コロナ禍もふくめ、いろいろな事情で5月2日以来山歩きができなかった2021年。

夏になり、なんとか出かけられそうになったので、行き先に悩んだ末、富士山の新五合目から宝永山に登って、下まで歩いてくだるという計画にした。

宝永山は2693mだが、新五合目が2380mなので標高差は300m。

火口底から登った最高点馬ノ背は2700mを少しこえる。そこから山頂にむかってやや下る。

つまり山というより、斜面にできたコブのようなものだ。

でもここまで登れば、酷暑の今でも涼しいだろうという判断だ。

 

久しぶりの東名高速をはしって、水ヶ塚の駐車場には7時少し前についた。

快晴だ。

 

駐車場からは五合目までのシャトルバスを利用するが、コロナのためにまずは行列に並んで検温を受け、ふたたび列に並んで乗車券を購入する。

7時のあとに7時15分に次のバスが出発したが、まだ乗れない。

結局7時30分のバスに乗車できた。補助席までびっしりだ。

 

巨大な宝永火口をかかえた富士山。右側の斜面の突起が宝永山だ。

 

40分あまりで五合目に到着。

南アルプスの南の端の山なみが見えている。

 

同じ五合目でも吉田口とは大違い。

はではでしい観光施設らしい建物はほとんど見られない。

 

バスに乗った登山客のほとんどは富士山をめざす人だ。

新六合目までいっしょに登る。

 

背の高い樹木はすぐに姿を消して、火山礫に覆われた斜面と少しばかりの灌木のかたわらを登っていく。

 

快晴だけど下界ではすでに雲がわきはじめて、愛鷹山の越前岳にまとわりつきはじめている。

 

黒っぽい火山礫(スコリア)の斜面にタデの仲間が点々と生えていて、朝日をあびてかがやいている。

 

 

歩きやすい登山道を25分あまり歩いて、8時39分、新六合目の雲海荘に到着。

 

富士山をめざす人たちはここから上にあがっていくが、私は水平道にはいって宝永山をめざす。

 

振り返ると雲海荘のうえに半月が青空のなかに浮かんでいた。

 

水平だと楽ちんだ。

 

10分ほどで宝永山の第一火口縁に到着。

 

宝永火口は、そばに立つとやはり大きい。このすり鉢の中の土砂が、溶岩と共に空高く吹き上げられ、富士の東斜面から御殿場一体をおおいつくした。火山灰は遠く江戸まで到達した。

その一部が降り積もって宝永山ができた。

 

すぐに火口底にむかってくだったが、足元の砂礫がくずれて歩きにくい。

 

フジアザミ。ここ一ヶ所でしか見かけなかった。もう時期は終わりの感じだ。

 

ホタルブクロ。

 

下に降りてみると、斜面のたんなる盛り上がりにすぎない宝永山が、思いのほか大きく覆いかぶさってくる。

 

火口壁の上部は絶壁になっていて落石も多いようだ。

 

 

10分足らずで火口底に到着。黒っぽいスコリアに混じって赤レンガみたいな石がある。

 

いよいよ宝永山目指して火口壁を登る。

 

火口の底が2420m、登りきった火口縁馬の背が2710m。標高差290mだ。

 

道はジグザグに登っているが、足元の砂礫がぐずぐずとくずれて歩きづらい。

 

 

降ってくる人の足元からは砂埃がまいたっている。

 

 

9時58分、ようやく馬の背まで登りきった。ここが今日の最高点。

尾根の先端である宝永山はここより少し低くなってしまう。

 

 

東側は広大な砂礫の斜面になっていて、御殿場口登山道の大砂走りという下山用の道があり、数人が歩いていた。

最高点から5分あまりで宝永山の標識に到着した。まだ山頂もくっきり見えている

 

日差しは強いが、下着のうえにTシャツ一枚でちょうどいい。

 

宝永火口の上には、砂走館らしい山小屋が見えている。そのあたりで3000mを少しこえるはずだ。

今日登っている人はほんとうに天気にめぐまれたと思う。

 

しかし、下界は雲海が広がり始め、わきたった雲がかけあがってくる。

足元の愛鷹山はすでに雲の中。遠く箱根らしい山が見えている。

 

 

雲の切れ間から見えた箱根らしい山を望遠で写してみた。

 

西を見ると斜面の向こうに南アルプス南部が見えている。聖岳かな?

