良い日にまた登ってみたい山だった。

 

猛暑日の記録を更新した今年の夏。こんな暑さだから近場の1000m前後の山は暑くて歩いていられない。

雨が降ればこれまた記録的な豪雨、線状降水帯も頻繁に記録されている。

早く秋が来てほしいと願うが、天気と自分の都合も折り合わない。

そこでまた。昔の記録を投稿する。

 

以下は、その2017年の9月末に、那須の紅葉をみようと朝日岳から三本槍岳を歩いたときの記録だ。

この時は、茶臼岳には寄らずに、峰の茶屋から朝日岳、その後清水平をへて三本槍岳を往復した。

車は、ロープウェー山麓駅より上にある登山用の駐車場にとめた。

 

目の前には、紅葉をまとった朝日岳から鬼面山にかけての尾根が見えている。

この日は快晴無風。絶好の登山日和だった。

 

7時20分ごろ駐車場を出発。まずは、峰の茶屋にむかう。

 

山の神の狛犬がお出迎え。

 

しばらく森の道が続くが、すぐに火山らしい見通しのよい道になった。

すすきが白い穂を輝かせていた。

 

峰の茶屋に近づくと朝日岳の山容がきびしさを増してきた。

 

この道はゆるやかな斜度をたもって登っていくのでとても歩きやすい。

前方に峰の茶屋の避難小屋が見えてきた。

 

峰の茶屋跡からの茶臼岳。

こうやってみるとロープウェーを使えば、同じくらいの時間でここまでこれたかもしれない。

いつも強風が吹き荒れている峠だが、この日は穏やかだった。

 

峰の茶屋跡を出ると北にある剣が峰の東面をトラバースしていく。

旭岳から鬼面山へとつづく尾根。この尾根も笹の緑が日に輝いて美しい。

 

 

剣が峰を巻き終えて尾根に戻って西側を見ると隠居倉が赤と緑に染まっている。

この山の向こう側にはまだ行ったことがない三斗小屋温泉がある。

 

いよいよ朝日岳の岩場だ。左の斜面をトラバースしていく。

 

岩場はそれほど長くは続かないで、高原へと出る。右手に朝日岳がもう近い。

 

北の方には清水平に続く高原が広がっている。

灌木の赤と笹の緑のコントラスト。

 

朝日岳1896mに到着。360度の大展望だ。

 

すぐ隣に茶臼岳。活火山のこの山には緑がない。

 

南を望むと遠くに日光の山が見える。

左から女峰山、太郎山、日光白根山だろう。

 

山頂の一角に石造りの鳥居がおいてあった。

大きな石から削り出したようで、土台と一体になっている。

かなり年代物と感じるので江戸時代か明治のころに誰かが納めたものだろうか。

 

朝日岳をあとにして三本槍ヶ岳へとむかう。

 

熊見曽根、隠居倉をへて三斗小屋温泉へ下るコースとの分岐点。

 

分岐点からゆるやかな盛りあがる尾根を歩いていく。

高原状なので目立たないが、このあたりは朝日岳よりも高い。那須野が見渡せる。

 

そこからゆるやかにくだったところが清水平だ。

 

右手を見ると朝日岳の北斜面は赤く染まっている。

 

北温泉につながる毘沙門沢。ここも赤と緑のコントラストが美しい。

 

紅葉の囲まれた笹の緑のかがやきがすばらしい。

 

 

清水平の木道を歩く。

今は乾燥気味だが、梅雨明けのころならきっと湿原らしい花が咲いていることだろう。

 

 

いよいよ三本槍岳が近づいていきた。地図で確認すると正面はスダレ山。

その手前で北温泉へとくだる中の大倉尾根コースが右へとわかれている。

三本槍へは左手へと進む。

 

近づいてもピークらしいものは見えない。槍岳という名前のイメージとはかけ離れたおだやかな盛り上がりだ。

ここの槍岳は地形からではなくて、昔、藩の境を確認するために槍を立てたという故事に由来するという。

 

10時5分、高原状の台地の北のはずれ、三本槍岳の頂上に到着だ。

 

ここは栃木県と福島県の県境。

北側には甲子山に続く広々とした尾根が続いている。いつかこのあたりも歩いてみたいと思う。

 

目を左手に移すと遠くに猪苗代湖や磐梯山も見えているではないか。

会津盆地をこうして見渡せるところまではるばると歩いてきたのだなと思う。

 

