連休の道路渋滞を避けて、電車とバスで伊香保の二ッ岳に出かけた。

奥武蔵などはすでに新緑とはいえない季節。

群馬ならばと交通の便がいい伊香保から歩くことにした。

 

高崎始発の水上行きにはピッケルを持った登山者の姿も見られた。

谷川岳あたりの残雪の山に行くのだろう。

 

渋川から伊香保温泉行のバスに乗る。

朝が早いので野球の格好の高校生のほか観光客らしい姿はない。

 

8時少しすぎにバスターミナルでおりてまずは伊香保名所の階段街へ。

まだ観光客はちらほら。

吾妻川の谷を挟んで正面に子持山が見えている。

 

温泉神社から伊香保温泉の源泉へと向かう道に入る。

 

途中からめざす二ッ岳が見えてきた。

左の山がそう。雌岳はまだ隠れている。

 

源泉近くの河鹿橋で道を間違えて源泉のほうへと歩てしまった。

途中にあった飲用の温泉。

 

ここが源泉の露天風呂。

今回の計画を逆回りすれば、帰りにここで汗を流せる。

 

河鹿橋に戻って橋を渡ると沢沿いにハイキングコースがあった。

 

新緑の葉をとおして差し込む光がとても明るい。

森林公園として整備されたコースなので道幅があって新緑を眺めながら安心して歩ける。

 

さっそくスミレがお出迎え。

 

バスを降りてちょうど1時間で車道に出た。

ここが二ッ岳の鷲ノ巣風穴登山口。

 

登り始めてすぐに風穴があった。

外気が暑くも寒くもないという季節のせいか風はあまり感じられない。

 

標高1000mの風穴をすぎるといよいよ急登がはじまる。

ところどころミツバツツジの紫が目を楽しませてくれる。

 

急斜面はすべて落葉樹で、まさに芽吹きはじめの新緑。

 

道は次第に二つの半円球に間へとむかう。

ふたつのピークの鞍部に近づくと黄色い花がたくさん見られるようになってきた。

キジムシロらしい。

 

鞍部を進んで南のはずれに道標があった。

風穴入り口から1時間弱。

まずは右手の雄岳へむかった。

 

雄岳頂上付近にはテレビのための大きな建物があり電波塔も建っている。

 

 

そのかたわらの山頂ピークに登ると榛名山の中心部がながめられた。

正面に春名のシンボル榛名富士。

その右片隅には榛名湖も見えている。

榛名富士の右手が榛名の最高峰、掃部ヶ岳。

榛名富士の向こうは浅間山らしい。

 

すぐ近くには急崖を見せてそそりたつ相馬山。

こちらより50mほど高い。

ほかにも上越国境の残雪の山も見えたが、樹木と灌木が少しうるさい。

 

山頂は狭いが一段降りると広い場所もある。

でもまだ時間が早いので豆大福をたべて次の雌岳へとむかった。

 

いったん鞍部に戻り、つつじヶ峰のほうへ少し歩くと雌岳登山口があった。

 

雌岳のほうが少し急な感じで、途中に木の階段が設置されていた。

 

雌岳の山頂はやや広い感じで灌木に覆われているが、東のはずれに素晴らしい展望地があった。

正面に赤城山。手前のとがった山は去年登った水沢山。

 

左に目をやると谷川連峰から尾瀬、日光までの残雪の山の大パノラマ。

いやあ、これはすばらしい。

 

手前には右の子持山と左の小野子山、十二が岳。

奥は武尊山。

右下の白い楕円は伊香保のスケートリンクだ。

 

ここで早めの昼食。

例によってカップ麺とコーヒー。

 

雌岳をおりてつつじヶ峰を通って伊香保へと戻る。

おりたところに避難小屋があったが、壁はなくて避難小屋というより東屋だ。

 

オオカメノキの花。

 

つつじヶ峰の道は新緑にあふれたなだらかな尾根道でとても快適。

足元にはスミレがたくさん。

 

つつじヶ峰には芝生の広場が整備されていて赤城山や水沢山がながめられる。

ただ、一番多いヤマツツジにはまだ少し早すぎてまだつぼみのまま。

5月の中旬から下旬が見頃らしい。

 

しかし、足元にはほんとうにたくさんのスミレ。

そして新緑の森からは野鳥のさえずりが響く。

 

芽吹きはじめのイヌシデの大木。

 

右手の下に車道が見えてきた。

伊香保から榛東村へ抜ける道だ。

 

その車道にでる手前に展望台があってここからも赤城山が眺められた。

 