 

展望を満喫して水分を補給し、ふたたび火口底にくだり、その後は第2火口、第3火口の縁をだどりながら、水ヶ塚へとくだる。

昼食は、第2火口縁あたりで取ろうと思う。

 

砂礫の道は、下りは比較的歩きやすい。

 

上りには一時間近くかかったのに、砂埃をたてながらくだって、火口底には15分ほどでついた。

 

第2火口をのぞこうとしたら、岩に鳥がとまっていた。

イワヒバリのようだ。まだ若い鳥のようでそばによっても逃げようとしない。

 

第2火口は第1火口よりひとまわり小さい。

 

宝永山の南はずれにある崖。

この部分だけスコリアがなくて赤っぽい堆積物が露出している。

 

 

日当たりのよい南斜面なので吉田口よりは森林限界が高い。

2400mを下回るとカラマツが広がっていた。

 

第2火口縁から宝永火口を振り返る。

ここでは火口の内部にもカラマツが進出している。

 

 

第2火口の縁の2352mピーク。ここで昼食休憩だ。

 

第2火口の底。少し雲が流れてきている。

 

2352m地点から道は2つにわかれていて、片方は第3火口の東側へとまわりこんでいく。

私の持っている登山地図にはこの東まわりルートしか書いていないが、現在は火口の西縁沿いにまっすぐくだる道もある。

私はそちらを進んだ。すぐにカラマツ林に入っていった。

 

第2火口縁にいて気がついたのだが、私が予想していたより多くの人がこのルートを登ってくる。

私は下山道としてしか考えていなかったが、水ヶ塚から歩いて登ってくる人がぽつぽつだがいるのだ。

 

落葉松のほかにコメツガらしい木も混じっている。

 

林に入ると風があたらなくなって少し暑く感じたが、少し雲が広がってくれたので助かった。

 

 

15分程下ると標識があった。3合目だ。御殿庭という案内標識がある。

地図を確認すると2352mの分岐で東に進めば御殿庭上を経由してここに出られる。それがもとからの登山ルートらしい。

御殿庭。なんだか景色のよさそうな名前なので、あとになってそっちへ進めばよかったかなと思った。

 

少し下ると「村山修験者富士山修行場跡」という標識がたっていた。

修行したのはいつごろの話なのか私にはわからない。

 

次第に傾斜がゆるくなってきて、そろそろ二合五勺かなと思われる頃、私の10mほど前をシカが横切った。

カメラは手に持っていたのだが、構えるひまもなく林の中に姿を消してしまった。

 

しかし、そこで最近読んだ本に、自然の動物は人間を恐るけど、一方で興味をもって人間を見てもいるものだ、と書いてあったことを思い出し、カメラを構えてシカが姿を消した林の中をじっくりと覗いてみた。

いました。木の枝に姿を隠しながらも、顔をのぞかして私をじっと見ていた。

目があって、カメラをむけても逃げなかった。

 

そこからすぐに二合五勺に到着。

左に曲がれば途中で火口の東縁をとおる道と合流し、御殿場口へとむかう。

 

数分すすむとまた分岐となる。

私が向かう水ヶ塚への道とガラン沢をくだってスカイライン入口にむかう道にわかれる。

水ヶ塚へは左にすすむ。

倒木が増えてシラカバかダケカンバらしい木がまじってきた

 

木漏れ日が地上に届くらしくて花が姿を見せ始めた。

 

 

 

 

 

 

火山噴出物でおおわれている地面は、水流でえぐられたところからは黒っぽい砂礫が顔をだしていた。

 

二合目から一合五勺にかけては樹木の密度がさがって、明るく見通しがよい。

 

水流がつくった窪地には火山性の砂礫がたまり、人の足跡がたくさんついていた。

 

道が林道ほどの幅に広がって東へと向きを変えた。もう水ヶ塚も近い。

 

13時25分、無事に水ヶ塚に到着。

ほんとうに久しぶりの山歩き。

標高差1400mを歩いてくだったがそれほど疲れなかった、とその時は思っていたが、翌日から3日間、足の筋肉痛が取れなかった。

 

 

引っ越しを機に過去の投稿を再編集して投稿している。これは10年前の記録。

 

尾瀬の至仏山から南西に伸びる山脈の先に三角形の頂が見える。笠ヶ岳だ。

秋の一日鳩待峠からここを往復してみた。

 

前夜は片品で車中泊し、朝一番のシャトルバスで鳩待峠にあがった。

まだ5時30分、峠は暗がりの中。小屋の明かりが心を癒してくれる。

 

 

峠から至仏山の方向へ尾根をたどる。

歩き始めて40分。ようやく太陽が尾根から顔をのぞかせた。

 

 

1866mの三角点の南をまわりこむあたりで道にも朝の陽ざしが届き始めた。

 

 

峠のむこうに日光白根あたりの山々が見える。

 

 