この日は、好天に恵まれた中、紅葉のおだやかな高原散策ができた。

帰りは同じコースを戻ったので写真は割愛する。

朝日岳から三本槍岳のあいだの高原はすばらしかった。また歩きたいコースだ。

 

ここまでがその時の記録。その後同じような時期に朝日岳にいったことがあるが、温暖化によって夜の冷え込みが少なくなっていせいか、紅葉の色合いが沈んでいて鮮やかさがなかった。

できればもう一度このような風景にめぐり合いたい。

 

コロナ禍もふくめ、いろいろな事情で5月2日以来山歩きができなかった2021年。

夏になり、なんとか出かけられそうになったので、行き先に悩んだ末、富士山の新五合目から宝永山に登って、下まで歩いてくだるという計画にした。

宝永山は2693mだが、新五合目が2380mなので標高差は300m。

火口底から登った最高点馬ノ背は2700mを少しこえる。そこから山頂にむかってやや下る。

つまり山というより、斜面にできたコブのようなものだ。

でもここまで登れば、酷暑の今でも涼しいだろうという判断だ。

 

久しぶりの東名高速をはしって、水ヶ塚の駐車場には7時少し前についた。

快晴だ。

 

駐車場からは五合目までのシャトルバスを利用するが、コロナのためにまずは行列に並んで検温を受け、ふたたび列に並んで乗車券を購入する。

7時のあとに7時15分に次のバスが出発したが、まだ乗れない。

結局7時30分のバスに乗車できた。補助席までびっしりだ。

 

巨大な宝永火口をかかえた富士山。右側の斜面の突起が宝永山だ。

 

40分あまりで五合目に到着。

南アルプスの南の端の山なみが見えている。

 

同じ五合目でも吉田口とは大違い。

はではでしい観光施設らしい建物はほとんど見られない。

 

バスに乗った登山客のほとんどは富士山をめざす人だ。

新六合目までいっしょに登る。

 

背の高い樹木はすぐに姿を消して、火山礫に覆われた斜面と少しばかりの灌木のかたわらを登っていく。

 

快晴だけど下界ではすでに雲がわきはじめて、愛鷹山の越前岳にまとわりつきはじめている。

 

黒っぽい火山礫(スコリア)の斜面にタデの仲間が点々と生えていて、朝日をあびてかがやいている。

 

 

歩きやすい登山道を25分あまり歩いて、8時39分、新六合目の雲海荘に到着。

 

富士山をめざす人たちはここから上にあがっていくが、私は水平道にはいって宝永山をめざす。

 

振り返ると雲海荘のうえに半月が青空のなかに浮かんでいた。

 

水平だと楽ちんだ。

 

10分ほどで宝永山の第一火口縁に到着。

 

宝永火口は、そばに立つとやはり大きい。このすり鉢の中の土砂が、溶岩と共に空高く吹き上げられ、富士の東斜面から御殿場一体をおおいつくした。火山灰は遠く江戸まで到達した。

その一部が降り積もって宝永山ができた。

 

すぐに火口底にむかってくだったが、足元の砂礫がくずれて歩きにくい。

 

フジアザミ。ここ一ヶ所でしか見かけなかった。もう時期は終わりの感じだ。

 

ホタルブクロ。

 

下に降りてみると、斜面のたんなる盛り上がりにすぎない宝永山が、思いのほか大きく覆いかぶさってくる。

 

火口壁の上部は絶壁になっていて落石も多いようだ。

 

 

10分足らずで火口底に到着。黒っぽいスコリアに混じって赤レンガみたいな石がある。

 

いよいよ宝永山目指して火口壁を登る。

 

火口の底が2420m、登りきった火口縁馬の背が2710m。標高差290mだ。

 

道はジグザグに登っているが、足元の砂礫がぐずぐずとくずれて歩きづらい。

 

 

降ってくる人の足元からは砂埃がまいたっている。

 

 

9時58分、ようやく馬の背まで登りきった。ここが今日の最高点。

尾根の先端である宝永山はここより少し低くなってしまう。

 

 

東側は広大な砂礫の斜面になっていて、御殿場口登山道の大砂走りという下山用の道があり、数人が歩いていた。

最高点から5分あまりで宝永山の標識に到着した。まだ山頂もくっきり見えている

 

日差しは強いが、下着のうえにTシャツ一枚でちょうどいい。

 

宝永火口の上には、砂走館らしい山小屋が見えている。そのあたりで3000mを少しこえるはずだ。

今日登っている人はほんとうに天気にめぐまれたと思う。

 

しかし、下界は雲海が広がり始め、わきたった雲がかけあがってくる。

足元の愛鷹山はすでに雲の中。遠く箱根らしい山が見えている。

 

 

雲の切れ間から見えた箱根らしい山を望遠で写してみた。

 

西を見ると斜面の向こうに南アルプス南部が見えている。聖岳かな?