展望地から少し下って車道にでる手前からは谷川岳から武尊山などが見晴らせた。

武尊山の手前は子持山。

 

車道を横切ってさらに森の道をくだっていく。

12時半に温泉から伊香保スケートリンクにあがってくる車道にでた。

 

今日登った二ッ岳が見えた。

 

つつじヶ丘公園の駐車場からスケートリンクへとむかい、リンク入口の手前で右手の山道にはいる。

 

幅4m近くある道はリンクのすぐ横を抜けていく。

振り返ると二ッ岳が見送ってくれている。

 

つつじヶ丘のロープウェー駅に出て、その左手の道を下って温泉街へと戻った。

朝とは違って階段街は観光客であふれていた。

 

温泉のバスターミナルにつくと目の前でバスが出て行ってしまった。

バスを待つ間にソフトクリームでも食べようかと売店を探していると

なんとその間もなく次のバスがやってきた。

連休中なので臨時バスがたくさん走っていたのだ。

 

渋川駅についてビールを飲み、その後は順調にローカル電車を乗り継いで帰宅した。

 

 

五月の連休に入った。2日目の4日は雨の予報だったのでなにも予定していない。

でも、天気は朝の内から急速に回復してきた。

肌をかすめてゆく風がとても気持ちがいい。

そこで、日光街道の幸手宿から栗橋宿まで歩いてみることにした。

 

東武線で幸手駅へ。10時57分駅から歩きはじめる。

 

駅からまっすぐの道を歩いて行くと旧日光街道の幸手宿の南端あたりにでる。

街道は右手からカーブして宿場にはいってくる。

 

そこにあった神社になにかの台座と思われる石が置いてあった。

案内表示を読むと、明治7年におこなわれた水準測量でつかわれた几号高低標というものだそうだ。

灯篭などの台座を利用したらしい。

 

幸手宿は南北に約1kmだが、昔の雰囲気はほどんど残っていない。

 

それでも数か所、このような昔の建物がぽつりぽつちとみられる。

その敷地は街道の間口は狭く、奥行きは深い。

 

こちらの建物も同様に短冊形の奥にむかって細長い敷地だ。

 

ここが幸手宿の北のはずれ。

街道はここで屈曲している。

 

これは街道筋の地名だが、「うちごうま」と読むそうだ。

この日は、気温があがって日中を歩いているとリュックを背負った背中が汗ばんできた。

 

 

ちょうど権現堂堤にさしかかったので、街道からそれて堤の道を歩いた。

桜の名所だが、私ははじめて立ち寄った。

連休中なので堤をのんびりと散策している人たちがみられた。

 

途中に観光休憩所があって売店があったのでソフトクリームを購入。

汗ばんでいたのでうまい!

 

権現堂公園が終わって、中川という川を渡った。

見えている鉄橋は東武日光線だ。

地図を見るとこの川も昔の利根川の蛇行の跡のひとつのようだ。

 

川を渡ると旧街道は、現在の国道から左に下りた細い道になる。

このあたりは「そとごうま」というらしい。

 

途中に追分があった。

右は「つくば道」、左が日光街道。

 

「右つくば道」の石標。でも「つ」にあたるのはどんな字だ?

筑波の筑の字ではなさそうだが。

 

途中にあった雷電神社。

関東平野中部から北部は雷の名所なので雷電神社があちこちにある。

 

もうお昼を過ぎたのでもう一つの権現堂公園に入って木陰のベンチでパンを食べた。

こちらはサクラの権現堂公園から北に1.5kmほど離れたところにある。

小さな子どもをつれた家族連れが遊具で遊んでいた。

 

暑いのでそのあとは街道をはずれて権現堂遊水地の土手を歩いた。

ここも葉桜の並木だ。

木陰になっているのでほっとする。

 

これが権現堂遊水地。

江戸時代に流路が変更された利根川のなごりを拡幅して遊水地としてある。

幅250mくらい、長さは4.4kmもあるので膨大な水量を貯められそうだ。

 

 

ここでいったん幅が狭くなって新幹線の下をくぐる。

新幹線を通り過ぎたあたりで権現堂川とわかれて旧街道へもどった。

 

旧街道は、現在の国道から西に下りて、ゆるくカーブしている。

その入り口付近の神社の前に三角点標があった。

地図で確認すると標高12.8mだ。

神社の中には水準点標もあってそちらは14.2m。

水準点の存在はあとで地図を見てきがついたのだが、後の祭り。

 

三角点のあるところから少し歩くと国道125号線が合流してくる。

その合流点の少し先で旧道は左下におりる。

ここからが栗橋宿だ。

 

