とっさの一言 | 転職★就活サポティスタが贈る 『なぜ会社は社長の器以上にはなれないのか?』

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都内某社人事部長が転職・就活サポティスタとして、主に転職希望者とシュウカツ中の学生に向けて発信する、転職・シュウカツにちょっとだけ役立つことがあるかもしれないブログ。

帝京大選手に「5流大学!」「クロンボ!」
早大ラガーマンの誇りと品格どこへ行った
http://news.livedoor.com/article/detail/6938308/



まあ、なんという品のなさ・・・という感想は置いといて。

「クロンボ」って最近では差別語になっているだよ・・・

という指摘も置いといて。


とっさのときの一言は、

心の中に本質的に染み付いている考え方から出てくるものです。
表面上いかに取り繕おうと、

いざというときの一言に、本性が見えます。


(俗に言う「お里が知れる」ということです。

 あ。これも差別発言だ。)

だからこそ、

本質から(=体から)の理解が重要なわけです。


少し前頃から巷間で流行し始めた言葉に

「腹落ち」

という言葉があります。

(誰が火付け役なのでしょう??)


同義で

「腑(=内臓)に落ちる」

という言葉があり、

まさにこれは、頭の理解という範囲を超えて本質(=体)から

理解・納得している様子を表しています。


社内を見ていると、

簡単に「腹落ち」する人が多く、

筆者等は不思議に思えてなりません。

多分、その場を取り繕っているだけじゃないのか、と。

(うちの会社だけなんですかね??)


表面だけ取り繕った「金メッキ」ではなく、

「純金」でありたいものです。