17.ハイジャック
これまで楽しい思い出を語ってきましたが、私にとっても日本航空にとっても
避けては通れない大きな出来事もあります。
マザーユウキが入社する前の年1970年に,羽田から福岡に向かっていた日航機が
ハイジャックされた「よど号ハイジャック事件」がありました。
飛行機を乗っ取るという映画のような事件が、日本で実際に起こり、
この事件を機に、その後数多くのハイジャック事件が起こることになりました。
当時は、東京オリンピック、千里での万博(学生時代マザーユウキは万博で
アルバイトをしました)など日本の経済成長が著しい時代でしたが、
政治的には不安定で、この「よど号ハイジャック事件」をはじめ、
「あさま山荘事件」など、犯罪史上に残る大きな事件が起こっていました。
どちらもテレビでも実況中継されましたから、年配の方なら
記憶に残っていることでしょう。
実はマザーユウキが入社した1971年から退社するまでの間、
ハイジャック事件は立て続けに起こっています。
1972年11月には、在米日本人による「日本航空351便ハイジャック事件」、
1973年7月には、パリ発アムステルダム・アンカレッジ経由東京行きの
ジャンボ機がハイジャックされました。
これは「ドバイ日航機ハイジャック事件」と呼ばれていますが、
日本赤軍によるものでした。
乗客・乗員は全員無事解放されましたが、この飛行機は犯人によって爆破されました。
マザーユウキは、後に、この便に乗り合わせていたというスチュワーデスと
一緒にフライトをしましたが、
「本当に怖かった。もうダメかと思った」
と話していました。
その後も日本航空では、1974年の「日本航空903便ハイジャック事件」、
1979年の「日本航空112便ハイジャック事件」がありました。
また全日空でも、1970年、71年、74年、75年、77年と
ハイジャック事件が続きました。
全日空では1990年代にもハイジャックがあり、犯人と格闘した機長が殺される
という悲惨なものもありました。
そのほとんどは、政治がらみではなく、個人による犯行でした。
これらの事件の後、空港の手荷物検査が非常に厳しくなったのは、ご承知の通りです。