2025/11/21
ここ数日、隣の家々で飼われていると思われるネコの生活を眺めていた。
このあたりはイスラム教が特に大事にするのでネコだらけだ。*
逆にイヌがほとんどいない。
シロネコ二匹、クロネコ一匹、茶色ネコ一匹が各家で飼われている。
もちろん観察は彼らが庭にいるときだけ。危ない人と思われるので部屋まではのぞけない。
さて、
彼らの生活を一言で表すと、流動的。固定されたパターンをほとんど持たない。
庭にあらわれる時間も、徘徊するルートも毎日さまざまで、これといった型がない。
ときには石のように固まって数十分動かなくなることもあれば、逆に体中の関節や筋肉を柔らかにもちのようにゆるめてゴロゴロしていることもある。
お気に入りの場所というのもありそうでない。というか日によってかなり違う。
奔放というか、気まぐれというか、かなりフワフワした生活パターン、に見えてしまう。
そのうえ日々すれ違う他人(ひと)にも隣家のネコにも媚びない。
彼らネコ族と比べての話だが、
ぼくの生活はあまりにパターンがガシッと固定されていると感じる。
毎日、同じ時間に起きて、同じように散歩したり買い物したり食事したり。
ほんとワンパターンだ。
今までこのワンパターンにきれいにおさまっていたつもりだったが、ネコを観察していてちょっと彼らがうらやましくなった。
例えば、
毎日、外をみれば、晴れたり曇ったり雨になったり。海の満ち引きの時間だって毎日刻々と変化している。
たぶんネコ族は、そんなぼくには計り知れない環境の変化、身体の変化に合わせて、実は流動的に、自由に生きているのだろう、と考えた。
空港近辺の地域でもう4ヶ月も過ごしているのに、昼間に浜辺に行ったのだって、たったの一回こっきりだった。(いつも日の出ごろほとんど誰もいない時期に砂浜に行っているので。)それも、自発的なものではなく、アパート設備の定期点検があるからその間外出するというすごく後ろ向きな理由で。
それで、
隣家のネコの生態に触発されてぼくは思った。
「彼らのように、もっと気ままに生きてみようか」と。
しかし、その気ままに生きる指針はどう決めたら良いだろう。
ネコたちの生態をみていると、自分が心地よく感じるよう感じるように動いているようだ。そんな気がする。
まあ、どこまでできるかわからないが、
しばらく、好きなときに起きて、好きなものを食べて、好きなことをする。そんな生活をしてみようと思う。
自由気ままに生きていたつもりだったが、数日ネコの生態を観察しただけで、ぜんぜんそうでない、不自由そうな自分の生態を認識したのだった。
これを老化というのかもしれない。
*イスラム家庭における動物の飼育について by GROK

