【邪馬台国の謎】 | まもちゃんのブログ

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邪馬台国の謎

 

何故謎になったのか?

1.最古の歴史書古事記、日本書記にも記載が無く、中国の歴史書(魏志倭人伝)のみにて確認されている

2.歴史書が無いのは大化の改新の際、蘇我蝦夷が自決しており、その際、自宅に火を放し、所蔵していた貴重な歴史書が焼失した為とされている。正史ではそうだが、大和朝廷により故意に焚書された可能性もある。

3.魏志倭人伝の示す邪馬台国の位置は九州東方の海上となる。方角もしくは距離が誤っているとされるが、その為、耶馬台国所在地が畿内説、九州説で学会でもめており、あまりよい方向に研究が進んでいない。

 

仮説

歴史書が存在しない為、推測するより他が無く、論拠として古事記、日本書記にて推測を試みる。尚、この仮説のヒントは九州と奈良には良く似た地名が多数存在し、九州出身の権力者が奈良へ移住したと考えるとスッキリする。英国人が米国にNew York等と地名をつけた点に着目。

又、大化の改新の際、天皇家の神格化が行われたと考えられると多くの点で納得がいく。7世紀以降の歴史が極めて鮮明なのに対して、それ以前の歴史が驚く程不鮮明。神話としてのみ語られる。これが故意に行われたものと考えるとスッキリする

 

仮説

その1

邪馬台国が九州に所在したと仮定。古事記の天照大神=卑弥呼(日巫女)と更に仮定。天照大神の隠れんぼはおそらく卑弥呼が役職で亡くなると次世代の卑弥呼へ受け継がれる事の象徴なのでは無いかと思われる。卑弥子を天照大神と仮定したのは卑弥子が中国名であり、日本では日巫女とされていた。つまり太陽の巫女。巫女であり王。天照大神が太陽神である事を考えるとスッキリする

その2

スサノウはヤマタノオロチを討伐しますが、場所は出雲、ヤマタノオロチの正体は中国の交易船(船首に龍の飾りがある可能性あり)。交易していたのは中国は剣を、出雲は奴隷、主に若い女性と考えられる。古事記通り、邪馬台国出身の武人スサノウが中国の交易船の船員を酒で酔わせ、その隙に急襲、奴隷(若い女性)を解放、積んでいた剣等武具を接収。この時に助けた女性の中にクシナダヒメがおり、結婚、船内の剣よりレアな剣として草なぎの剣が発見された。この話は耶馬台国と中国の交易船との戦いを記載したものでは無いかと推定。つまりスサノウは耶馬台国の武人であった。

その3

スサノウの子孫はオオクニヌシとなり国譲りにより周辺の国々を吸収し、出雲に大きな国を作る。その後、天孫降臨でニニギノミコトが出て来て実権を譲る。天孫降臨は高天原(天照大神がいるところ)から来た使者がニニギノミコト、つまり邪馬台国の実力者に国を譲った事になります。スサノウが元々邪馬台国の人間だったという事を考えると辻褄があいます。ただし、本当に簡単に譲ったとは思えず、なんらかな戦いがあったと推測。身内同士の戦いであった為、この様に穏便な話に済まされていると推測。

その4

神武天皇の東征ですが、何故かルートははっきりしています。九州の高千穂を出発して、九州を海沿いに北上、本土に入ると瀬戸内海沿いに東に進みます。ここで興味深いのは出雲には寄っていない点。出雲はこの頃、当然友好国だったと考えられる。そして奈良討伐、奈良、大和(大和の地名は邪馬台国からきていると推定)で即位。これが奈良の豪族、天皇家の始まりという事になります。つまり、邪馬台国が九州だと辻褄があう。天皇家は邪馬台国の武人だったという事になります。

 

しかし、ここで不思議な事はその後、邪馬台国はどこへ行った?という点です。というのも、大化の改新前は蘇我氏、物部氏など近畿周辺だけでも2大勢力があり、奈良の豪族天皇家は豪族を統べる大王という扱いです。実権は摂関の蘇我氏、物部氏にあります。後々の世にもありますが、天皇の他の権力者、摂政関白が実権を握り、地方豪族が多数いた事になります。尚、天皇家が大王扱いなのはやはり神武天皇時代の功績と後に記す耶馬台国遷都論により大和国は日巫女=卑弥子=天照大神を祀る特別な存在、大王として扱われていたのだと思います。又、神武天皇以降は天皇欠史八代となります。おそらく不明な点が多かったのも事実ですが、戦国時代となり、天皇家受難の時代だったのかもしれません。しかし、神が負けるはずが無く、都合が悪い為割愛された。

又、耶馬台国は中国に認められる形で存在し、卑弥子は巫女であり、独身です。天皇家の直系の先祖であるはずも無く、都合が悪い為、無かった事にした。それで、邪馬台国を高天原という人外の世界に移動させた。耶馬台国は意図的に歴史から消滅させられたという仮説です。

その5

景行天皇時代に熊襲(くまそ)討伐を日本武蔵(ヤマトタケル)にさせている事になっていますが、これは全国統一(近畿以西)が終わっている様子が見えます。全国統一してるからこそ九州の一部である熊本地方の討伐が行われてると言えます。この熊襲は邪馬台国ではないし、位置的に魏志倭人伝で言っていた狗奴国?かどうかは分かりませんが邪馬台国の位置の国は既に奈良に従う形のように見えます。

その6

神武天皇が武人で征夷大将軍の様な役職であったら、後の将軍の様に権力を掌握し、近畿以西を統一、その際、邪馬台国の遷都が行われた可能性があります。九州から奈良に遷都し、卑弥呼も移動。その後、現実の人間から神として、つまり天照大神の前身の神として扱われた。卑弥呼制の廃止はつまり王が卑弥呼から奈良の大王である天皇家になったと考えられる。天皇家が大王として扱われたのも天照大神を祀り耶馬台国直系の特別な豪族だったからと思われる。

 

この仮説にて問題になるのがタイムスケジュールです。耶馬台国は紀元後2-3世紀に存在したとされ、神武天皇の東征は紀元前6世紀頃。もし、古事記や日本書記がタイムスケジュールを偽り、記載されていた場合、極めて有力な説となります。

又、この説だと畿内説、九州説ともに正しい事になり、かなり色々辻褄が合います。ただし、根拠は古事記、日本書記の解釈のみですので、物的証拠は一切無く、国内外からの新しい歴史書や遺跡等が発見されないと永遠に解明されないと思われます。

 

しかし、邪馬台国の武人が天皇となり、後に武人である源氏や徳川家により事実上の国家元首から追われる点が興味深いです。しかも、天皇家は両武人が勢力を無くしても未だ健在です。全ては天皇家の神格化が原因です。

 

唐突に始まる日本史ですが、私の仮説が事実だったなら、まさしく歴史は繰り返されるですね。