そして南を見れば、めざす笠ヶ岳の姿が。のびやかな尾根に三角錐の箱をのせたようだ。

尾根の上にピラミッドを乗せたようにも見える。

尾根は起伏が少なそうなので快適な山旅が期待できる。

 

 

鳩待峠に続く尾根を南から北へと乗越し、前方に至仏山のたおやかな姿が見えてきた。

斜面は草紅葉と笹の緑とががおおっている。

 

 

右手を振り返れば、尾瀬ヶ原に朝霧が流れその向こうに燧ケ岳。なかなか幻想的だ。

 

 

6時55分、オヤマ沢田代に到着。草紅葉が朝日に輝いている。

 

標高2000mを越えたので田代を縁取るのは針葉樹だ。

 

7時、至仏山と笠ヶ岳の分岐点に到着。

笠ヶ岳への道に入るとすぐが悪沢岳というピークがある。

 

 

南アルプスの3000m峰と同じ名前だが、こちらはピークというより尾根の高まりのようなところだ。

 

 

分岐点から30分ほど歩くと前方の視界が開けて笠ヶ岳が見えた。

手前のピークが小笠だろう。

 

 

針葉樹と葉を落としたダケカンバの混交林がきれいだ。

 

 

振り返ると至仏山、小至仏山そして右奥に燧ケ岳が並んでいる。

こういう景色が見えるポジションはあまりないのではないだろうか。

 

 

見下ろすと笹原がきらきらと輝いている。

 

 

ようやく笠ヶ岳の笠の裾をまわりこみ、振り返れば山頂への道は岩が印象的な景色だ。

でもまずは少し先にある方藤沼へ向かう。

 

 

見下ろす奥利根の谷は紅葉の盛りのようだ。

 

 

道をそのまま湯の小屋のほうへと少しくだったところに尾根の上としては大きめの沼があった。

片藤沼という。沼の周囲は灌木に覆われているので沼の全景が撮れない。

燧ケ岳を水面に写しこんでみようとしたが無理だった。

反対側の岸辺に回り込めれば笠ヶ岳を写し込めるはずだが、道のないところにやたらに踏み込むべきではないのであきらめた。

 

 

戻っていよいよ笠ヶ岳に登り始める。南東方向に見えているのは日光白根山と錫ヶ岳らしい。

 

 

奥利根の谷にダム湖が見えてきた。利根川の最上流部にある奈良俣ダムのダム湖だろう。

 

 

9時53分、笠ヶ岳山頂に到着。快晴、無風なので遠くは少しもやがかかっている。

 

 

山頂から北東方向を見ると燧ケ岳とアヤメ平。

 

 

そして至仏山をアップで撮ってみた。安物レンズなので周囲が少しケラレ気味だ。

 

 

山頂からは遠く新潟の山々も見えている。平ヶ岳、越後駒など越後三山と奥利根の山々。

写真には撮ってみたもののぼんやり霞んで絵にならない。

 

 

帰りは来た道を戻るだけ。道がいいのでついついスピードをあげてしまう。

もっとゆっくり景色を楽しめばいいのに年寄りの冷や水というものだ。

 

 

飛ばしすぎの付けがまわってオヤマ沢田代から鳩待峠への下りに入ると足がつってしまった。

 

 

もっとゆっくり楽しめというサインなので、休憩して尾瀬ヶ原や周囲の景色を写真におさめた。

 

草紅葉の尾瀬ヶ原。今日も大勢が木道を歩いていることだろう。

 

 

12時55分、鳩待峠到着。

 

このときは、車中泊して早朝出発したのでほんとうに静かな山を楽しむことができた。

今年の秋は至仏山にでも行ってみようかな。

 

★2021年9月に登った磐梯山の手を加えて再投稿します。

 

磐梯山を関東から日帰りで登ってみようと思い立った。

安達太良山へは、マイカーを使い、道の駅泊で登ったことがあるし、新幹線とシャトルバス利用で日帰りしたこともある。だから磐梯山だって日帰りできるだろうと調べてみた。

 

郡山まで新幹線を使い、磐越西線で猪苗代駅に向かい、タクシーで猪苗代スキー場に行って、そこから頂上を往復するという計画だ。裏磐梯や八方台からよりは行程が長くなるが、駅からのアプローチが短くてアクセスしやすい。調べてみたら十分に可能という結論だった。

 

9月12日、9時20分、スキー場についた。

天気はいい。秋晴れというよりまだ夏空だ。

 

標識にしたがってスキー場の中の道を歩いていく。

少しづつ高度がましていく。

 

振り返ると猪苗代湖が見え始めた。

ススキが穂を出している。山はやはり秋の始まりだった。

 