栗橋宿の南外れにあった焙烙地蔵。

 

 

焙烙とは豆などを炒るためにつかった素焼きのお盆。

ここでは、子どもが生まれるとその名前を書いて納めるのだそうだ。

栗橋宿の北はずれには利根川の渡し場と関所があって、

その関所を破ったものは火あぶりの刑になったそうだ。

その刑死人を憐れんでこの地蔵をまつったと伝えられている。

焙烙には火あぶりという意味もあるそうだ。

 

栗橋宿は、幸手宿以上に昔の面影はない。

空襲などの被害は小さかったようだが、戦後すぐにあったカスリン台風による洪水の被害を受けている。

そんなわけで古い建物はほとんど残っていない。

 

宿場の北外れにあった関所址の石碑。

日光街道はこのあたりで利根川を渡り、川向こうの中田宿へとむかっている。

その中田宿は、利根川の拡幅によってほとんどが河川敷になって姿を消してしまった。

 

さて今日の街道歩きはこれでおしまい。

栗橋駅へとむかった。

 

栗橋駅の目の前には静御前の墓という石碑があった。

静御前は頼朝側につかまったあと男子を出産したが、その後の消息は不明といわれる。

義経同様、あちこちに伝説が残っており、東北にも伝説が残っているそうだ。

 

さて、栗橋駅に無事到着。午後2時少し前だ。

おおよそ10km、3時間のウォーキングだった。

 

 

4月17日、お疲れ気味の友達をさそって、ふたたび赤ボッコに行った。

楽なコースがいいという希望だし、見晴らしもいい。

 

当日の朝は、予報と違って雲が多かったが、やがて晴れると見込まれた。

ところが、途中で電車がトラブル。

予定では和田の方から入って縦走するつもりだったが、青梅線の接続が30分待ち。

そこで青梅から吉野行きのバスを利用した。

 

4時までには帰りたいとのことだったので、コースも明治橋からはいるルートに変更した。

 

バス停から明治橋のたもとに戻り、そこから川に沿った道にはいる。

やがて立派な林道に合流して谷をさかのぼる。

 


林道はトラックが出入りしているらしく、水たまりや轍のぬかるみがあったが、

日差しのもれだした杉林は、手入れが行き届いていてとても明るい。

 

しばらくあるくと右手の斜面が伐採されていた。

伐採した材木を積みだしていたようだ。

 

その後も林道は急なところもなくゆっくりと登って馬引沢峠に到着。

処分場の黒いフェンスのお出迎えはうれしくないが。

 

そこからフェンスにそって赤ボッコをめざす。

 

前回は気が付かなかったが、途中に馬頭観音の石像があった。

顔立ちなど、繊細な彫りの素朴な表情がなかなかいい。

 

赤ボッコに近づいた途中の分岐で道標を見落とし、日の出町へ下るルートに入ってしまった。

少し歩いてから気が付いて引き返した。

 

その分岐点は、正しいルートの方がほとんど折り返しのようになっているのだ。

前の時は気が付いたのに、来たことがあるとつい油断してしまうようだ。

 

 

11時30分、赤ボッコに到着。

4人ほどが休憩していた。

 

朝の雲は消えていいお天気だ。

ただ、春らしく空気が霞んでいて関東平野はもんやりとしか見えない。

 

近くの奥多摩の山々は良く見える。

高水三山や日の出山、御岳山の奥の院、大岳山など。

 

友達がつくったい竹の子ごはんをわけてもらった。おいしい。

 

帰りは二ツ塚峠まで稜線のハイキングコースを歩き、天祖神社へとくだった。

 

二ツ塚峠から天祖神社にむかうコースは、とても歩きやすく幅もあってフラットな道だった。

お疲れの友達もすたすた歩いて行く。

 

途中、墓苑の上をかすめていく。

 

4月の中旬なので山頂を含めて全行程でヤマツツジが楽しめた。

 

午後1時18分、天祖神社に到着。

そこから調布橋で多摩川を渡って青梅駅へと戻った。

 

 

調布橋から多摩川と青梅駅前方面のながめ。

 

駅へむかう途中、道がどんどん上へと登っていくので間違えたかと思った。

でもそれで正解だった。

河岸段丘の上にある青梅駅は、多摩川の岸辺からはずいぶん上がっていくのだ。

 

振り返ってみるとここのところ軽い低山まがり歩いている。

まあ、これが年相応ってやつか。

 

私のハイキング仲間はみな高齢者なので、

次回のハイキングは青梅丘陵にしてみようかと思っている。