【進撃の連合艦隊】昭和9年 96式陸攻開発史 | まもちゃんのブログ

まもちゃんのブログ

このプログは架空戦記小説(If 小説)の掲載を主目的とし、その他、金融やお金の節約術などを紹介するものです。

2020年中国と開戦した日本は中国軍航空母艦による首都東京空襲により壊滅する。核兵器が使用され、東京は廃墟と化した。この戦いで、同盟国アメリカは参戦しなかった。日本は見捨てられたのだ。遥達防衛省技術開発本部の面々は核爆弾の直撃時に昭和元年にタイムスリップした。皆、中国、アメリカへの復讐に燃えていた。皆、家族を東京空襲で亡くしたのだ無理も無い話だった。

防衛省技術開発本部がタイムスリップしたのは帝国海軍海軍施設内だった。遥達と帝国海軍軍人が接触すると、たちまち海軍上層部は大騒ぎになった。開発本部長「鳴海 晃」と海軍の連合艦隊司令長官、軍令部長とが会談を持ち、技術開発本部と海軍が協力する事となった。

技術開発本部は海軍内でJSDFと呼ばれる事となった。遥と隼人は海軍に配属された。今年、二人共小佐になった。この頃から二人はスピード出世する、二人の適応能力は高く、海軍上層部は二人が平成人である事を知っていたため、二人を航空艦隊の指揮官とするつもりだったのだ。実際二人は極めて優秀だから。

タイムスリップから8年、日本には大きな変化が出ていた。大規模な景気刺激策により好景気に湧いた。旧史の製糸業に加えて化学繊維業界、重工業業界、造船業界、電気業界が業績を延ばしている。日本のGDPは年10%位の成長ぶりだった。既に日本のGDPは旧史より遥かに増えていた。本計画が可能なのはひとえにGDPの増大の賜物だった。加えて、日中戦争は行われておらず、日本軍の財政は今だ健全だった。

96式陸攻は三菱名古屋本庄季郎技師をの手による陸上攻撃機だ。陸上攻撃機とは双発の海軍の爆撃機の事で、陸上基地から発進し、敵艦を雷撃する事を目的とした。

JSDFでは96式艦戦や96式陸攻開発から航空機開発に関わる事になった。もっと早くから参加していれば、より航空機技術向上が早くなる事は判っていたが、諸外国に日本が極端に航空機を重視している事を悟られたくなかった。その為、96式艦戦、96式陸攻からの参加となった。それに、航空機の専門家は民間の企業に派遣され、航空機の為の材料や工作機械の基礎技術力を高める事に尽力してきた。先ずは基礎からと考えていた。

96式陸攻は日本で最初に引き込み脚を採用した機体だ。大型なこの機体は引き込み脚を収容できる十分な容積があり、そして高速と航続距離を両立する必要がある機体だった。空気抵抗軽減の為だ。

96式陸攻は大型機開発の為の試金石だった。その為、96式艦戦と同様、JSDFは大きな協力はしなかった。航空機開発のノウハウを学ぶ場と考えたのだ。

JSDFが三菱名古屋に提示した仕様は軍令部のものに加えて防弾を考慮する事と航続距離の短縮だけだった。それ以外の要求を行わなかった。旧史の様にあまり過度な要求はすべきでは無かった。

JSDFは本庄季郎技師に防弾に関する重要性を訴えた。後日、海軍の陸上航空兵力は陸軍航空隊と共に空軍に編入される事になる。陸軍の重爆は防弾及び速度性能に優れていたが、航続距離は短いという点と、雷撃ができないという弱点があった。陸軍97式重爆は旧史では航続距離が2700kmしかなく、96式中攻は6000kmにも及ぶ航続距離があった。これは運用思想の相違によるものだった。96式中攻の攻撃目標は敵艦船であり、主戦場は太平洋であった。広大な海で敵艦隊を捕らえ、雷撃で撃破するには長い航続距離が必要だった。この為、旧史の96式中攻は双発爆撃機としては異常とも言える航続距離が要求された。航続距離の増大の為、機体の大部分は燃料タンクで、その燃料タンクは防弾が施されていなかった。一方、97式重爆は主戦場を中国として、近距離のソ連航空基地の敵航空戦力を基地事撃破する航空撃滅戦に使用される運用思想だった。その為、膨大な燃料を積む事は無かった。その上、その燃料タンクは防漏化(防漏タンク)され、縦席・背面砲塔前部風防の防弾ガラス(70mm厚)化、正副操縦者席・背面砲塔射手席への防楯鋼板(16mm厚)の設置、および燃料タンクには自動消火装置が装備された。燃料の搭載量が少ない分を防弾に回したのだ。後日、ノモンハン事件により、陸軍はより防弾の重要性を悟る事になる。そして、爆撃機だけでなく、戦闘機にも防弾の必要がある事に気がつく、その為、同時期の零戦には防弾が無く、一式隼戦闘機には防弾が施されていた。