 

展望を満喫して水分を補給し、ふたたび火口底にくだり、その後は第2火口、第3火口の縁をだどりながら、水ヶ塚へとくだる。

昼食は、第2火口縁あたりで取ろうと思う。

 

砂礫の道は、下りは比較的歩きやすい。

 

上りには一時間近くかかったのに、砂埃をたてながらくだって、火口底には15分ほどでついた。

 

第2火口をのぞこうとしたら、岩に鳥がとまっていた。

イワヒバリのようだ。まだ若い鳥のようでそばによっても逃げようとしない。

 

第2火口は第1火口よりひとまわり小さい。

 

宝永山の南はずれにある崖。

この部分だけスコリアがなくて赤っぽい堆積物が露出している。

 

 

日当たりのよい南斜面なので吉田口よりは森林限界が高い。

2400mを下回るとカラマツが広がっていた。

 

第2火口縁から宝永火口を振り返る。

ここでは火口の内部にもカラマツが進出している。

 

 

第2火口の縁の2352mピーク。ここで昼食休憩だ。

 

第2火口の底。少し雲が流れてきている。

 

2352m地点から道は2つにわかれていて、片方は第3火口の東側へとまわりこんでいく。

私の持っている登山地図にはこの東まわりルートしか書いていないが、現在は火口の西縁沿いにまっすぐくだる道もある。

私はそちらを進んだ。すぐにカラマツ林に入っていった。

 

第2火口縁にいて気がついたのだが、私が予想していたより多くの人がこのルートを登ってくる。

私は下山道としてしか考えていなかったが、水ヶ塚から歩いて登ってくる人がぽつぽつだがいるのだ。

 

落葉松のほかにコメツガらしい木も混じっている。

 

林に入ると風があたらなくなって少し暑く感じたが、少し雲が広がってくれたので助かった。

 

 

15分程下ると標識があった。3合目だ。御殿庭という案内標識がある。

地図を確認すると2352mの分岐で東に進めば御殿庭上を経由してここに出られる。それがもとからの登山ルートらしい。

御殿庭。なんだか景色のよさそうな名前なので、あとになってそっちへ進めばよかったかなと思った。

 

少し下ると「村山修験者富士山修行場跡」という標識がたっていた。

修行したのはいつごろの話なのか私にはわからない。

 

次第に傾斜がゆるくなってきて、そろそろ二合五勺かなと思われる頃、私の10mほど前をシカが横切った。

カメラは手に持っていたのだが、構えるひまもなく林の中に姿を消してしまった。

 

しかし、そこで最近読んだ本に、自然の動物は人間を恐るけど、一方で興味をもって人間を見てもいるものだ、と書いてあったことを思い出し、カメラを構えてシカが姿を消した林の中をじっくりと覗いてみた。

いました。木の枝に姿を隠しながらも、顔をのぞかして私をじっと見ていた。

目があって、カメラをむけても逃げなかった。

 

そこからすぐに二合五勺に到着。

左に曲がれば途中で火口の東縁をとおる道と合流し、御殿場口へとむかう。

 

数分すすむとまた分岐となる。

私が向かう水ヶ塚への道とガラン沢をくだってスカイライン入口にむかう道にわかれる。

水ヶ塚へは左にすすむ。

倒木が増えてシラカバかダケカンバらしい木がまじってきた

 

木漏れ日が地上に届くらしくて花が姿を見せ始めた。

 

 

 

 

 

 

火山噴出物でおおわれている地面は、水流でえぐられたところからは黒っぽい砂礫が顔をだしていた。

 

二合目から一合五勺にかけては樹木の密度がさがって、明るく見通しがよい。

 

水流がつくった窪地には火山性の砂礫がたまり、人の足跡がたくさんついていた。

 

道が林道ほどの幅に広がって東へと向きを変えた。もう水ヶ塚も近い。

 

13時25分、無事に水ヶ塚に到着。

ほんとうに久しぶりの山歩き。

標高差1400mを歩いてくだったがそれほど疲れなかった、とその時は思っていたが、翌日から3日間、足の筋肉痛が取れなかった。