途中でこれから登る磐梯山の山頂部が見えた。

道のりは長いぞ。

 

ゲレンデの中央部にでると湖と平野の雄大な景色が広がってきた。

 

道はスキーコースからはずれ、並行して登っていく。

まだ9月なので花も豊富に咲いていた。

 

 

 

スキー場の中間点、標高900mあたりでふたたびスキーコースに戻り、ススキの中を歩き、スキー場の最上部に到達した。

 

ここからスキーで滑ったらさぞかし気持ちいいことだろう。

 

足元をみると色鮮やかなキノコが生えていた。

 

いよいよ本格的な登山道にはいる。

そこに「天の庭」という看板があった。磐梯山の一合目のようだ。

 

スキー場のすぐ上の地点だが、私にはあまり「天の庭」とは感じられなかった。

かつてはお花畑でも広がっていたのかもしれない。

 

最初に磐梯山の外輪山の一角と思われる赤埴山にのぼる。

その出発点を示すかのように大きな岩があった。

 

 

 

 

岩から少しのぼると道が2つにわかれる。私は右の赤埴山へむかう。

足元の石が赤っぽい色をしている。

赤埴山の名前はこの石からつけられたのだろう。

 

 

 

11:20赤埴山に到着。赤埴山から磐梯山を仰ぎ見る。

右が北側になり、そちら側は火山らしく岩肌が露出して迫力がある。

登山道はこの北側、右手の尾根のほうにまわりこんでいく。

 

 

赤埴山をこえるとしばらく下りになり、古い火口原と思われる池と湿原がちらばる池の平へと踏み込んでいく。

 

湿原や池のの脇を抜けて、しばらく平らな道を歩く。

 

岩肌が現れた。昔の火口壁にあたるのだろう。

ナナカマドの葉が少し色づき始めていた。

 

こちらの赤はナナカマドの実だ。

 

 

池の平の中心部と思われるところに岩があった。近くに鏡ヶ池という名の池がある。

しばらく池の平の底を歩くので楽に歩ける。

 

すこし先で右手から別の登山道が合流してきた。

琵琶沢沿いにのぼってくるコースのようだ。見下ろすとかなり大きな池が見えた。

 

そこから標高差で100mほど登ると池の平火口の縁に登りついて、反対側に裏磐梯の広々とした景色が広がった。

その中心は大きな檜原湖だ。

 

明治の起きた大噴火のあとも生々しい。

 

大規模な山体崩壊が起きたその残りが尖った峰として残っている。天狗岩と名付けられていた。

 

 

ここからもう一段あがると弘法清水だ。

 

秋の花がが咲き乱れている。

 

櫛ケ峰。これも明治の爆裂の時の残骸だ。

 

斜面の途中に水場があった。かたわらにはアルミのコップの用意されていた。

 

斜面が一段落してゆるやかになると右手に八方台方面にむかう道が分かれていた。

あと少しゆるやかな斜面をのぼりつめると弘法清水だ。

 

ようやく弘法清水小屋についた。

 

 

 

これが弘法清水。全国にある弘法太子信仰の一つだ。

恵みの水をありがたくいただいた。

 

山頂へはここから標高差200mほどの急な登りとなる。

最後のひとふんばりだ。

 

 

 

ふりかえると雄大な飯豊の山々が見える。

ここへはまだ訪れていない。ぜひ訪れてその雄大な姿にふれてみたい。

 

会津盆地の一角も見える。

 

裏磐梯も全貌が見渡せる。

くたびれているのでたびたび振り返っては小休止をくりかえす。

 

ついたぁ! 磐梯山1816mの山頂だ。

南に猪苗代湖が広がり、360度見渡すことができる。

 

三角点標識。

 

猪苗代湖をバックに記念撮影。

 

三角点越しに裏磐梯。

 

スキー場のあとが痛々しい猫魔ヶ岳の向こうには雄国沼の一角も見えている。

そしてそのはるか向こうには飯豊連峰。

 

山頂の一角にある避難小屋。

 

会津盆地の中心、会津若松の街。

 

猪苗代湖のはるかかなたには那須連山。

 

下りは、基本的に登ってきた道をそのまま下る。

 

 

帰りは赤埴山には寄らずに巻道をつかう。

 

すると途中でなにやら大きな足跡があった。通りかかった人も「クマだよね」といっていた。

まだ新しい感じだ。登りには通っていないので朝早くなのか昼間なのかはわからない。

 

ほぼ予定通りスキー場にもどることができ、途中からタクシー会社に電話してスキー場まで迎えをお願いした。

写真は割愛するが、電車の時刻まで間があったので、途中の亀ヶ城あとに立ち寄ってから駅へともどった。