だが、実は敵艦隊に雷撃を行う、96式陸攻の方がより重防御が必要だった。それは、陸上からの対空砲火より海上の艦船からの対空砲火の方が遥かに激しいものとなる事が予想されるからだ。

海上の艦艇の対空砲火の密度は高く、対空兵装が容易に異動できない陸上基地と違い、自由に最適な位置に艦船の移動により対空砲火を移動できる艦船の方が対空砲火が苛烈なのは当然だった。

事実、旧史では太平洋戦争で初番は対艦攻撃に威力を発揮するが、中盤以降、その貧弱な防弾性能より簡単に撃墜される事になり、敵艦隊の脅威では無くなっていた。鈍足で大型のこの機体は旧史の一式陸攻と同様、マッチポンプの様に簡単に火を噴く爆撃機だったのである。

又、JSDFは陸攻が対艦攻撃で活躍するのは太平洋戦争初戦のみと考えていた。防弾を施したとしても大型の陸攻が敵艦隊に接近する事はリスクでは無く、自殺行為と考えた。7人もの人員を対艦攻撃で無駄死にさせる事は新史では考えられなかった。その為、陸攻の太平洋戦争後半の主任務は哨戒と敵基地への爆撃であった。だが、敵基地への爆撃で、双発の中攻の爆弾搭載量、防弾をした機体での航続距離では不十分と考えられた。その為、JSDFは大型の4発重場撃機の開発、即ち連山や深山の開発を模索していた。

だが、96式陸攻にも明るい材料があった。それはJSDFの協力で開発が進んでいた発動機だった。96式の発動機は金星だったが、その開発は進んでおり、何よりも燃費が良かった。防弾に費やした重量は燃料搭載量を減らす事で解決した。又、燃料搭載量が少ないという事は弱点である燃料タンクの容量を減らす事になり、更に防弾性が増した。

96式陸上攻撃機11型
全幅25m
全長16.45m
自重5465kg
最大重量7800kg
最高速度373km
発動機 金星42型 離翔1075馬力
航続距離 4000km
爆装 60kg爆弾12発、250kg爆弾2発、500kg又は800kg爆弾1発
雷装 800kg魚雷1発
武装 7.7mm旋回機銃3挺(胴体中央部上方・側方)20mm旋回機銃1挺(胴体後部上面)
乗員7名

96式陸上攻撃機22型
全幅25m
全長16.45m
自重5743kg
最大重量8000kg
最高速度416km
発動機 金星51型 離翔1300馬力
航続距離 5000km
爆装 60kg爆弾12発、250kg爆弾2発、500kg又は800kg爆弾1発
雷装 800kg魚雷1発
武装 7.7mm旋回機銃3挺(胴体中央部上方・側方)20mm旋回機銃1挺(胴体後部上面)
乗員7名

96式中攻は翌年正式採用される陸軍97式重爆より航続距離以外では速度、武装もやや貧弱だった。その為、次期陸攻一式はJSDFの全力をあげたものになる。

96式は太平洋戦争初戦以降は哨戒機、輸送機として使用する予定だった。その祭には改修され、電探が装備される事になる。


昭和9年6月
遥と隼人は結婚式を挙げた。式には技術開発本部の面々の他、雅や陸海軍、そして報道陣が殺到した。陸海軍の上級将校のご祝儀をあてにして結構盛大なものとなった。

又、西洋式の結婚式は当時珍しく、報道陣が詰めかけた。この結婚式はちょっとした、騒ぎだった。

二人の一番幸せな時とも言えた。